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古本屋日誌
秦郁彦が小学館新書から「病気の日本近代史」を出した。
コロナ騒動に合わせて近代の様々な伝染病の歴史を述べた浩瀚な書物だ。80を超えてもかくしゃくとされている秦先生は実に素晴らしいよなあ。
それはさておき、この中に脚気の話が含まれている。
言うまでもなくビタミンB 1の不足で引き起こされる病で全身麻痺に陥り死に至る。
この病気の原因を陸軍は森鴎外などを中心に脚気菌によるものだと的外れな主張を長らく続けていたために、日露戦争で多大な戦病死者を出したことはよく知られている。
ところがこの秦先生の本によると海軍はかなり前から白米中心の食事が脚気の原因ではないかと思い当たり麦飯を取り入れた食事に変更することで罹患者を大幅に減らしていた。
また陸軍も同様に麦飯を食事に取り入れた結果、日露戦争の前には帝国陸海軍を通じて脚気罹患者は大幅に減っていた。
ところが戦争中は陸軍はまたぞろ細菌説などを持ち出して、麦飯から白米に切り替えてしまいたくさんの戦病死を出すことになったという。
全くとんでもない話だよなあ。
秦郁彦はこうなった原因について陸海軍の主導権争いや学閥間のつばぜり合いを挙げている。
それもあるだろうが、基本的に押さえておかなければならないのは、人命への認識が当時と現在では根本的に異なることだろう。
今はとにかく人命は最優先だというイデオロギーが主流となっているが、明治はそんなことはない。
例えば脚気の死者がこれまで50人くらいに抑えられていたものが、一挙に6500人に跳ね上がったとしても、「あまり死者は変わってないね、こんなもんだろう」という価値観だった。民主主義が根付かず、独裁国家の悪い面がでたわけだ。
さすがに大正デモクラシーを経て昭和に入ると人命を考えるようになってきた。日中戦争など20万からの死傷者を出して、戦争の成果もなく何も取れませんでしたでは遺族に申し訳が立たないてな不可解な理由で戦争をやめられなくなるほどだった。
民主主義の広まりの結果、今度は戦争をやめられないとはあきれた話だよなあ。
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京都の古本屋はいつ行っても不思議だよなあ。
どこも文庫本の棚が大したことない。
例えば京大本部北側の「吉岡書店」。
岩波文庫の棚がそれなりにあるが、講談社学術文庫は4段くらいしかないし、ちくま文庫に至っては棚すらない。そのくせ古い岩波新書がたくさん収めてある。
吉岡は古くからの古本屋だし、京大の先生との取引も多いのは間違い無いし、学生もほとんどがバカとはいえ1学年3000人くらいもいるわけだから本の買い取りも多いだろう。
それにもかかわらず、たいした棚でないのは俺には不思議でしかない。
何か闇ルートでもあって取引しているのではないかと勘ぐりたくなる。
何も吉岡書店だけでなくちょっと考えても岩波文庫や講談社学術文庫、ちくま文庫、講談社文芸文庫、ちくま学芸文庫やらを豊富に棚に揃えている古本屋はただの一軒も思いつけない。
いや、もちろんBOOKOFFはちょっと違う存在だ。
たかだか30年程度の歴史しかないBOOKOFFがかなり立派なプレミアム文庫の棚を揃えているのに、100年からの歳月をけみしている諸古本店がさっぱりというのが解せんわけよ。
また大阪の古本屋と比べても京都のそれは極めてみすぼらしい。
大阪の古本屋でさっき挙げた文庫をたくさん揃えていつ見ても楽しい古本屋はいくらでもあげることができる。
それに関しては京都など大阪の足元にも及ばない。
だいたい今の京都の古本屋で楽しく時間を過ごしたくなる、老後のひまをつぶしたいと思える店があるだろうかね❓私には全く思いつかないね、
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かなり前の話だが結核だと判明して寝屋川市の大阪病院に40日あまり入院したことがある。
半年あまり病名が判明せず「風邪ですな」とか「手首に細菌性の出来物がありますな、夏休み明けにでも切って確かめましょう」などというヤブ医者のオンパレードで、入院するときには病状がかなり悪化していた。
大阪病院で担当した医者はこれは結核だからと診断したあと表情を改めて「入院は残念なことだろうけど、将来のことがあるからね、思い切って治さなあきませんやろ」
「この病気は自宅でどうのこうのなるもんと違うよってな」ともいう。私は「はあ、はあ」と書き置くだけでなんとも返事のしようもない。
「お仕事は何をされてますか?」その頃は予備校や塾で仕事をしていたからそう答えると
「それは休むのは確かに悔しいでしょうけど、いま治しとかんとこれからの人生にかかわってくるさかいな」という。
この真剣さがよくわからなかった。
こっちはヤブ医者をたらい回しにされて(もうどうなとしてくださいよ)とまな板の上の鯉の心境なのに何を今更わかり切ったことをくどくどいうんだろう。
さて6人部屋に入り、すぐ横がまだ20代の若い兄ちゃんで、会社の定期検診で肺に影があって痰の検査で感染が判明したという。
「ただあれですねん、別段身体がきついこともあらへんし、熱も出てへん、咳もでーへんし、ほんまに病気なんやろか思てます」とのことだ。
俺なんかしんどうてかなわんよって、入院は「あ〜よかった、安心安心」てな感じなのだが、特に症状もないのに長期にわたって監禁されて、しかも相部屋で周りには本格的な結核患者がいて、夜中でもずっと咳き込む人もいる、中さぞストレスがたまることだろう。
ただこの兄ちゃんは奥さんが妊娠中で、やはり家にいたりすると問題だろうからというのが心の支えにはなっていたようだった。
この時初診時の医者のやけに真剣な説得の意味がようやくわかった。
結核でもあんまり症状がなくで定期検診で送り込まれてくる人がかなりいるんだろう。そういう人は「え〜そらないで、明日得意先と商談があるよって、どないしても抜けられまへんねん」とか言って抵抗する患者がたくさんいるのだろうよ。
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会社の定期検診というのがある。
特に問題がなくても年一回指定のクリニックに出向いてあれこれ体を調べる。
正社員なら胃カメラなんかも必須のようだ。
かなり前だがまだ若い友人がこれに引っかかって胃癌の診断を受けたことがあった。
なんでも定期検診では「胃の形が歪になっているから、精密検査を受けてくれ」と言われて、バカ正直に再検で胃カメラを飲んだら、「腫瘍がある、これはがん細胞の疑いがある、がん細胞が正常な細胞を食おうとして、正常な細胞が逃げようとするので胃の形がおかしくなっている」との話だ。
再検査の医者は胃癌の診断をして「3分の2くらいは切り取らなあかんやろおもうわ、だだ確定診断は病理医になるので、このデータを回すからね」と10日くらい待たされたという。
本人は自覚症状は全然ないそうで、やがて病理医からの診断も戻ってきて「切った方がいい、5分の3くらいになるだろうが、腹腔鏡で大丈夫だから」との診断だった。
でも自覚症状もないのに切除手術となると嫌だと思うなあ。
術後は禁煙だし、胃をかなり切り取るわけだから今までのようにバクバク食べたり、飲んだりもできないだろう。
つまり生活水準がかなり下がってしまう。
彼女はまだ30代だし、これからの長い人生、タバコも吸えない、酒もチビチビ、食事もおっかなびっくりというのでは楽しめないのではなかろうか。
手術などせずに経過を見るというのもありだ思うよ、セカンドオピニオンも聞いて判断したらどうかな❓とアドバイスしてみた。
結局彼女は手術して胃の6割がた切除して、今は元気そうだ。
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私は萱島に住んでいるが、京阪電車の萱島駅の高架下に「つうつう」といううどん屋がある。
出汁がうまくて、定期的についつい行ってしまう店だ。
この名前のことなんだが「うどんをすする音から来てるのかなあ」とか
「つ」の変態がなは「川」だよなあ、また「う」のそれは「宇」のはずだから、「つうつう」は「川宇」だよなあ。「宇」という漢字には「家」という意味でがあるから(八紘一宇)「つうつう」は「川の家」ということかなあ。
などと考えていた。
昔の萱島駅の地図を見てみたらちょうど駅の西側で寝屋川が分岐して、その支流がちょうど「つうつう」のましたを流れていたことがわかった。
そうか‼️元は川の上でしたという謎解きなんだなあと考えたりもした。
でもそんなわけないよね、妄想にも過ぎる。だいたいここはうどんやであって、けっして「家」なんかではない。
その後、今も十丁目筋にある古本屋の「杉本梁江堂」が昭和39年に出した「大阪ことばのしをり」を眺めていたらそこに「うどん、つうつう」とあるではないか。
つまりちょっと昔の大阪弁で「うどん」を「つうつう」ということがあったということだ。
同じ欄には「むし芋、ほっこり」「ゆで玉子、にぬき」「餡餅、大福」「雑炊、おみや」「米、どうじま」も出ている。
そうなのか。
「にぬき」は今も使うけどあとは牧村史陽の「大阪ことば事典」でみたことがあるくらいで実際に使うことはないな。むしろ「大福」は逆で小さい頃は「あんもち」としか言わなかったけどなあ。
雑炊をおみやというのも知らなかったな。わたしは住吉区の出だが雑炊は「おじや」とみな言っていた。味噌を入れたら「おじや」は「おみぃのおじや」とゆうてる人もいたけど「おみや」はお土産という意味でしか使ったことがないなあ。
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