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古本屋日誌
今朝はそんなには寒くはなく、夕方からは雨だとのことでした。うちのサビ猫は布団に入ってきて寝るのですが、自分の入っている逆の方に私が寝返りを打つと布団の動きに驚いて外に出てしまう。それから外の寒さに気づいて「中に入れろ❗️❗️」と喚きだし結局気づいて入れてやるまで続きます。なかなか学習しません。
先日お客さんから中野美代子先生の「孫悟空の誕生」などをお譲り頂き、扉にサインが入っていてお聞きしたら岩波書店のセミナーに行った時に書いてもらったものだということでした。まあ中野先生のサインは流麗で目の保養になりますが、付加価値が出るかどうかわかりません。喜ぶお客さんもいますが、落書き同様と思う人も当然いますからね、またサインには価値を認めるが、自分宛にこの場で日付入りで書いてもらわないと値打ちはないという考えもあります。
これもお客さんからお譲り頂いたインターシフトの「スーパーセンス」という本には人間は赤ん坊の時からサインには反応するんだとありました。サインだけでなく、例えば殺人鬼が着ていた上着を身につけるのには心理的に大きな抵抗があるし、いわゆる事故物件に住みたくない気持ちも幼い頃からあるんだ。確かにサインはそれがあるからといって特段深い内容が付け加わりもしなければ、奇跡のような現象もおきません、だが価値を見出してしまう、人間はそもそもそういうものなんだという主張です。
ただ私は中学3年の時になぜだかわからないのだが、白昼死んだおじさんを街中で見たことがあり、もしかしたらサインにも何かパワーがあるのではというオカルト的な興味も捨て去ることはできません。
この私の前に出現した死者は大阪市住吉区安立町の後藤さんといい、競輪のプロです。日本一に何度かなったことがあると周りの人がいっており、時々落車して大怪我していたが、普段は暇で大抵上半身裸で道に床机を出して清酒をよう飲んでいた。しかし日本一になるようなプロが私の家族が暮らしていた長屋の並びにおるというのも不思議ではある。ともかく肝硬変で亡くなり葬式もすんで、7月のかんかん照りの昼下がり私をよく乗せてくれた自転車にまたがって現れてゆっくり南から北に通過していった。
死んでも自転車に乗れるのかとも思った。
今日もかなりぬくくて、よかったです。猫はホットカーペットの上に寝転んだり、石油ストーブの前につくぼつたりと、思い思い暖を求めて頑張っています。
いつも思うんですが岩波文庫のルソーの「エミール」は買取にうかがったおりなど非常に頻繁に目にする本です。初めの頃は大学の教養課程かなんかで課題図書になって仕方なく購入してあまり読んでもいないで売り払うのかと思ってましたが、あまりに数が多いしお客さんに聞いてみると、本屋で気になってこうたとか、少しは読んだとかおっしゃるので、自発的に購入したんだなと思うようになりました。私はこの本は子供を礼賛してやまない理解できない本だなあとおもってますので、そのどこが人を惹きつけるのか不思議でした。だいぶ前に金蘭大学の末次教授とお話しすることがあり、この人は中国の古代の気象などを研究しているまあ物好みたいな先生なんですが、「寒山拾得みたいな童心を評価せなあかん、日本はそういう文化がない」という話で、私は全然納得できず「でもだいたい子供も大人の顔色を伺うのが当たり前だし、汚れなき童心ゆうのは大人の勝手な思い込みでしょう」と申し上げました。谷崎の「小さな王国」もありますよね。
祇園祭で長刀鉾に乗る稚児はなかなかかわいらしいけどそもそも稚児は男色の対象で、高野山などでは南方熊楠が盛んに論じていたように高僧のおもちゃになっていて、その行為の準備ができたことを稚児が厠の中からオナラを鳴らして知らせる作法があったそうで、わけのわからん作法でエロい。
それはそれとしてルソーの汚れなき童心を願望も込めて賛美したい人がかなりいることは間違いない。
今日はわりと穏やかで風も大したことなく外出日和でした。夜前天神橋筋で私の先輩の還暦祝いをやりました。数えの60ですし、まだまだ先輩も若いのですが、例の赤いちゃんちゃんこにやはり赤いカッパみたいな帽子というのは不思議です。先日お客さんからお譲り頂いた鎌田東二の「翁童論」には人は歳をとると子供になるとして、例えば赤ん坊はシワシワで歯がないが年寄りも同じ。赤ん坊は小さいが年寄りもどんどん縮んでゆく、赤ん坊はわけのわからんことをゆうが、年寄りも同じなどとあり、結局かつて日本には歳をとると、老人になるがそれは赤ん坊に近くことだと意識されていて死んだらすぐにあの世では赤ん坊になるのだという。そうなんかと納得したような気にはなったが、どうもオカルトのような気もしていて、本屋の棚を見ているとこの本はオカルトや心霊現象の棚に置いてあることも多くてやはりそうなのかというかんじですね。それにしてもこの鎌田東二とかいう学者は京大の先生だということで、ようわからんね、まあ単著すらかけない教授が多い中ではましなんだろうけどね。
天神橋筋5丁目には行きつけの「しげみ」という居酒屋があって、70がらみのマスターと奥さんがやってる店で今の時期にはかす汁、ハゲ鍋、関東煮、ソーセージとかが美味しくてしかもとても安かったのだが今は無くなってしまい、10階建の賃貸マンションになってました。
今朝も寒い❗️ネコが毎晩布団に入ってきて寝てますが、この8歳のメス猫も寒さ故かこのところご機嫌斜めでビクビクしてます。
先日お客さんから出たばかりの新潮選書「ごまかさない仏教」をお譲り頂きました。宮崎哲弥と佐々木閑の対談で仏教の様々な誤解を解いてくれる面白い本です。シャカはどうも赤痢でなくなったようだが、悟りをひらいてはいるが、やはり肉体の苦しみは耐え難く「座りたい」「横になりたい」「喉が渇いて何か飲みたい」と弱音をもらしています。悟りをひらいているシャカなのにおかしいではないか?という疑問が出てきます。これに関して確かに痛みはあるが苦しみはない、なぜなら苦しみとはその状態から抜け出したいという執着のことで釈迦にはそういう執着はないから苦しみはないんだという解釈があるとのことです。
お二人もそれはそうやけど、なんかしっくりこないなとの感想をもらしています。痛みのない状態を知ってるからね、何とか逃れたいと思うのが当たり前で、釈迦がそれを乗り越えているとするなら痛みを逆に楽しむみたいな感じになっているのかなあ。まあ確かに風邪とかインフルとかあんまり重篤でない骨折とかなら仕事も休めるし、家族に甘えていちごみるくとか卵酒とかウィスキーとかのめていいなあ、子どもの時みたいにすぐに病気が治るなんてくだらない、やはり大人はいい❗️と思うことはあります。ただそれはお得だからであって苦しみとお得を天秤にかけてお得をいいといってるだけですからね。他にも白髪が多くなってやまんばみたいになり、子どもにも「なんで髪の毛染めへんの?」とか言われても白髪は自分では見えないし、まあ歳をとりゃあそうなるのは自然なんだから無理に若作りすることはないとか言ってそのままにしておくことくらいはあります。あるいは豊麗線がどんどん深くなってもまあいいかというのはありますよね、何せ老化なんだから、それを悲しむなら赤ちゃんが成長して若者になるのも悲しまないと理屈にあわないですからね。
でもそういう笑って済ませられるレベルではなくて死に至る病に冒された時に楽しめるとは思えないなあ。
もう年末ですね、こないだお雑煮を食べていたのにまた食べるのか❗️です。
先日お客さんからいろんなマンガをお譲り頂きました。その中に水口尚樹の「早乙女選手 ひたかくす」がありました。高校の女子ボクシングの期待の星で筋肉むきむきの早乙女選手がさえないボクシング部員にコクルのだが、「今は決勝戦を控えている大事な時期なんだからボクシングに集中してほしい」と言われて早乙女選手は「じゃあ準決勝の時にコクればよかったですか?」とドキドキ💓している。まあこんな具合でなかなかバカバカしくてよい。
また河井克夫の「日本の実話」もあってこの中にも大学の体育会系の部活の話があって、チャラチャラしたサークルではなく記録を競い、オリンピックもうかがうというような真面目な練習漬けの日々で男女ともにストレスがたまってくる。そこである晩男女10人くらいが集まって暗闇の中ひたすらエッチにはげむ、痴態を繰り広げるのだが、翌日廊下ですれ違った時にはそそくさと逃げるというものでそんなんもあるんかなあ。
例の嶋中事件のきっかけになった深沢七郎の「風流夢譚」は皇族が殺害される話なんだが、以前はなかなか入手できなくてたまたま梅田の高山文庫でマスターに「あの本はなかなかないですね」て話していたら、自費出版のがあるよとただでくださいました。ありがたい。この小説は奥崎謙三が自著の中に収録していたけれど、今も本にはあまりなってない。ただ電子書籍では簡単に読めるようになっていてなぜ紙はダメでウエブはいいのかさっぱりわからない。