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古本屋日誌
昨日は先日ようやく開館した中之島美術館に出向いた。
京阪の渡辺橋からすぐのところにある、全体が真っ黒の、カーバー神殿のような立方体のビルだ。
「超コレクション展、99のものがたり」と題された所蔵作品の展覧会で、2階から入って1500円支払い、エスカレーターで4階の展示室まで行くというスタイルだ。
かなり長大なエスカレーターで、梅田スカイビルや国立文楽劇場と同じスタイルで、日常から異空間に旅立つ心構えを固める時間となっている。
佐伯の絵や、閉館したサントリーミュージアムが持っていたポスターの展示など面白いものがたくそんあったか、やはり俺には鴨居玲の「街の音楽師」が印象的だった。
2メートルになろうかという長細い絵に、例の陰鬱で、人生の重みを感じさせる音楽師の姿が捉えられている。
一見して、その異様な迫力に打ちのめされる。
ごくそこらへんの普通の人の人生て実はかなり波瀾万丈なんだよなあ。
芸人とか作家とかいわゆる有名人の人生なんか、それに比べたら平凡そのものでつまらない。
そういうことは長く人間をやってたら、誰しも思うことなんだが、この絵にはそれを改めて感じさせる迫力がある。
「鴨居玲画集」は古本屋をしていても、まずお目にかかれない。
神戸大の木村幹がPHP新書から「誤解しないための日韓関係講義」を出した。
日本の一人当たりのGDPがすでに韓国に及ばないことは知っていたが、それは2015年からで、年々差が開いていることは知らなかったな。
もちろん台湾にも負けている。
例の強制連行訴訟で日本の企業に賠償を命じる判決が出たことへの報復として半導体関連の輸出規制を2019年に発動したが、韓国企業は打撃を受けるどころか業績をぐんぐん伸ばしていることもにも驚いたな。
しかしこの本のポイントはやはり韓国がずっと日本に謝罪や賠償を求め続ける姿勢の原因を分析しているところなのだ。
木村はこれを韓国人の「DNA」や民族的特性に求めようとする従来の見方を批判する。
その論拠は日本への批判が激烈になるのは1992年以降であり、それまでは友好関係が続いていたわけだから、民族性などに根拠を求めてしまうと、この変化の説明ができないというのだ。
木村はこれを日韓の経済関係に求める。
1990年ごろまでは日本と韓国の経済的な差は大きく、貿易にしても韓国は日本に依存していた。そのため、大衆の間には常に慰安婦問題や強制連行への怒りが渦巻いていたのだが、韓国の政治指導部がこれが噴出しないようにコントロールしていたというのだ。
ところがこの30年ばかりの間に韓国経済は長足の発展を遂げ、日本への依存などなくなり、経済大国となった。
もはや指導部としても大衆の怒りを抑える必要がなくなったから、ただ静観しているだけとなっている。
これがこの30年の日韓のいがみ合いの根底にあるというわけだ。
うーんあまり説得力のある主張ではないな。
木村も言う通り、韓国の人たちには一貫して植民地支配への大きな怒りがある。それはイギリスとインドなどその多くの植民地、フランスとリビアとかと比べても特異な現象だ。
それを韓国の経済発展と日本の地位の低下だけで説明するのはいかにも無理があるよなあ。
今日は実に冷える。
京都で仕入れ。途中BALビル地下のMARUZEN -ジュンク堂に出向いて西村賢太の本を見た。
角川文庫は「一私小説書きの日乗」や「どうで死ぬ身の一踊り」などを増刷している。
しかし講談社文庫や新潮文庫は品切れのまま、やはり角川文庫には少部数でも重版をかけるシステムがあってセコく儲けようという魂胆なのだろう。
三条河原町の「大学堂」にもレジ前に「京大 吉田寮通信」なるパンフが置いてある。
婆さんの話では
「若い人が『置いてくれ、置いてくれいいますんや』でもきょうびの若い子て個室欲しい、みんなで寄って生活するの嫌がりますよね」
そらそうだよ、昔みたいなプライバシーゼロ社会に俺は戻りたいとは全く思わない。
パンフの中身だが大学が耐震強度に欠けるとの理由で吉田寮から出て行くように迫り、現在京都地裁に提訴している。
学生としては寮のことは自分たちで決めたいのに大学が一方的に押し付けてくるのが気に入らないという話だ。
さてその寮費が月にたったの2500円という学寮で何をやっているかといえば
「研究に専念している人やだらだらしている人の他に、自作ゲームをプログラミングしている人、ピアノを演奏している人、野菜を栽培している人、チーズにカビを生えさせて食べ比べしている人、大量に料理を作って配っている人などがいます。」だそうだ。
要するに大半はいちびっているわけだよな。
京大はそういうバカの巣窟だから、認めてやって下さいよ、皆様方、お願いします〜という文面だ。
世間へのアピールとしてはいかにも弱いよな。
もっと底抜けのバカさ加減を示してもらいたいものだよ。
それはさておき、お客さんの話では
「西村賢太は芥川賞を取ってから、年収が億に迫るようになったよな。
「藤澤清造全集」全7巻なんかなんの問題もなく刊行できるのに、やらない。それはな『金を握ったらな、人のために使うのが惜しくなった』からなんや。
俺はそれは正直でええやつや思てんねん。
受賞する前の小説で、散々『金がない』とか『同棲してる女の実家から300万、印刷所に渡す金として引っ張った』とか書いてたわけやから、カッコつける人間やったらさっさと全集くらい出してしまうやろ。
それを賢太はやらへんねや、金が惜しい言うてな」
武田百合子の「富士日記」は世評の高い作品で、ずっと中公文庫から全三巻で出ていたが、2019年に巻末にエッセイを加えて新版が出た。
その昭和42年7月11日はこうなっている。
「ここに小屋を建てる前は、夏になると長野の角間で過ごした。
主人は<部屋の中に坐って仕事をしているらしい。字を書いているというからお習字の先生かな>などと村の人たちに噂されていたが、一日中ぶらぶらと、何となく子供を連れて道を歩いたり、郵便局に行ったりしている私のことは「奥さんは気が変だから、頭に効くここの湯につかりにきているらしい。
その合間に旦那は字を書く仕事をしているー旦那も大へんだなあ。奥さんも可哀そうだなあ」といっていたらしい。
村の女の人二、三人にとりかこまれて「東京にいるときは何をなさるかね。東京の女の人の仕事はどんなんかね」と訊ねられ「ええと。ごはんを作って買い出しに行って、また、ごはんを作って。それから洗濯もする。客がくればもてなすなどなどね」と答えると
「はああ。おらたちは、そういうことは野良から帰って一休みするときにするなあ。いつも休んでると同じことだなあ」。
羨望どころではなく、バカにされた。もの書きというのは、虚業家だなあ、と主人はいうことがある。
私は実力なし、虚力の女だ。
門の前に車をとめて、ドアを開けて出ると、隣地の工事の人(おじいさんである)トラックの荷台から、まじまじと私をみつめている。口を少し開けたまま、銅像みたいに動かない。こんなにみつめられたのは滅多にないこと。何だって驚いたのだろう。似た人でもいるのかしら。」
いくら昭和40年代とはいえ、石原慎太郎の「太陽の季節」や三島の「潮騒」のヒットもあるわけだし、物書きという仕事を大衆が理解していない現実に驚かされる。
東京の女の仕事の説明は間違ってるけど、それにしてもおばさんの己の生活やスタイルへの絶大な自信にも驚くばかりだ。
西村賢太は大正時代の作家藤澤清造のファンで、だいぶ前からその全集を7巻で刊行すると公言していた。
20年くらい前には「藤澤清造全集内容見本」なるものを出して、その中で全集の第1巻の刊行は2001年の3月上旬としていた。
しかしそれは果たされることもなく今日に至っている。
2007年には「文学界」に「小銭をかぞえる」という小説を載せた。
それは例の「藤澤清造全集」の発刊にあたり、印刷会社に内金を入れなければならないのだが、その30万の金が用立て出来ず、はるばる千葉の田舎町まで知り合いに金を借りに行ったり、同棲している女の父親に金を出させる算段をしたりするはなしだった。
確かにこの2007年頃は西村も貧乏で金の工面に四苦八苦していたのだろう。
でも「一私小説書きの日乗」で西村本人が書いているのだが、芥川賞をもらう前の年、つまり2010年の年収は480万だったそうで、それなりの金額であるよなあ。
また芥川賞をもらった2011年の収入は新潮社からだけで3600万あったと書いているから、その他の出版社からの分を合わせたら相当なものだったことは間違いない。
それにもかかわらず「藤澤清造全集」はただの一冊も出なかった。
西村賢太にその意欲が薄れたのだろう。
でも毎月の藤澤清造の命日にはほぼ欠かさずの能登の七尾まで出向いて供養は欠かさない。
飛行機代や宿泊に、お寺さんに納めるお布施などを考えたら毎回の10万くらいは要るだろうに、よく続けたものだ。