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古本屋日誌

2018-01-13 16:00:00

今朝はやたらめったら寒くて往生しました。センター試験、中学入試の統一試験日で、親御さんもたいへんです。先日お客さんから近藤雅樹の「霊感少女論」などをお譲りいただきました。芸大の学生が己の才能の無さに絶望してそれでも人より高みに立ちたいと自分には霊感があり、霊も見えるし、よりましもできると勝手な妄想を抱くとあります。まあ確かに高校までなら圧倒的に絵にせよ、ピアノにせよ、声楽にせようまいから才能に自信を持てるが芸大に入るとそうは問屋がおろさない、いくらでもうまい人はいる、困ったとなるわけです。夢破れる人はもちろん多い、しかしそういう人がみなインチキな霊感を言いつのるわけではない。女には卑弥呼以来のシャーマンの素質が男よりもあるのかな。

タイガースのドラフト1位だった誠は全く活躍できないまま、引退して今は京阪寝屋川市駅の近くで整骨院を経営している。才能もないのをプロにするバカなスカウトは大問題ですが、男の場合は適応して俺は怪我ばかりだからトレーナーにお世話になった、その経験を生かして困っている人に尽くそう、飯も食えるしとなる。「美味しんぼ」の原作者雁屋哲は東大法学部卒だが、なぜか東大に恨みを抱いていて「野望の王国」では自分の力を誇示するために東大教養部の時計台を爆破するシーンを作った。 

福本伸之の「黒沢」は土木作業員の男がある日サッカー日本代表の試合を見て世の中のカラクリがわかったという。日本代表の一挙手一投足に見てる俺は熱狂して勝てば歓喜の涙を流すが、それは全て他人事であって、自分が関わってすることではない、人がすることでは喜ぶなんか虚しい、この自分が人望を得て歓喜の中に加わりたいと思うわけです。

私などは人望なんか全く欲しくないし、自分の存在感を他の人の中で発揮したいとも全然思いませんが、話としてはわかります。


2018-01-12 11:56:00

今朝はかなり気温が低く猫も驚いたのかエサをかなり戻してました。明日からセンター試験が始まり、また近畿の中学入試も開始です。東大のいくつかの学部を卒業し精神科医なんだろう和田秀樹の著作はわりと人気があり、「受験は要領」はロングセラーです。数学は暗記でできるんだとかいう主張はそもそも間違いですから、バカバカしいわけですが、それを承知でやっている。まあ芸者が客の求めに応じて適当に喜ばしてるようなものです。その上でオナニーは布団やベットでしてはいけない、必ず勉強机でしなさい、なぜならベットでしてしまうと妄想がふくらんでいつまでもしてしまうが、机ならそれがないし親が入ってきたときに取り繕いやすい。このような普通なら誰もバカバカしくて考えもしないことを一応もっともらしく書き、出版してしまうんだからなかなかの玉ですね。

森毅に「数学受験術入門」という中公新書があって京大の入試では数学は解答に至るプロセスも採点して、たとえ最後の答えが間違っていても高い点を与えることもある。テストは思考力やオリジナルを見るものだから京大の試験は教科書持ち込みも許されている場合がある、などの内容で要するにバカをおだてて木に登らせるわけです。森の主張は一応はもっともですがそれはそれなりに突出した力を持つ人にだけ当てはまる話で、東大や京大に懸命に勉強して合格する程度の凡人には当てはまりません。むしろ自分にはそれなりの力があるのではないかと誤解して人生を誤らせるおそれがあります。東大の脳科学者で「バカの壁」養老孟司も読書は中毒性がある点でテレビゲーム、パソコンゲームと同じだから、何も本を読むことを特別扱いするべきではない。本は自分の考えを作るために読むもので内容を鵜呑みにしていいものでないと主張してますが、そんなことは一部の人にだけ当てはまる屁理屈で、大半の人間にとっては本の内容を理解することがまず出来ないわけですよ。

以前お客さんから京大法学部の雑誌「法学論叢」の1980年代のものをお譲りいただいたことがあり、1980年の法学部の入学式での学部長の挨拶が載っていて、留年している学生が多いと数字をあげ、さらに卒業生の進路も数字をあげて示して無業者がかなりにのぼるといい、「こういうのは少し多すぎると思います」とありました。なるほど確かに箸にも棒にもかからないバカが一定数いるのは仕方がないが、それにしても多すぎるのではないかとということです。

 


2018-01-11 02:14:00

先日お客さんから山本夏彦のいろんな本をお譲り頂きました。「室内」の編集をしながら示唆に富むエッセイを生み出した人ですが、このところ読まれなくなってきているのは不思議です。うちの父親はよく「お前なあ世の中は金なんやからな、あんばいせなあかんぞ」とよくゆうてました。これは私がなんか勉強ばかりしていて、そのせいで成績も中途半端によかったので、思い上がらないようにとの配慮のようでした。父親の考えではおまえ程度では勉強で身を立てるなどあり得ないし、そもそも学問などいかがわしいとの考えもあったのでしょう。これはまことにその通りでさすがは父親だけのことはあります。祖母などは「お前は親の仕事(大工なんですが)を継いだらええねん、なにいちびって大学とかいくのや?」ゆうてました。これは全く人を見てない、第1私ほど不器用な人はあまり見当たらないからです。

山本夏彦は芸人、役者などが稼ぐ金は我々が仕事をして稼ぐ金とは全く別のものだという価値観を正しくも以前はみな持っていたのにそれが失われているという。金の値打ちが違うんだということですね、それは全くその通りでたかが野球がうまい、おもろい話が出来るごときで、バカバカしい大金を稼ぐわけで、そういうのはいてもいいけど、「あんな馬鹿にはなるなよ」というのはその通りです。


2018-01-10 00:39:00

先日重松清の作品をあれこれお客さんからお譲り頂きました。重松はもとは角川書店に勤めていて「野性時代」の編集長までしていた経歴がありますが、なぜか辞めて物書きになり才能を発揮していい作品を書いていますし、書評家としてもなかなかの本を紹介しています。「小学五年生」という主人公が全員五年という短編集があり、その中に入院している母のところにバスの回数券を使って毎日見舞いに通う話があります。回数券の最後の分を使ってしまうとさらに母の退院が伸びてしまう気がしてバスの運転手に金は払うからその代わりに回数券の最後の分は返してくれと涙ながらに頼み、ぶっきらぼうな運転手もそれを受け入れる。やがて母は退院し主人公は例の返してもらった回数券の裏に「ありがとうございました」と書いて料金箱に入れるという話です。重松にしては出来が悪く、そもそも話が破綻してます。回数券の最後の半券を返してくれと運転手に頼んでますが、そんな必要は全くなく、ただ半券を入れずに金を払えばいいだけです。また最後にお礼を書いた半券を料金箱に入れてますがそんなもん気づいてもらえるわけがなく、意味はありません。まあ重松は編集長でもありましたし、忙しい路線バスなど乗ったこともないんでしょうな。でも重松はくだらない作品ばかりでなく映画にもなった「あの日のまえに」のガンリュウとかいいのもあることはいうまでもありません。


2018-01-09 00:34:00

毎月1日ごろ岩波書店は文庫と新書の復刊書目をホームページに上げています。2018年の1月は梅本克己の「唯物史観と現代」や「非武装国民抵抗の思想」などが岩波新書では上がってます。梅本克己はマルクス主義の主体性論と称して「人間論」や「マルクス主義と主体性」などの著作がある人ですが、現代的な価値があるようには見えません。社会の進歩に身を捧げて生きる人間、つまりは左翼のことなんだが、あれこれ犠牲がつきものだが、それが将来の変革つまりは革命ということなんだがにつながるとしても、本人の人生は一回限りだし、寿命もかぎられているから、いくら世のため人のために貢献しているにしてもストレスや、虚しさが残る、過程的な人間の悲哀をどう考えるかという話でした。

不思議ですよね、ちょっと前までこういうたわごとを結構真剣に論じていたわけですよ。岩波書店はまあリクエスト復刊もしてますが、こういうラインアップは編集者の好みでしょう。世間がどう思おうが俺はこれがええおもとんのやでしょう。編集長はそうでなくてはいけません。アンケートばかりで判断してたら、面白くないしやる気もおきませんし、ヒットも実は飛ばせません。

岩波文庫から井上光晴の「書かれざる一章」や高見順の「過程的」が出る日も近いのではないか。以前ビニ本で自販機で売っていたんですが「ビリー」という雑誌があって、これは今も古本としては値打ちがあるんですが左のページは緊縛写真やその手のエロ画像で右のページは盆栽の写真というのがありました。お口直しなんでしょうか、妙に面白かった覚えがあります。「ゴン」という雑誌もどうでもいいくだらないネタのオンパレード(小学生の暴走族をとらえたとか、幽霊物件とか)で、一時創刊号などはプレミアが付いていました。ただよく考えるまでもなくこういうネタは怖いもの見たさだけしかなくて、実は平凡でワンパターンなために飽きてしまいます。