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古本屋日誌
今朝は花曇りで近所の北巣本小学校のサクラはすでに満開となっています、ただ旧寝屋川沿いの桜並木は三分咲き、おはかのは蕾膨らむといったところです。
このところお客さんから著名な文庫本の1刷を探してくれたいうご依頼を続けて受けました。1刷は帯が付いていたり、特別なカバー絵があったり、カバーの裏にもスペシャルな仕掛けがある本もたまにはありますが、基本的には古びて保存状態がよろしくはなく、また誤植がそのままになっていたりしますから読むぶんにはイライラさせられます。ただ保存状態が素晴らしく良かったり、帯に面白い推薦文があったりすると楽しくはなりますね。
また自分の思い入れの強い作品であると手にしてみたくなることは理解できます。ソルジェニーツィンの「収容所群島」の新潮文庫1刷はあまりみたことがありません、冒頭の「あなたは逮捕されました」の一文は刺激的で確かに初版を手にとってみたくなります。また講談社文芸文庫の吉田満「戦艦大和の最期」の帯付きの1刷はぜひとも手に入れたい感じもします。中身は大量虐殺の血腥い話ですが、戦闘直前に厨房から全艦アナウンスで「今日の夕食のメニュー」が楽しそうに流れるホッとするシーンもあって、これがブルーと白を基調にした文庫の装丁と妙にマッチして心惹かれます。
神永暁の「悩ましい日本語」が角川文庫から出ました。著者は日本最大の国語辞典「日本国語大辞典」の編纂に長年従事していて、最近の国語の乱れや今の変化に精通していて興味深い指摘も多い。
「全然」は打ち消しを伴わないで使われることも多い、漱石にもいくらも例がある、「噴飯もの」を面白いではなく起こっている時使う事例が観察されている。北原保雄が書いていた「気になる日本語」シリーズみたいな本で、北原ほどではないが言葉の解釈を一方的に決めつける流れに逆らおうとする姿勢が感じられた。
「全然」もそうだが「たぶん〜だろう」とか「たり〜たり」とかいうのも学校で教わったのだが取り立てて根拠のあるものではないようだ。学校ではとにかくなんでも単純化しないと教えにくいし、不特定多数に話をするとなるとすぐに単純化されてしまい、行き過ぎる。漢字でも「天」や「吉」は上を長く書くように指導されるのだがそんなことは全くなく下が長い字も正しいしだいたい「吉野家」なんかは下を長く書いている。「貫」という字も学校ではなぜか「貝」の上をはねないように書きなさいと指導しているが、そんな根拠はどこにもない。「様」もつくりを「水」のように書いてもなんの問題もないのにテストではダメだとされている。
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しかし今は人口減で大して混まなくなり、合わせてスマホや性能のいいヘッドフォンがありますから通勤時間は自分のスタイルで過ごせる、有意義な自由時間みたいになりました。
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今朝は花曇りのようなどんよりした空模様で、気温はそこそこ高い。
以前日の丸文庫が出した平田弘史の「血だるま剣法」なんだが扉が5ページと表示してあって、その前の4ページ分はどうなっているのか不思議に思ったことがあります。表紙とその裏もカウントするにしてもあと2ページ足りません。まんだらけ大阪店で聞いてみたら「あれは落丁があるんちゃいますかね、その分安してますわ」とのことだった。
まあ貸本だしいろんな子供の手を経ているだろうから欠損することもあろうし、そこにあったのは目次とかその類で間違っても平田弘史の序文や手塚治虫の推薦文ではあろうはずもなかろうからまあのうたかてかまへんと思てました。
今回肥田晧三の「再見なにわ文化」を読んでいたら徳川時代の上方の子ども絵本の話が出ていてこれらは例外なく3丁から始まっている、つまり1、2ページはないものとして作ってあるとのことだった。肥田が言うには近世本の巨大なコレクターはいろいろいるが、10万冊から集めている人のコレクションにもなぜか上方の子ども絵本は全く含まれていない。これはいくらでも絵本を目にする機会はあったはものの、3丁から始まっているため「こりゃあ落丁やな、完全な本にそのうち出会うやろからその時に買おう」と判断して買い入れなかったためではないかと言う。
なるほどもっともな説明で絵本から漫画はともに女子どもの手すさびということで、繋がりがあるわけだから、近世の伝統を継承して1、2ページはないものとして漫画を作っていくことは十分にあり得ます。まあ平田弘史では子どもは安らぐことはなくかえって泣き叫ぶでしょうけどね。
それはさておきこの「血だるま剣法」は今は青林工藝社から復刻が出て手軽に読める、ただ一部のセリフは伏字にはなってますけどね、その昔は貸本でしか手に入らず大変でした。アメ村のボウリング場の地下で行われた漫画の古本市で奈良の「五輪書」という古本屋がこの貸本を目録で出品していて値段は10万円でした。すぐに申し込んだが抽選に外れて入手できず、結局オークションで下鴨の旧家のコレクターの人が出しているのを見つけました。
ところがその本は終わりの方にかなり落丁があり、蛇のように身体に鱗が生え機敏に動きながら、虎のように木の上から落下して相手を串刺しにして殺害する主人公と兜の先端を長く伸ばして、鋭く尖らせて、落下する相手を返り討ちにしょうという決闘の結末がわかりません。
仕方なく完本を所蔵している早稲田近くの「大宅壮一文庫」の会員となりコピーしてもらってようやく全体を読んだことがありました。
こんなおかしな事態になったのもつまりは言論の自由を封殺しようという連中が跋扈していたからで、今もその流れは尽きることはありませんね。