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古本屋日誌
講談社から「福島第一原発事故の真実」が出た。
NHKメルトダウン取材班が著した浩瀚な本であれから10年経った今日だからわかった様々な驚くべき話が載っている。
例えば2号機に塩水を注入して炉心を冷やす作業の話だ。
巷間に伝わっているところでは吉田所長が塩水を注入する作業を命じて開始された直後、官邸からストップがかかった。
「塩水を注入したら再臨界のおそれがあるから」という理由なんだが、吉田は官邸から直接電話をもらい口では「承知しました、直ちに注入を中止します‼️」と答えながら、その実部下には「そのまま注入を続けろ‼️」と命じていた。
ここまではよく知られている。
そして菅総理の命令をあえて無視して海水を注入したことで2号機の危機を回避できたとする話になっている。
ところが事故から10年を経た今日、この塩水の注入は意味がなかったことが明らかになったというのだ。配管には10箇所以上の破断があったためにせっかくの海水は全く炉心部に届いておらず、温度を下げることはできていなかったことが明らかになった。
自然の猛威の前には人間の知恵など所詮はかいなでに過ぎない。
それはさておき吉田所長の注入継続を英断として持ち上げていたこれまでのお伽話も私はどうかと思うけどな。
官邸は「再臨界」の危機を考えた上でストップをかけたのに、吉田所長の頭にその危険性が担保されていたのか甚だ疑問だ。
「事件は現場で動いてる」とかよく言われているが、現場の判断がいいなら満州事変はいったいどうなんだろう。
関東軍が勝手に陸軍を動かして戦争を仕掛けていった過去に学ぶならば、現場の判断なんか持ち上げれるわけないだろう。
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特に1983年以降の大判になった分を欲しがっている人が多くてよくお客さんにも聞かれるけどなかなか見当たらない。
ただうちは以前手に入れた分が相当たくさんあるので御所望の方はお問い合わせください。
83年以降のものは有名どころが登場しているのが人気の一因だろう。とりわけ1983年の9月号には当時「童夢」で人気絶頂期の大友克洋のロングインタビューが掲載してあってなかなかお目にかかれない。
逆に値段が以前は高かったのに、何故かお求めやすくなってしまったのもある。
岩波文庫にはそういうのが多い。もちろん重版が行われて流通量が増したからだ。
頼山陽の「日本外史」平田篤胤の「仙境異聞」ロックの「人間知性論、全4巻」などはその代表で一気に価格が下落した。
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今日は仕事で北野田に出向いた。
本は引き続き山田稔の「ごっこ」。
著者は以前京都大学の教養部でフランス語を教えていたのだが、定期試験に落第した学生の話があった。
本人は4回生で就職も決まっていて卒業は絶対条件なのにフランス語の単位を落としてしまった。
再テストの通知が下宿に行ったが行方不明で連絡もつかない。
大学も心配して親元に通知を出したら父親が山田のところに飛んできた。
「先生、考えられる限りの知人やらに連絡してみたんですけど、行方を突き止められませんでした。警察にも本人の写真を渡して指名手配にしてもらうように頼みましたが断られました」てなことをいう。
挙句「追試は頑張って息子の代わりに私が受けます」なども日に焼けた百姓面で真剣に言うので、びっくりしたてな話だが。
北野田の駅前は高層マンションがそびえてダイエーなどもあるのだが、今ひとつ飲食店は不案内だった。
高野線の踏切を越えたところに「大阪王将」その横に混ぜそばを出すラーメンや、その横に和菓子屋があった。
混ぜそばはよくわからない食べ物だったが面白そうなので入ってみた。
850円で小ライスも付いているという。
太めの麺の上にたくさんのミンチや玉ねぎが添えてあり、説明書には「何口か食べてから玉子を落としてかき混ぜて食べてください。麺を食べ終わったあと、残った出汁にご飯を加えてかきこんでください」とある。
食べてみたら四川山椒がよくきいていて、食が進む。
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巨大な書店に行くと「へ〜こんな本があるのか❗️」と驚かされることがしばしばある。
MARUZEN・ジュンク堂の梅田店はそのような魅力的な書店だ。
先日も5階の大阪本売り場を眺めていたら久保在久の「大阪砲兵工廠年表」という大部の見たことのない本があった。
久保は以前新聞記事を博捜して「大阪砲兵工廠物語」を出したり、かなり前になるが大阪砲兵工廠の労働組合である「向上会」のリーダーだった八木信一の伝記に解説を書いていたりしていた人だ。
さてこの本だが明治初年の砲兵工廠設立から昭和20年の壊滅までを様々な新聞や書籍からデータを取って詳細な年表にまとめたもので誠に興味が尽きない。
例えば靖国神社の大きな鳥居は大阪砲兵工廠で製造されたことはよく知られている。
数ヶ月かけてようやく完成したのだが、あまりに巨大だったせいだろうか、うまく立てられるかが心配になったのだろう、砲兵工廠敷地内で一度立ててみている。
その後船便で東京に送られたのだが、到着してかなり経ってから「靖国神社の鳥居を建てるために砲兵工廠から3人の係を派遣」という記事が出てくる。
東京の方では持て余して独力では立てられなかったのがわかって面白い。
序文には久保が砲兵工廠の労働組合の「向上会」に興味を持ちその指導者であった八木信一のことを調べたいと思い立った時のことも詳しく書いてある。
久保は図書館で「寝屋川市史」を読んで八木のことを調べて市役所に出向きあれこれ尋ねて香里園に八木の娘さんが住んでいることを聞き出した。
すぐに訪ねていき、応対に出てきた八木の娘の鞆子さんに口角泡を飛ばして戦前の砲兵工廠の労働運動の意義を説いたという。
久保は「鞆子さんは父のことをこんなに思ってくれる人が現れた‼️」と喜んでくれたと書いているが本当なんだろうか。
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山田稔が1976年に河出書房から出した「ごっこ」を入手しました。是非お求めください。
神戸の「VIKING」などに掲載していた作品を集めた短編集だ。
京大の大学紛争中やその後の日常を描いたもので活字の「パルチザン全史」といった趣のある小説だ。
キャンパスにバリケードを築いて教員が入らないようにして授業や試験をさせないようにするバリケードストライキがよく行われていた。
一般の社会では生産活動をストップさせることは直接生産者や流通に関わる人、また消費者の生活や命に直結するから、認められないし、止むに止まれぬ事情からストライキをする場合も早期の解決が図られる。
しかしこと京都大学に関しては、そんなことは全くなく、ダラダラと授業や試験がない日常が継続してしまう。
これは京都大学があってもなくてもどうでもいい存在で、機能しなくても誰も困らない大学であるからだ。
したがって緊張感もないままストライキなるものが続いてやっている学生も、規制される教員の方もすっかりたるんでいってしまう。
学生は当初キャンパスに入ろうとする教員に口頭で「授業はせーへんから」と約束させて門を通していたが、やがてその旨を書面で書くような求めるようになった。
山田稔はあまりに退屈なストライキの日常に飽き飽きして署名の欄に田中角栄だとか奥田東(当時の京大の学長)だとか書くようになる。バレたらどうなるかというスリルを求めての所業だが、これが残念なことに全然バレない。
ところがある時「佐藤栄作」と書いてバリケードを通り抜けた。係の学生は横のやつとなんのかんなと議論の最中で難なくすり抜けた。しばらくして「なんやこれは‼️佐藤栄作たら書いとるやつがおる、どこのどいつや‼️」となって一斉にゲバ学生の視線が山田に注がれる。
さてどうしたでしょう❓
続きは読んでのお楽しみ。
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