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古本屋日誌
昨日はお客さんの注文を出荷する以外はのんびりして近所の「イオン」に出向いて「小保方晴子日記」が中央公論社から出ていたので早速購入。
婦人公論に連載していたもので巻末に瀬戸内寂聴との対談も掲載。「あの日」で若山照彦を少し叩いたその続編を期待したが今回は早稲田大が博士号を剥奪した過程を詳細に書いていて素晴らしい。だいたい一度認めた学位を奪おうというのだからこの大学のやり方は悪辣でどの口がゆうとんのやとしか評しょうもないものだ。そのことは小保方もよくわかっていながらも9年間過ごした大学だし、恩師もいるし、優しく声をかけてくれた人も多いとの思いや、先が見えなくて何かにすがりたいという渇望もあって理不尽な早稲田大の要求にも従ってしまうくだりがよい。今まで優しかった人も大学の方針が小保方は切ると決めたと知るやいなやそれこそ手のひらを返したかのようによそよそしくなる。
まあだいたい普通の人はそうですよね、すぐに裏切る。でもまあその程度のことは普通に生きていればすぐにわかることでもあるから、余計に生々しく感じられて心を打つ。
小保方先生は小説を書いたりしてるようだが、そういうレベルの低いことをなさるのではなく、STAP細胞の研究を続けてその存在を証明して、バカで空気を読むことしか思いつかない早稲田大の連中やバッシングで大宅壮一賞を取ったしょうむない新聞記者ピーチ姫をあざわらってみせてほしい。
今朝は雨も上がりいわゆる菜種梅雨の終焉でしょうか。現在本の在庫は1300くらいで倉庫を用意していますが、雄猫、メス猫が隙を伺っては侵入してメス猫の方は壁に掛けてあるえべっさんの福笹をカリカリかじります。対して雄猫は地べたにおいてあるプチプチをかじります。以前倉庫には出入り自由にしていたらプリンターのところで大暴れして配線が傷んでしまったこともあり、基本的には出入りは禁止しています。福笹はすでにはしゃいでいますし、固くてうまそうではありません、プチプチはそもそも食べ物ではないですし、何が楽しゅうてかかる仕儀に及ぶのか謎だ。友人の猫好きの人に聞いたらメス猫なんだが耳のところをあちこちに擦り付けるのが好きでそれもきつくきつくやるもんだから皮膚が擦り切れて赤い血がポタポタ落ちるのにやめないという。これはバカですな。
しかし今はちょうど少し肌寒いくらいで少し荷物を持って運んだら作業しても汗はかきませんが、もう少ししたらじっとしてあるだけで汗がにじんでくるし、普通に作業するだけでもえらいことになりますね。体は汗は出すわ、精神的にも暑さを感じるわ、不快な感触を味わうわ少し反応がいきすぎてますね。だいたい夏なんだから暑いに決まってるし、毎年のことなんだから体の方もいい加減に学習して体の過剰な反応を抑えてもらいたいのにそういうことはおこりません。
今朝は少し寒さが残ってました。郵便局にご注文の品を配送して岡本のお客さんのところに出向いていろいろお話をお聞きしました。岡本にせよ御影にせよ、阪急電車から上にも下にもかなりの勾配でいつもこれは大変だなと思います。車があれば特に問題はないのだろうが歳を食って車の運転がおぼつかなくなったらどうするんだろう面倒ではないのかと勝手に心配しています。以前JR芦屋に板垣という古本屋があって「日本古書通信」に在庫案内を出していて昭和10年ごろの大阪の電話番号簿がありました。藤田伝三郎の名前が入ったもので5000円だったので購入して面白いなあと眺めていましたが職業も記載してあって「社員」とあるのだが、もちろん平社員とかそういうものではなくて、経営者ということなんですね。大和川染工場には軍服製造とあり、カーキ色の陸軍のを製造して谷町から造兵工廠に納めていたわけです。大阪の電話番号簿はかなり前から営々作成されていて最近も大阪商業大学の博物館が明治時代のやつを復刻してこれも入手しました。この博物館もそうなんですが、他にも芦屋市立美術博物館も非常に面白い図録をたくさん出していて岡本にあった二楽荘のものなどは人気があります。二楽荘は西本願寺の大谷光瑞が作った別荘ですが、西域に探検隊まで出していろんな資料を集め別荘内には花壇やら植物園もあり、そこに至るケーブルもありました。まあわけのわからん坊主ですが、集めたもののレベルはどうだったのかは気になりますね。松下幸之助もあれこれ絵やら陶器を集めてましたが残ってるのはガラクタばかりでその手の鑑識眼は全くないバカでした。
今朝は昨晩からの雨で猫も出ようとしません。雄猫は物音に驚いて飛びのこうとして爪がおこたの布団に引っかかっていたのに無理に引っ張ったせいで後ろ足の小指の爪から血を流してます。叫び声などはあげず、それでも少し心配なので人間用の消毒の塗り薬をつけました。
このところお客さんから西部邁の本をリクエストされることがよくあります。人気なのは講談社現代新書の「核武装論」や文藝春秋からでた「60年安保」や東大を辞めるときの顛末を書いた「剥がされた仮面」などです。西部の核武装論は日本は地政学的に中国や北朝鮮の脅威からは逃れられず、またアメリカに全面的に依存することのリスクも考え合わせて一つの選択肢として核兵器を考えてみようという思考実験でまあ、ありではないかと思える提案です。東大を辞める話は例の中沢新一を雇うことでもめたやつですが、どう考えても中沢新一はデタラメな学者で、それを擁護する論理展開はかなりの無理を要しそこが読ませどころなわけです。京都大学でも鎌田東二というオカルトのような教授がいて「翁童論」などで坊主の悟りの境地の解説をしていて、なんでも煩悩のない境地はジェットコースター搭乗中の心理と同じだと主張しています。まあ東大にせよ京大にせよ単著をかけない人もものすごく多いし、特段優れているとも思えません。なんせ新入生だけで何千人も毎年毎年来るんだから、教える方もその数が必要であるという当たり前の理屈が働いてるだけです。そういう落ちこぼれの教授なども利用して地位を築いたり、居心地の良い環境を整備していくわけで西部の本はその辺を垣間見せてくれます。もっと異常なはなしであれば中島義道の文春新書「孤独について」が有名です。こっちの方は完全なパワハラ、アカハラてゆうやつです。しかしアメリカの企業は日本以上に公私混同で部下を自分の子供の送り迎えに行かせたり、宿替えの手伝いに動員したりしてますけど、パワハラだし、こんなこと真面目にやってたら過労死してまうんではないのかな。
今朝はうって変わって少し寒くなりました。しかし風はあるとはいっても厳冬期とは違い優しい風です。8つのメス猫はババやししをする時は前から興奮してよくほえますし、した後も吠えてますが、三つの黒猫兄弟はしません。そういうものなのか。
先日NHKスペシャルは福島第一原発の放射線放出量が極端に多かった日の特集をしていました。この事故に関する本では船橋洋一の「カウントダウン メルトダウン」と大鹿靖明の「メルトダウン」が有名でどちらも非常にためになり教えられる本ではありますが、自民党が党利党略つまり民主党政権を叩くために垂れ流したデマの類、やれ菅は海水を注入すると原子炉が傷むと危惧してためらったために事故が拡大したとかやれ吉田所長は注水をやめると官邸には返事しながら裏ではきちんと注水をしていたとかですが、こういうバカげたネタにページを割きすぎていてよくありません。自民党が政権を奪うため、また利権を得たいがためにどんなデタラメでもやってのけることは学ばないといけない点ではありますが、そんなことは「ショックドクトリン」に詳しく書いてありますし政党として当たり前で大した問題ではありません。
やはり知りたいのは事故対応とその際の決断です。先ごろ急死した大杉漣が吉田所長役をやっていてなつかしかった。春日太一が時代劇での大杉漣の演技をあまりにもひどい、何もわかっていないと酷評したのを思い出しましたが、今回は良かったです。一号機でベントをしょうとして運転員が建屋に入り必要なバルブを操作しょうとしたが、線量が高すぎて引き返します。また三号機の電源復旧や注水作業も炉心圧力の上昇が確認され、一号機同様水素爆発があるのではと警戒して吉田は「我々の身が守れないようでは周辺住民の安全も守れない」といい、作業員を撤退させました。さらに二号機も危機に直面して今回はベントもできず、SR弁を開けたはものの水が入らない、その理由は線量が高くて注水している消防車の管理がきちんとできず、バッテリー切れになったからなんですが、吉田所長は6400人いた作業員を700人に減らして安全なところは避難するよう指示しています。さらに二号機の爆発が起こった時は(本当は4号機の水素爆発だったんですが)格納容器が大きく破損したと判断して退避を指示していました。まあ人命優先だし、社員も含めて所詮は金で雇われている人間で命をかけるいわれは全くないわけだから、吉田の判断は当然です。しかしどの局面においても命を比喩ではなくてかけられる人がいれば事故の拡大は阻止できたわけですから、その意味でわが国は難しい国です。危機に瀕した時に決断を下さないというのは主権がないも同様だというカールシュミットの話を思い出しますね。朝鮮戦争、ベトナム戦争、湾岸戦争など要するにアメリカに汚れ役はやらせて日本は美味しいところを頂いて来たわけで、そんなにアメリカに依存していいのかという危惧は自民党もさすがに持っているのだろうが、戦後70年余りまあなんともなかったわけで正しい選択でした。今回の原発事故は自前では国を守れないわが国の欠陥が露呈しましたがなんとか、神様の助けなのかなんなのか東日本に人が住めなくなる事態は回避できました。確かに未だに帰れない人もたくさんいて立ち入り禁止地帯はあるが、主権を放棄してしまっているから、危機に立ち向かうことはしない。でもかわりに安楽と富を手に入れた、と考えれば考えを改める必要はないのかもしれない。