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古本屋日誌
このところ連日の本を読む置いている倉庫の掃除をして、ゆかに溜まったこなぼこりなどを除去している。
埃はそのままにしておくと、光が当たると焼けの原因になるのでこまめに掃除しておかないといけない。
ただそのために喘息が悪化して、咳が頻繁に出たり、鼻水も止まらなくなったりする。
2ヶ月ぶりにかかりつけの、萱島駅近くの内田クリニックを受診、問診、その他の検査、レントゲン。「写真は前と変わりないな、結核の痕がこれで、やはりその部分は少し収縮するのよ」
「掃除は気ィつけんとあかんよ、埃がアレルゲンになることが多いから、どうしてものときはマスクをきちんとしないと」とのことで、あれこれ薬を処方してもらう。
俺は2011年に結核になって寝屋川の大阪病院に40日くらい入院したのだが、患者への病気についてのアナウンスは全くやらないいい加減な病院で、今思い出しても腹立たしい。
そもそも結核はら法定伝染病なので、入院費や病院での食事代はかからない。(その代わり仕事は禁止される)
そのことをまず患者にアナウンスすべきなのに、大阪病院はやらなかったから、少しの間不安な思いにとらわれた。
また予後について、肺の罹患部位が収縮して、息苦しくなることを、退位する際にアナウンスしないといけないのに、それも出来てない。
現代書館から大木茂の『ディスカバード ジャパン』が出た。
大判の写真集でほぼ50年前と現在の、日本各地の国鉄路線(SLが写っている)を比較したものだ。
著者は現在70代後半なので、半世紀前は高校生ぐらいで、バックパッカーみたいに寝袋持参で北海道や東北まで出掛けて、駅の待合室で氷点下を耐えて、SLの撮影に精を出していた。
JR北海道はすでに廃線になったところも多いし、そうでなくても電車区が大幅に縮小されて、貨物の車庫や引き込み線だったところが、草ぼうぼうの荒れ野に成り果てている。
線路の周囲でも桑畑や田圃だったところが耕作放棄で、山林になってしまっている。
著者は、勢い日本の近代化やモータリゼーションに批判的で、原発への批判も含めてキャプションに書き込んでいる。
俺はそれには同調はできないけどね。
ただ函館本線、森のところで、明治天皇が来たことを記す、立派な記念碑がある一方で、汽船が発着した桟橋は朽ち果てて忘れられた、と書いて、さらに、「たかが一人の男が手下数百人に守られて!一度通りかかっただけの印が恭しく大仰に残っているのは滑稽だ」とあるのは面白かった。
今日も出荷はないのでのんびり10時くらいに起きて、ピスタチオクロワッサン、ヨーグルト、メロン、ぶどうで朝ごはん。
昼から天満橋に出て、谷町線で喜連瓜破、てくてく歩いて何年振りかに日之出書房に行ってみた。
もとは地下鉄から上がったところの、交差点に面したビルの1、2階にはブックオフがあったのだが、今はもうなく、薬局になっている。
阪神高速の高架のある交差点を渡り、大きな国道309号線を西に10分くらい歩く。
マンションの一階、歩道に面してたくさんの単行本、文庫本、マンガが並んでいて壮観だ。
店内は横長の長方形をしていて、40坪以上はありそうだ。
文庫、新書、文学書、朝鮮関係の本、エロ本、建築書、大阪本、占い本、オカルト本、大型本、歴史書、ヤクザ本、辞書、マンガ、写真集、芸能本などいろんな種類の本が見やすくまとめて置いてある。
本棚は非常に高く、180センチ以上あって、上の本を見るための踏まえつぎが幾つも置いてあって便利だ。
通路も広く、地べたに本を重ねて置くということはなく、楽しく本をチェックできて素晴らしい。
俺の興味のある文庫本は、レジの近くに最近の文庫コーナー、小説コーナー、時代小説コーナーが続いて、通路を隔てて、中公文庫、ちくま文庫、講談社学術文庫、岩波文庫がずらり並んでいる。
そのすぐ前、通路を隔てた本棚にはいろんな新書、講談社文庫、新潮文庫、文春文庫などのノンフィクション系の本がまとめてある。
またその本棚の続きには文豪の各種文庫が作者名の五十音順に並んでいて目を引く。大江健三郎、山口瞳、開高健、村上春樹、沢木耕太郎。
これはすごいことで、普通の古本屋はそこまで丁寧に本を分類して並べていないから、お客さんにはとても便利だろう。
値段は一つ一つ、ついてる本もあるが、大半はアバウトな感じで、1000円以上のものは500円というような値付けだ。
今日は土曜なので出荷はなく、10時くらいまでゆっくり寝る。「FIVE RUN」のパンとコーヒーで朝ごはん。
大阪を代表する古本屋は天牛書店とブックオフ、心斎橋店だと思う。
ブックオフは、しばらく売れない本は値札の上から値引シールを貼って値下げして売っている。
それでも売れない本は、これは俺の推測だがほかしているのどろうと思う。近所の古本屋に営業をかけて売れない本を安く売ろうとしている話はだいぶ前に聞いた。
売れない本を処分するのは古本屋の仕事の大きな部分を占めていることは今更言うまでもない。
では、並び立つ天牛書店はどうなんだろうか❓
これまで20年以上通っているが、値札の上からダンピングした価格が貼られているのを見た覚えがない。
ここからも、俺の推理でしかないのだが、売れない場合は4つの方法があるのではないか。
❶そのまま売れるのを待つ。これは例えば本店では講談社文庫の『超日本むつかし話』が数年そのまま置いてあることから、おそらくある程度行われていると思う。
❷天神橋店に持って行って売る。場所を変えたら、客層も変化するから売れる可能性が出てくる。以前本店にあった中公文庫の『第三の波』が今は天神橋店にある。
❸値下げする。これはよくわからない。
❹処分する。これもよくわからないが、やっていないとは思えない。
ただ天牛の場合、元々の売値が安いので、大半はまもなく売れていくのだと思う。そうなれば、新しく入荷した本のために、マンパワーを使って本棚を整理する必要もないわけだ。
別冊太陽の2019年の11月号は「京都が京都である理由」と題して、さまざまな論点から京都の魅力を論じている。
その中ではチャップリンの研究者である大野裕之の論考が優れている。
大野は、京都が町屋(実は、大した歴史を持つものではない)、京料理(実はあじないものだし、高い)、おばんざい(実は、そもそも粗末なおかずであるのに、高級感を演出して売っている)、寺社(実は、元々人気がなく、エロとセットになっていた)舞妓、芸妓(バカの虚栄心をくすぐる装置)などといったイコンを巧みに利用して、観光都市、国際都市として現在の地位を築いたと論じる。
大野の優れたところは、そういうイコンが実は大した伝統を持つものではなく、観光都市として立脚点を確保するために、近々数十年の間に作られたものだということを指摘している点だ。
徳川時代から、京都は観光都市であったが、神社仏閣だけでは集客できないので、風俗産業がセットになっていた。
現に、1990年くらいまでは木屋町通りは普通に歩けないほど呼び込みが行われていたし、五条楽園も健在だった。
これはある意味潔い感じが俺はしたな。
寺や庭の価値なんか大したことないと割り切って、それと並び立つ新たな価値観を創生しようとしていたわけだから。
ところが現在の京都は実に不真面目だし、女々しく、下品だと思う。
せいぜい、昭和の初期くらいの町屋をカフェにして客を集めているのはまだしも、古い建物を壊して、マンションを建てる際に前の道にこっそり小川を作り、それらしく樹々を移植して古めかしい雰囲気を製造したり、更地に記念館を作ろうとして、わざわざ古い木材を取り寄せて歴史があるように見せかけたりしている。
それはさておき、京都人は風景の一部を切り取って商品化するのに長けていることも大野は論じている。
これもその通りで、喧騒の巷から一歩料亭に、禅寺に庭園に足を踏み入れたら、そこは打って変わってそれなりの絵になる風景が提供される。
ここまでの話は納得できるのだが、続いて大野は、大阪は歴史的なハイクオリティな遺産を使えておらず、お笑いや粉もん、おばさんなどというものを押し出す戦略は愚かしいという。文楽、歌舞伎、由緒といったものを見捨てているというのだ。
これについてはまったく共感できない。
大阪はそもそも京都のような観光都市ではない。
確かに昨今はインバウンド需要でそういう側面も出ているのだが、元々は東洋のマンチェスターであって、つまりは工業都市なのだ。木津川沿いの巨大な造船所群、堺のコンビナート、桜島の工業地帯、吉野杉を使った製材業、これらが売りだったわけで、稼いだ金を使う巨大なキャバレーがミナミに用意されていた。
大野の視点は完全に観光都市である京都からのものであり、それを杓子定規に大阪に当てはめようとするものであって、到底賛成できない。