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古本屋日誌
このところの通販の隆盛で古本業界も変革を迫られている。
Amazonのサイトで出品している古本屋は丁寧に本の状態を説明している店と旧態依然、ほとんどコンディションを書かない店とに分かれている。
細かい店になると
「昭和52年の初版です。カバーと帯があります。帯は切れ目もなくいい状態です。カバーの背にすこしくすみがあるほか、小口には少し焼けがあります。また扉のページとその後の15ページ分に右端に1センチばかりの折れ目やクセがついています」などと書いている。
そうかと思えばまったくおんなじ本でなんだが状態は「可」としてあと一切コンディション説明をしてない古本屋もある。
以前は一部の文学書を除いては細かい状態の説明はしていなかった。
書き込みの有無なんかも、店主が言うには「そんなもん古本なんだから書き込みやら線引きやらあっても当たり前だろう。読めたらええやん」てな感じだった。
ところが今はそれでは売れ行きは芳しくない時代となった。
ある程度丁寧に状態を説明することが求められて、それを行ってる本屋の方が売れ行きはいい。
こないだ川端二条の「中井書房」に出向いたが、レジのところに京都大学の吉田寮が出しているパンフが置いてあった。
吉田寮は大学から明け渡しを求められて係争中だ。確か2015年に完成した新館も含めて退寮を求められているとのことだったはずだ。
できたばかりの建物からも出て行け❗️というのはよほどの事情があるのかもしれない。
中で爆弾を作っていたとか、反体制運動の拠点だとか、まあどう考えてもそんなことはないだろうけどな。
そのあたりをパンフから読み取りたいと思い、早速読んでみた。
中身なんだが、明け渡し裁判の日程は載っているが、それ以外に大衆にアピールするものとしては吉田寮の建物が築100年以上の歴史をもつこと、寮の中に作った畑でいろんな野菜を栽培して本部時計台前のテントで販売していること、寮の食堂で催しができることが書かれているだけで拍子抜けした。
建物が古いことに興味を持つのは近代建築の趣味がある人だけだし、野菜の話は天下の京大で毛色の変わったことをしていますというよくあるマスコミ受けするパターンをなぞっているだけの戯言にしか思えない。
もともと社会とは接点も何もない学生風情が大衆にアピールすることは原理的に無理だ。
でも一応頭がいいことになっている京大の学生なら洒落でもなんでも社会にアピールできる切り口を用意しているかと思いきや、そんなものはかけらもない。
やはりバカはどうしょうもないな。
今日から京都古書会館で古本市だ。
ここは裁判所の少し南にあるのだが、大阪のそれ同様エレベーターも備えた立派な建物だ。
以前に比べて普通の本が多く出品されている。以前は浪花百景の浮世絵とか古文書なんかが中心で、私など近寄りがたかった。
そういえば以前の神田の古本屋は本の状態をほとんど書いていなかったよなあ。
「日本戯曲全集 34巻 850円」で終わりだ。このシリーズには箱がついているのだが、買う方としては箱があるのか気になる。それで電話でその古本屋に聞いてみたことがある。
「箱のないような本は取り扱いしてません」だった。
「じゃあ塩梅書いといてぇな、わからへんやんか」と言ってみたけど
「お客さん❗️その一行に心を込めて、説明をわしらは書いてるんです、読み取って欲しいですな」てなことをいうんだからバカではないかと思ったけどね。
この短い説明をどう読んだらコンディションがわかるというのだろう。
つまり以前の古本屋商売はいい加減だったのだ。
それはさておき、西村賢太の本はまだ新刊書店にあるかも知れない。
大型書店は本の量も多いし、担当者の趣味や技量で発注する本も決められるだろうから、賢太好きな文芸担当なら前もってたくさん仕入れてストックしている可能性もある。
そこでジュンク堂三宮本店に出向いてみた。
「現代文学」の棚を探してみると、西村賢太の本は新潮文庫の「苦役列車」が数冊カバーが見えるように棚に横向きに置いてあるほか、文春文庫の「小銭をかぞえる」も数冊、こっちは背表紙が見える形で並べてある。
それ以外にも最近出た単行本が2冊置いてあった。
この間MARUZEN-ジュンク堂京都店に出向いて現代文学の棚を見たら、本の雑誌社の「一私小説書きの日乗」しか置いてなかったのと比べたら、大違いだ。
やはり文芸担当の力の差だと思うな。
今日は神戸のお客さんのところに買い取りに出向いた。
澁澤龍彦の元の嫁の矢田澄子が児童文学者の岡野薫子にあてた献呈サインに丁寧な手紙まで入った晶文社の本を見た。
日付は1990年になっていて龍彦が死んで3年後だよなあ。
矢川澄子は死の直前に、龍彦を見舞って別れ際に彼を呼びとめて
「お兄ちゃん❗️」と呼んだという話は有名だ。
子どもができても何度も中絶していたというところからしてもかなり変わった夫婦だよなあ。なんで避妊しないんだろう。
やってることの意味がわからない。
さらに矢川澄子はだいぶ後だけど、自宅で首をくくって死んでしまいましたよね、てなことをおしゃべりしていたら
「じゃあ、あんたにやるわ〜」と売っていただけた。
今日天満橋のジュンク堂に出向いて、西村賢太の本を探してみた。
単行本で本の雑誌社から出ている「一私小説書きの日乗」の最新刊があっただけで、文庫本なんか一冊もない。
角川文庫や講談社文庫、幻冬社からも出ていたのに見当たらないのだ。
大きな書店では著名な作家が亡くなった際には「追悼コーナー」が設けられて主な著作が目立つように表紙が客の視線に触れるように展示する。
しかしそもそも天満橋店には展示すべき西村の本がないから、追悼コーナーも作りようがない。
ではと天満橋の古本屋を訪ねてみた。
南から旅行の本を扱うファロッサ書院、さまざまな本が積み重ねてある駄楽屋にはない。
では天牛書店ではどうかと目を皿のように探してみたが見つからない。
近くにある文学書を専門に扱う矢野書房はどうかと隈なく探してはみたがただの一冊も見当たらない。
栞書房もやはりない。それではと日本一の古本やである「ブックオフ 難波戎橋店」も訪ねてみた。
しかしここにも単行本、文庫本とも一冊まで見当たらないのだ。
やはり西村賢太の班はこのところあまり売れていなったのだ。
それが本人のストレスが担っていたのかもしれない。
Amazonで文庫本を調べてみたら角川文庫は在庫ありになっているのがかなりある。
これはもともと在庫があったのかもしれないが、亡くなってから重版したのかもしれない。
西村賢太がよく書いていたが、角川文庫なら小ロットで重版をかけるシステムがあるそうなので、これは亡くなってから入手できるようになったのかもしれない。