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古本屋日誌
福島第一原発の事故についても、NHKが特番をやっていた。2016年放送のやつだ。
1号機と3号機はベントで格納容器の圧力の低減に成功したので、大規模な破壊は免れ、飛散した放射能も比較的少なかった。
しかし2号機はベントができなかっただけでなく、消防車からの給水によって炉心の温度を冷やす試みも失敗した。
そのため格納容器の圧力は高まり、やがて破壊されて炉心が剥き出しになってしまう恐れが強まった。
吉田所長は、もう出来る手は尽きてしまったと判断して、発電所内に残って、事故の収束作業に取り組んでいた6400人の大半に、発電所から引き上げるように要請したのだ。
格納容器の圧力はどんどん高まり、ついに地震発生から88時間後、大きな爆発音が響き渡り、サプチャン圧力がゼロとなってしまった。
これは格納容器が破損してしまったことを意味していて、吉田は残っている所員に直ちに退避するように求めて、「俺と死ぬやつはどいつだ」との述懐を抱いたと述べている。
実はこの爆発は、4号機の建屋が水素爆発したもので、2号機の格納容器は破損はしていなかったことが、後に明らかになった。
しかし吉田をはじめ居合わせた人たちは、そんなことは知る由もなく、ただもう「これでもう、東日本壊滅だ」と打ちひしがれ無力感に苛まれた。
結局は2号機は、格納容器の圧力が高まり、つなぎ目からひどく汚染された空気が大気中に放散されたために、圧力が下がり爆発しなかったのだ。
確かに炉心が露出しなかったのだから、不幸中の幸いであったことは間違いない。これはベントをやったようなものだ。
ただし、10日間にわたって大量の放射線が各地にばら撒かれてしまった。
それにしても、神様はお人が悪い。
格納容器の破壊が切迫して、しかも打つ手もなく、絶望の淵に沈んでいる人々に、爆発音を聞かせて、死んでしまうほどの恐怖感をお与えになるんだから。
東日本大震災から13年となって、NHKがクローズアップ現代で特集を組み、過去の番組も再放送していた。
その中に、津波が来るからと、取るものもとりあえず高台に避難して助かった人のことや、じぶんが逃げる時に周り近所の人にも避難を呼びかけて、結果たくさんの人が助かった話があった。
この地震では津波が三陸に押し寄せたのは、地震発生から1時間くらい経ってからで、住民は家から出て今後のことを道端で三々五々井戸端会議中だったというのだ。
ニュースでは大津波警報が出たことをアナウンスしているにもかかわらず、人々は避難をためらって、家の前にたむろったり、家で様子を伺っていたわけだ。
しかしごく一部、変わった人がいて「こら、もうえらいことやで。すぐ逃げなあかん‼️おまはんもちんたらしてんと、〇〇小学校まで走りなはれ」みたいなことを言って周りの人も巻き込んで避難したわけだ。
番組では「自分の行動が周りに影響を及ぼすことを考えて避難行動を起こさないといけない」とか「災害避難に、もうこれで大丈夫はない。だから一旦避難を完了しても、さらに高台に移ることも大切だ」などとしたり顔で解説していた。
でもこれまで幾度となく大津波警報なんかが出ても、結局空振りに終わっていて、今回もそうなるのではないか、と考えているから人々はなかなか逃げなかったのだろう。
まだまだ寒い中、貴重品をまとめて、坂を上がっていく苦労を思うと、このままで大丈夫なのではないかとの思いが強まる。
これは警報を出す連中が、無能であるということだ。
何回も何回も空振りが続いても「今回も大きな津波が来なくてよかった。空振りになったけどそれは仕方がない」などと人は思わない。
そんなこともわからず、いつまでも下らない警報を出していた連中は決して無罪とはいえない。
その程度の人間心理もわからないような連中に人の上に立ち、能書き垂れる資格などあるわけがない。
確かに奇特な人が呼びかけて周りの人の命を救ったのだろうが、それはどういう人なんだろうか❓
ものすごく心配症の人なのか、NHKのゆうことは正しいと信じてる人なのか、何か突然心の中に閃くものがあった人なのか、よくわからない。
でもね、一つ確かなのは、そのお方は人望があったんだろうということだ。
いくら「早よにげんとあかんで、大津波警報やで‼️」と言われても、日頃から信用されてないオオカミ少年みたいな人であれば、「あのアホまたほたえてまっせー」で終わりだろう。
そんないい加減なやつではなく「あの人がゆうてはるんやさかい、よう聞かなあかんなあ」となるわけだ。
結局それなりに人望があって、さらに心配症の人がいないといけないということになるよなあ。
なかなか難しい話だ。
今日は3月10日で、東京大空襲の日だ。アメリカの国際法を、無視した無差別爆撃によって10万人が殺された。
当然戦争犯罪であるにもかかわらず、勝てば官軍で不問に付されてしまっている。
自民党政権は、アメリカの犬なので、彼らの戦争責任を追及したことは一度もない。
(アメリカさまにはいつもいつもお世話になっている。でもそれとこれとは話が違う。)
先ごろ亡くなった篠山紀信は『激写』という雑誌の他にも、たくさんの写真集を出している。
俺がびっくりしたのは、講談社から出した藁半紙の雑誌風の写真集で、右のページにいじられている女の局所のアップ、左のページにその女の喘いでいる顔のアップというセットが延々と続くやつだ。
よくこんなバカな本を出したよなあ。
でも別にそれは篠山の独創ではなくて、当時はおかしな雑誌がいくらでもあった。
『ビリー』は半分は盆栽の写真、もう半分はエロ写真だったよなあ。
女優の写真集では宮沢りえとか山口百恵、後藤久美子のやつが人気がある。
とりわけ宮沢りえのは3枚の写真が付録で付いていて、欲しいお客さんがたくさんいる。
山口百恵のやつは大判でなかなかこった作りなんだが、さほど値段は高くない。
鳥山明が亡くなった。また60代だし、残念ではある。
『Dr.スランプ』であの絵の魅力に驚かされた。
どの角度、方向から描いても狂いのない可愛いデッサンなのだから。
雰囲気的には杉浦茂の絵や世界と共通点があるのだが、杉浦は西遊記や忍者の世界なので世間ウケしない。
しかし、その後の『ドラゴンボール』は人気が出ていたので、いつまでもダラダラ同じような話が続いて、俺はバカバカしいと思っていた。
鳥山はやめたいと思っていたのではないだろうか。
でも『ジャンプ』は発行部数も600万部を突破していて、編集部としてはやめさせるわけにはいかなかったのではなかろうか。
あの退屈な『ドラゴンボール』掲載の時代に最高部数を何度も更新していくのを見て、俺は世の中は甘いよなあと思ったよ。いったんブームに火がつけばくだらないものでも売れてしまう。
『少年ジャンプ』はアンケートを重視しているためなのか、ああいう客受けする友情、努力、愛、勝負ものが常に掲載されていて、そりゃあ子どもの時は感動するけど、いつまで経ってもそればっかりでは普通は飽きてしまう。
というわけで、普通はそう感じた時に「あーそうなのか、マンガ雑誌はきちんと棲み分けしてるんやな。
『ジャンプ』は子ども向けに特化してるけど、『ビッグコミック』や「モーニング』『スペリオール』なんかはそれぞれ特色を持った青年マンガ誌なんや」とようやく悟ることになるわけだ。
これは一つ大人になったということなのだ。
それにしても「ジャンプ』でデビューした漫画家で例の友情、勝負、スポ根の繰り返しを脱した人て誰がいるのだろうか❓
(諸星大二郎は例外だろう、初めから異端だった。中沢啓治は初期の混乱期の作家だから、この中には入れられない)
アンケートがいいからとか、売れて金が入ってくるとなると、たいていの人間はそれで満足してしまうものなのだ。
水曜日に、梅田で飲んだ先輩は長く中学受験の進学塾の日能研関西で社会を教えていた。
60になって時間給をこれまでの8割、担当の授業時間数も8割に減らしててしまう塾のやり方に反発して神戸地裁に訴えたこともある。(バカで無能な裁判官によって退けられてしまった)
彼は、西成公園に野宿している労働者の支援もやっている立派な人だ。
これはボランティアみたいにも見えるが先輩は元々は反体制運動として取り組んでいた。
イエスの「貧しきものは幸いである」や窮民革命論みたいな感じだな。
その正否はさておき、野宿している人の中にはペットとしてねこや犬をこうてる人もかなりいる。
自分が元気な間はいいが、体を壊して生活保護でアパートに移ってしまい、ペットは連れてはいけないケースや、本人が亡くなってしまうこともある。
猫や犬は公園に置き去りにされてしまうのだが、先輩はこれの世話もきちんとするのだ。
特に亡くなってしまう労働者から「あのな、すまんことなんやけど、このミィちゃんな(子猫の名前)あんじょうしたって欲しいねん。あなたしか頼める人おらへんねん、後生やからな」と言われるんだそうで、確かに遺言みたいなもんだから、無視するのは夢見が悪そうだ。
でも俺だったら、めんどくさいから、自分で世話はしないだろう。
引き取り手のいない猫を斡旋してくれるボランティアの人に委ねるだろう。
でも先輩は天使のような優しい人なので、自分でちゃんと面倒を見るのだ。
俺が「先輩‼️そんなもん残飯やっといたらええやん」ゆうと
「そんなもんどこにある‼️」と怒る。
なんでもちゃんとカリカリを買うてきてやってるんだそうで「値段がな前の1.4倍になってるし大変だ」ともいう。
さらに猫や犬は去勢手術を受けてない子もかなりいて、「行政とかボランティアの人とも相談して手術受けさすようになったわ。」と悲しそうにいうのは驚いた。
ペットが人間の中で生きていくには去勢手術は必要だし、俺は悪いことをしているとは全く思ったこともないけど、優しい先輩は、子どもを作る権利を奪われてしまった動物を思い遣っているわけだ。