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古本屋日誌
今日から3日間、箕面にあるメープルホールで古本市がある。
豊能障害者作業センターが定期的に行なっているもので、早速朝から行ってみた。
10時オープンなんだが、その前から人だかりが出来ていて行ってみたら一階ホールの正面にたくさんのワゴンが置いてあって文庫本や新書が並んでいるようだ。(ようだというのはワゴンの上に布がかけてあって中がわからないからだ)
しかし人々はそこではなく向かって左側に屯っていてそのエリアだけはポールを立てその間にナイロン製の幅の広い布を差し渡して入れなくしてある。
確かめてみたらレコード売り場だった。
さて10時のオープンと同時にたくさんの人がレコード売り場になだれ込みスーパーのカゴにレコードを放り込んでいた。
私は音楽には何の関心もないのでCDにせよ、レコードにせよほぼ扱ったこともなかったので、この盛況は驚かされた。
以前「日本のお金持ち研究」で大阪の金持ちは中之島と箕面、高槻北部にたくさん住んでいるとあったのを裏付ける感じがした。
というのもレコードはこりだしたらキリがない。
まずスピーカー、これは本体だけで1000万くらいするものがある。さらにスピーカーを設置する場所もただ据え付けるのではなく、音響を考えて地面を掘り下げて分厚くコンクリートを流し込んだりして家全体を改造する、これにどれくらい金がかかるか想像もつかない。
CDにはない、豊富な音域が魅力だそうでわたしにはどれもこれもよくわからないことだらけだ。
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小林よしのりの「コロナ論 2」が扶桑社から出た。
小林はコロナを法令上の感染症2類扱いからインフルエンザ同様の5類扱いにすれば、いちいち発症者を隔離して治療するという結核並みの治療体制の呪縛から逃れることができ、「医療崩壊」など起こらないという。
またPCR検査はウィルスを繰り返して培養してその結果で陽性か否かを判定するのだが、繰り返す回数が日本は35から40と多い。諸外国はそこまでやらないから日本の場合はウィルスの死骸にまで反応して陽性者を増やしている可能性があるという。
またコロナの死者数は現在2800人くらいしかなく、例年インフルエンザで1万人くらいが死ぬことに比べて全然多い数ではないともいう。
これはかつて日垣隆も縷々述べていたがわが国では自宅の風呂で溺死してしまう人が毎年5000人からいる。また餅をのどに詰まらせてあの世にいく人も1300人もいる。
日垣は「こんにゃく畑」をのどに詰めて死んだ人がいた事件から「こんにゃく畑」を危険だとして禁止しようとする世論に抗う形で先のデータを出してきていた。
確かに風呂は危険だよなあ。特に年寄りや高血圧の人にとっては冬場はとりわけ毎日毎日が命への挑戦みたいなもんだよなあ。
でもだからといって風呂は禁止‼️とか風呂は月に一回、看護婦の監視付きで認める‼️などと言い出すバカはさすがにいない。
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高塚省吾の裸体画は以前からずっと人気がある。デッサンやパステルなどどれも魅力的だ。
美人画として極めてオーソドックスな作品群で、ギリシア彫刻の比肩にたえる出来栄えだろう。
そのうち「パステル画集」を入手しました。是非お求めください。
徳川時代にたくさん刷られた美人画なるものは全然美人ではないですね。
瓜実顔で引目かぎ鼻、おちょぼ口、身体は水木しげるの妖怪のように細いという様式にのっとっているわけだが、どうひいきめにみても引き合いがくる代物ではない。
徳川時代の封建的な桎梏、自由な発想が奪われてしまった250年をそのまま反映している「痴呆の芸術」でしかない。
ただ、かつて平凡社が徳川時代末期の島原、新町、吉原の遊女の写真集を出していたことがあって、それを見ると島原と新町の遊女の顔は確かに瓜実顔で造作も小ぶりで確かに浮世絵の美人画に近いものだった。
対して吉原のは全然浮世絵のとは違っていて、完全にわれわれが美人と感じる女の顔立ちだったからその違いに驚いた。
そうしてみると浮世絵は単に様式美に従って作画したものとばかりもいえなくなる。
京阪では本当にそういう細長くて、おちょぼな女が伝統的に美人と思われていたゆえに版画もそれに合わせて描いたとも考えられる。ということは様式ではなくて、実は写実だということになるのだがなあ。
でも吉原は現代的な美人ばかりだったのに浮世絵は京阪みたいな女になってしまっている。これは全然写実ではない。
京都、大阪への規範意識がなせるものなのかなあ。
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ちくま文庫から出ている三島由紀夫の「恋の都」は反米をモットーにする美人が出てくるケッタイな小説だ。1954年の刊行なので、戦争直後の世相が描いてある。
劇団を主催してアメリカ人との付き合いも多いまゆみは恋人の五郎が戦争中、愛国の右翼結社の構成員だったこともあって、日本の敗戦を悔しく思い、原爆を落として無辜の民を虐殺したアメリカを憎んでいた。
美人で魅力的なまゆみに言い寄ってくるアメリカ人は多かったが、まゆみはそのことごとくをなんとかなりそうと思わせておいて、最後に肘鉄を食らわせて振り、その時男が見せる何とも言えない苦悶に満ちた表情を見るのが生きがいになっていて、それがアメリカへの復讐でもあった。
五郎は敗戦の日、同士とともに切腹して果てたと思っていたが、実は密命を受けて上海に飛び生き残っていて、終戦後は得意の語学力を活かしてアメリカの施策の立案に携わるようになり、アメリカ国籍を取得していた。
9年ぶりに日本に舞い戻った五郎はまゆみに連絡して結婚を申し込むが、まゆみは以前の国粋主義者だった五郎のあまりの変貌ぶりにショックを受ける。五郎は「ずっと君を愛していた」といい、結婚してくれとプロポーズするのだが、さてまゆみの返事は………。
昭和も20年代、30年代ならアメリカに肉親を殺された人や酷い目に遭わされた人もたくさんいたから、経済はアメリカの庇護で潤って生活は楽になってはいるものの、割り切れない思いを持つ人が相当数いたことは間違いない。
三島由紀夫もそれを背景に話を作っているのだが、冷静に読んでみて三島が反米女のまゆみに感情移入して書いてるとは到底思えない。
むしろ滑稽な、周りから浮いてしまうような女として描いている。
でも三島由紀夫は1970年11月に自衛隊にクーデターを起こし、アメリカの召使であるのはやめろと叫んで自殺してしまったよなあ。
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雑誌「フリースタイル」には山上たつひこが長らく「大阪弁の犬」というエッセイを連載している。
高校を出て安堂寺にあった貸本の出版社日の丸文庫に入社して編集の仕事に携わるかたわら、自らもいろんなジャンルの作品を描いていた1960年代後半の話だ。
当時山上が下宿していた安下宿のオーナーは下宿人の世話をさせるために女中を雇っていたが、この女が頭のいかれたやつで時々仕事をほったらかして行方不明になってしまう。
1、2週間してふらりと舞い戻ってくるのだが、哀れに思ったのかオーナーは首にせずに使い続ける。
この女は正月が過ぎて春にもなろうというのに下宿人に会うと「明けましておめでとうございます‼️」と無気味な挨拶をしてくる。
山上も初めは聞き流して応じていたが1月末のある時例によって「明けましておめでとう‼️」と言われてムカッときて
「やかましい‼️明けましてとちゃうわい‼️」と怒鳴りつけてしまう。
それからこの女は山上に出会っても話しかけなくなりやれやれと思っていたら、ある晩遅く山上が灯りを落として机で執筆していたらそろそろと窓が開けられて、例のバカ女の手が伸びてきて窓際にあるガス栓をひねってガスを出しっぱなしにしてまたそろそろと窓を閉めて行ってしまった。
何をとち狂ったか山上の殺害を狙ったのだが、彼は騒がず、さっさと元栓を閉めて終わりになった。
普通なら大問題だし、女を訴える事態なんだが、その時山上は特に気にもならず女の責任を追及することもなく、また下宿を引き払うこともしなかったというのだからよくわからない。
山上にはバカな人間と共存できる術があったのか、それともこの程度は悪戯みたいなもんだから大したことないと見切っていたのか本心はどこにあったのだろうか。
しかし夜遅く起きていたからよかったものの、ひょっと疲れから寝ていたとしたらそのままお陀仏になってしまっていたのではなかろうか。
そうなれば天才、山上の諸作品を拝むことも出来ず、それにインスパイアされた秋本治がデビューすることもなかったかもしれない。
バカの問題は実は深刻だ。
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