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古本屋日誌
神戸新聞の夕刊に連載されている戸川昌士の「あなもん」が単行本となった。カラーの図版も毎回添えてあって見ているだけで面白い。
水木しげるが手塚治虫の鉄腕アトムや複眼魔人を参考にして、同じ構図やセリフを使って「怪獣ラバン」を描いていたことや水木は70くらいからは自身の作品なのに一切執筆しないばかりか構想も人任せになっていたことなどが書いてあった。
まあ水木しげるは手塚治虫がまだ60で死んだことに関して「何でもかんでも自分でやろうと頑張りすぎたから死んだんだ」と言っていたから、自分はそうなってはいけない、若い頃は働きすぎたからという思いもあったんだろう。ただ水木が亡くなった後の回想なんかを読んでも彼が晩年全く執筆していなかったことに触れたものは目にしたことがなかったのでびっくりした。
水木しげるの復刻も手がけていた籠目舎の伊藤徹が水木しげるから出入り禁止を食らっていた話も驚いた。伊藤は梅田の東阪急ビル近所で絶盤漫画やソフビの店を構えていたが「あんたら客はな、なんぼでも物があるときには見向きもせいで、いざ絶版になった、品切れになったら目の色かえて、ないか?見てへんかゆうてくるんやからどないしょうもないわ」とよく叱られた。
伊藤はアメ村のボーリング場の地下で開催していた漫画の古本市にも関わっていてさいとうたかおの「デビルキング」という巨人の話になって「この単行本2巻揃いなんやけど、上、下のはずなやのに上ばかりになっとんねん。ちゃんと検品もようせーへん古本屋がいとんねん」とぼやいていた。
戸川の本には漫画専門店の「まんだらけ」が手塚治虫のサインの真贋を間違えてしまう話も載っていて楽しい。
本をどこにしまったのか忘れてしまうことはしょっちゅうあって、見当もつかない。未練がましく適当に探ってみるが、汗をかくだけで何の収穫もない。だいたい二回も読みたい本は限られているので、インパクトも強いはずなのにそれでも見当たらない。
この頃は2分は探すがもうないと諦めてサラ本を大きな本屋で買うことにしている。
それはさておき、友人との会合に呼ぶお客さんのリストをメモして読みかけの文庫本にはさんで保存してしまうことがある。何冊も同時に本を読んでいるので、ついどの本にはさんだか忘れてしまい、大変なことになる。
逆にお客さんからこうた本をパラパラ点検していると古い岩倉具視の500円札が挟まっていることがあった。嫁が「珍しいなあ」と早速保存していました。これは自分にもあってしおりが入っていない本を電車の中で読んでいて降りる駅が近づきやむなく何か目印になるものはと考えてお札ならそれなりに大きいし大丈夫だろうとはさんでそのまま忘れてしまうわけです。お札以外ではお年玉年賀ハガキで当選した切手のシートを目立つからとはさんで忘れてしまう。公園で四つ葉のクローバーを見つけて「これは珍しいなあ」と押し葉にしてそのまま栞にしているのだが、ラッキーなこともなくそのまま忘れてしまう。
昨日後悔しつつも堺のお客さんのところに伺ったせいで今年の1月に電撃的に破産して全店舗が閉店してしまった天牛堺書店のその後の情報を得ることができました。
船場店は槇尾古書店となって再生して、サラ本は置かない古本屋で、200円、300円、500円、1000円、3000円の均一販売をしています。均一のキャプションも以前を踏襲していて懐かしいですね。
天下茶屋の店は田村書店になるとお客さんから聞きました。なるほど北摂中心にたくさんの店舗を展開している田村は大阪の南にも拠点が欲しいのでしょうし、千里中央など一部の店舗では古本の販売もしていますから好都合なんでしょう。ただこの田村書店で問題なのは古本に貼ってある巨大な値札です。3センチ✖️4センチくらいあって強力な接着剤でとめてあるのではがせません。店にはこの接着剤を剥がす溶剤が500円で売っているのですが、バカとしか思えない。
堺東店は丸善に変わっています。一応高島屋はそれなりのブランド力のある百貨店ですから、その格に合う本屋として丸善を選んだんでしょう。それを考えるとかつての天牛堺書店のネームバリューは泉州堺方面では絶大だったんでしょうね。サラ本も古本も両方扱うとはおもろいからここにしとけてな感じの高島屋の経営者の個人的な趣向だったんでしょうか、何れにしても丸善を選んで無難な方向に戻ったわけですな。
北野田店は東進衛星予備校になっていました。店が正方形なのでブースなどが取りやすいんでしょう。それにしても四日おきに古本を総入れ替えするなどというひちめんどくさいシステムが今となっては懐かしい。だいぶ前に天牛堺の社長と話す機会があって「こないな総入れ替えするやり方て他にはどこがやってますんや?」と尋ねたら「それはな、わしも気になって調べたんやが全国どこの古本屋もやってへんことなんや」と言うてました。
バカは風邪をひかないというのに、珍しく夏風邪を抱え込んで往生しています。今日は夕方から堺のお客さんのところに行く用事があり、熱が引かなかったら延期してもらおうと、布団に入り、頭もすっぽりかぶって汗をかいて毒素を出そうと試みました。
おかげで熱は下がりましたが、全身の倦怠感が残り、今堺にいるんですが後悔してます。
先日田辺聖子が亡くなり、上品な大阪をあれこれ描いた稀有な作家で残念だ。田辺は非常に器用な作家で、芥川賞の「感傷旅行」に収めてある姫路のバスのやり合いの短編には驚かされた。狭い田舎の、行き違いのできない道で路線バス同士が行き合い、どちらも引こうとしない。罵詈雑言を繰り出して相手を罵るのだが、バスの乗客も文句を言うどころか「絶対引いたらあかんぞ‼️ここが勝負や」てな感じで加勢するものだからいつまでたってもラチがあかない。
そうかと思えば中公文庫の「花狩」は大阪のお店の女の生涯を淡々と描いた佳品で素晴らしいし、「道頓堀の雨に別れて以来なり」は川柳作家岸本水府の重厚な伝記でこれまで取り上げられることの少なかった大阪の文壇に脚光を当てた作品だ。
今日はかなり暑かった。梅雨の中休み、つまり五月晴れで蒸している感じがしました。
うちはお客さんに本を送るのにはゆうメールを使っていて、かなり高額なものやいくらなんでも大きすぎるものはレターパックやゆうパックを使っています。
2012年の創業時はクロネコヤマトの集配所が家から30秒くらいの至近距離にあったのでメール便を使用していました。ところがそこで引き受けてもらった本がわざわざお客さんの住所である千葉県まで行って、そこから「2センチを超えている」ということで大阪の千林まで戻ってきましたので、さすがにバカバカしくてクロネコヤマトは止めることにしました。
今となってはこの会社もあまりにも荷物が集まりすぎてわけがわからなくなったんでしょう。
その後は郵便局に全てお願いして2013年ごろは特約ゆうメールで厚さは2センチまでとなっていましたが、本局にかなり分厚いものを持って行っても受け付けてもらえました。しかし次第に規定が厳格に適用されることになり、今ではきっちり運用されています。
「本局ではね、きっちり守らないといけないけど、出入りの親しい局はまた違うと思うよ」みたいななあなあでやらせてもらえている時期もあり、これはこれでありがたいことなんですが、やはり少ない局員でたくさんの荷物を捌かなければならないわけですから、規定をしっかり守っていくのはやむを得ないことだと理解しています。