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古本屋日誌
昨日の晩は遅うからしとしと雨が降り出しおそらく夜を徹して降っていた。結構なことだ。
京阪電車の萱島駅の大阪方面のホームには樹齢700年を越すといわれる巨大な楠の木がそびえていて、もともと複線の線路が現在の京都行きのホームのところにあったが、高架複々線工事を進めるにあたって、楠の木の土地が線路にかかってしまう。伐採もやむなしとなっていたところが、「地元の要望に京阪電車が応えて」駅のホームに巨木を抱え込む形で残すことにしたと美談めいてよく語られます。
しかし地図を見たことがないのかね〜〜
大和田から萱島駅を経て寝屋川市駅に至る線路は一見直線に見えますが全然違います。大和田駅から萱島駅の手前までは確かに直線ですが、萱島駅の手前から緩やかに南にカーブして楠のところに至り、また大きく角度を変えて、今度は寝屋川市駅に向かっています。
誰がどう考えても大和田から普通に寝屋川市駅まで直線に線路を引けば複々線であろうが、楠の木敷地のはるか北側を通すことができます。
では何のために神威をないがしろにしてまで、軌道を南寄りに変えたのか、これはわかりませんな。何者かに慮ったのか、それとも軌道を変えるために必要な地上げが京阪電車にとってめんどくさかったのか、よくわからない。
今朝方までしとしと雨でいかにも梅雨らしい天気でありがたい。
市原実の「大阪平野のなりたち」はたくさんの地図を元に河内湖の汀を歴史的に検証しようとした意欲作で現在も人気があります。645年の大化改新の際に国境が改めて決められたのだが、摂津と河内のそれはちょうど河内湖の汀に設定されていました。それは現在も解消されていて守口市と大阪市の境目になっています。
その場所は現在の京阪電車千林駅周辺です。淀川が河内湖に流れ込む河口だったところで、国境もそこでくの字に折れ曲がってカーブを描きながら南に下がって行きます。
7世紀よりずっと前は河内湖の範囲はさらに広く4世紀にはちょうど萱島駅のところにありました。従って地形も京阪電車千林駅周辺とそっくりで、北側が相当高くなっていて、湖との間には現在もはっきりと崖が残っています。2メートルくらいはある断崖でこれは確かに長らく湖水がたまっていたであろう想像がわきます。湖水の名残が今の寝屋川の水路であり、また寝屋川本流です。萱島の断崖に比べると千林駅周辺の傾斜は緩く、瀬戸内海に見られる遠浅です、そのため完全に干上がってしまい川が残っていません。ただ千林駅からすぐ北側に上がっていく細道、現在の喫茶再会や日本料理のさとなどがあるあたりには巨大な三日月湖が昭和の初めまでありました。水深も深くなかなかのものでしたが、現在は埋め立てられていますが、それでも明らかにわかる形で土地が大きくくぼんでいます。
実は萱島駅の南側にも巨大な三日月湖の痕跡があります。
今朝はかなり強いざあざあ降る雨で梅雨らしい天気です。梅雨はモンスーンであり、つまりは雨季なんです。熱帯雨林は年中雨が降り、モンスーン気候は一年の半分雨が降る、そして日本は1カ月だけ降るわけです。温暖化が進めば雨季は長くなり、その直後の乾期、つまり「梅雨明け十日」はずっと長くなるわけです。
京阪電車の萱島駅は現在も寝屋川の水路の上にあります。阪神電車の武庫川駅みたいな状態です。
1980年に完成した高架線路は複々線で、構内に樹齢700年を超える楠の大樹をいただいていることはいうまでもありません。この大楠に並行して現在も数本の大楠が植わっていて天を宙する勢いでそびえ立っています。地図をご覧になっても、現地を歩いてみられてもおわかりになられますが、寝屋川の水路は萱島駅のところでその流路を南北方向から東西方向へと90度向きを変えています。つまりこの地点は自然堤防でもともと微高地なんですが、繰り返される洪水から堤防を防衛するために堤防に沿ってたくさんの楠の木を植えていたのです。
寝屋川の水路の北側はもともと土地が高かったので、溢れる時は間違いなく南側に溢水しました、しかも流路が湾曲する地点なので、水量が増えると南側に水が集中して堤防を押し流してきました。それが700年くらい前にどういうテクニックか、自然な配剤か、うまい具合に楠の木が堤防に根付き、洪水が起きなくなりました。
人々は奇跡の楠の木だとして崇めたてまつり、京阪電車の高架工事の際も御神木として伐採することなどもってのほかとして守ってきたわけです。
そういう意味では700年を超えるパワースポットとしてこの地はもっと評価されてもいい。ただ洪水が起きなくなった理由は楠の木のご神威ではなく、寝屋川の水路の北側の堤防を無理やり低くして、水が自然と片側に溢れるようにしたからですけどね。
昨日は薄曇りでかなり蒸し暑く、晩方からは雨も降ってきました。
京阪電車の萱島駅から徒歩5分、現在の城垣町、以前の上馬伏には徳川時代の農産物集積所の跡が残っていて、現在も寝屋川に積み上げた切り石の石垣や日よけや目印として植えられていた松などの大木の切り株を見ることができます。
ちょうど寝屋川が北から東に大きく流路を変える地点にあって、何百万年の間繰り返された洪水のために自然堤防ができていて、周りよりかなり高くなっています。
中学生の時北海道の石狩川の蛇行を習い、地図帳で左に右にとカーブを繰り替える流路の横に「三日月湖」と呼ばれる確かに上弦、下弦の形をした池のことも習いました。萱島の集積所のところもしっかり三日月湖が残っていて、形もきれいです。ただ現在はすっかり埋め立てられて「城垣町公園」になっています。
三日月湖は水路で下にある田んぼやレンコン畑などとつながっており、水路を利用して楽に集積所まで運搬していました。集積所の面積は極めて広く、優に4000坪はあって、農産物が高くなる時期を見計らって大阪へ運んでいました。そのため出荷調整が必要で集積所には倉庫もあって必然的に大きくなっていきました。
現在集積所跡は関西電力の所有地となっていて、その理由として「大きな送電線を作るときに、地主から地所を提供してもらわんとあかんねんけど、かたでは嫌だというおしとさんもあって、代わりの地所を用意してるんやわ」との話を聞きましたけど、どうなんでしょうなあ。
今日は蒸し蒸ししますね〜〜
宝島社がコンビニ本として出したトキオナレッジの「ずっと信じていたあの知識、実はウソでした、デラックス版」を読みました。このシリーズはなかなか人気です。コンビニ本とてバカにはできません。
地球温暖化は悪いことばかりでないとの話が書いてあって、まあそれはそうなんだろうが、現在も大阪は年に20センチ程度地盤沈下しているとある。
確かに先日の京橋駅の外回りホームの屋根に亀裂が入った事件では、その原因は地盤沈下だったとのことでした。なるほどそうなると京橋駅のみならず依然としていろんなところで沈下が進んでいるのだろうと思える。
外回りのホームは例の敗戦の当日に大阪造兵廠を狙った1トン爆弾の攻撃で被災し250人以上死んでいるところで、そのため石垣を組み直してあるので内回り線の古色蒼然たる石垣と比べてコントラストが著しい。
まあ死んだ人はいい面の皮ですよね。アメリカの蛮行を批判するわけでもなく、「日米同盟」などと生きている人間の都合しか考えないわけですからね。