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古本屋日誌

2019-04-08 09:23:00

今朝は雨も上がり清々しい陽気ですが、さすがに満開の桜も落花狼藉、はや散り初めとなって、若葉がのぞいていますね。

今はショッピングモールになってしまった「阪神パーク」は往時はあのレオポンの動物園に加えて巨大なプールもあってかなり遠方からも客を集めていました。

このデラックスプールは失われた海浜を再現するとのコンセプトで「造波装置」が備え付けてあって、絶えずさざ波や時には大波が押し寄せる構造になっていて、体がフワリと浮き上がる感覚が楽しめました。まあそれはいいんですが、プールサイドにはたくさんの椰子の木が植えてありました。南国情緒なんでしょうが、失われた海浜だったら瀬戸内海の遠浅でしょう。

また高さ10メートル、巾70メートルを越す大きな滝がプールに流れ込み、さらには巨大な滑り台も備え付けてありました。この滑り台はかなり高さがあって、しかも横幅が広く滑り口のところから造波プール全体を遥か遠くまで見晴るかすことができました。私は怖がりでしたから滑り降りるよりは上でグズグズしているほうが好きでした。

「だからあなたも生きぬいて」の大平光代はヤクザの嫁をやめて一念発起して弁護士を目指して合格するんですが、合格祝いに家族で阪神パークに来る話で締めくくっていました。野球も観れるし、プール、ボウリング場、動物園にテニスコートと娯楽の殿堂として、また人生の再出発を祝うハレの場としてもふさわしい施設だったわけです。


2019-04-07 01:18:00
城郭研究家の岡本良一がおおさかの人は徳川嫌いなんだということをあれこれ書いている。
家康は夏の陣の後戦勝をたたえるために自分が本陣を置いた茶臼山と秀忠の岡山をともに「勝山」と名付けるように指示したという。
現に「摂津名所図会大成」には茶臼山を勝山とする記述があるというが、なぜか勝山の茶臼山の方は明治になって徳川に遠慮する必要がなくなると元の茶臼山に戻った。これは徳川を嫌う大阪市民の意思の反映だというのが岡本良一の考えだ。
しかし勝山の岡山の方はそのまま勝山で、むしろ「勝山通り」とか「勝山一丁目」てな感じで通りや地名にまで拡大してしまったという。岡本は茶臼山は大阪市内であるのに対して岡山は明治にはまだ郡部だったので家康への思い入れはなかったのではないかとその違いを説明しているが、根拠はないな。だって田舎の人は徳川好きで都会はそうじゃないてて、わけわからない。
そんなもんおんなじ地名が近所にあったら不便だからでしょう。徳川時代でも間違いなく茶臼山と呼んでいたに違いない、だってこの二カ所はすごく近いですからね。一々こっちは「勝山1」でそっちは「勝山2」とかいうわけにはいかないでしょう。

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2019-04-06 10:34:00

飛鳥新社が出した「サピエンス異変」は座ってのパソコン作業が生業となった現代人が陥る様々な疾病に関して網羅的に警鐘を鳴らす書物だ。人類は何百万年もの間草原から草原に移動する生活を送っていて、そのため足や腰、背骨は長距離の移動に特化した構造になっている。ところがわれわれは日がな一日デスクワークに明け暮れる日々を過ごしていて体に大きな負担がかかっている。まあそれは確かにそうだろうなあ。しかしそうだからといって、むやみやたらにどこに行くのでも歩いたらええとはならない。逆に関節を痛めてしまうこともあるからだ。
二酸化炭素が今後とも大幅に増えるために植物の光合成はより活発にはなるのだが、それに必要なビタミンやミネラルは地下の根から吸収するが当然ながら土に含まれる栄養分は今と変わらない。つまるところ作物に含まれる栄養価は大きく下がるので、人類は必要なミネラルを確保するためにたくさんの作物を食べなければならず、肥満の原因となるとある。
まあこれはそうかもしれないがかなり後の話でリアリティにはかけるよなあ。
以前猖獗を極めた古代礼賛本に似ていて、平均寿命も乳児死亡率が4割くらいあるので平均寿命は45てなことになるが乳児の時期を乗り越えたら現代人と遜色ない寿命だというが、そもそも乳児死亡率がそんなにあったら、おんなじなどとは決して言えない。

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2019-04-05 01:23:00

大阪観光協会が出していた「観光の大阪」の1971年2月号に大阪の観光コースで夜の部のルポが載っています。5時10分に大阪駅前を出て、新大阪ホテルで夕食、ついで難波の新歌舞伎座。だんちょうが堂本印象、掛軸に楯彦、深水、魁夷、松篁などがある中で歌舞伎を一幕鑑賞、さらに御堂筋の西側にあったキャバレー「美人座」がしめに入っていて、1時間、4人に1人ホステスがついてくれ、飲み物もビール1本とおつまみ、これで1600円だそうでなかなか楽しそうだ。「美人座」は何もかもがガラス張りで、テーブルが400とホステスが300人いて、天井に黄色、オレンジ、紅の三段になった超特大のシャンデリアがあって色が変わりながらぐるぐる回るので圧倒されるといい、その奥に舞台が設えてあってダンシングチームの越後獅子や助六ショーが観れる。
なるほど、これは中座の歌舞伎とその前の芝居茶屋を合体させたようなサービスなんですね。中座の越後獅子や助六、三番叟はおめでたい席の座興で、本格的な歌舞伎の前座みたいなものです。それが終わって幕間に芝居茶屋に客はくりこんで、幕の内弁当をつまみ、また馴染みのホステスとイチャイチャしたわけです。これを「美人座」は一体化して楽しめるようにしたわけです。女もはべらし、美味いものも酒もたしなみながらめでたい踊りを見る、確かに良さそうです。
またあれですね、問題は1時間で切り上げられるかですね。ホステスはその道のプロですから気難しい客をうまいことあしらって「どないですやろ、もう1時間だけ延長してもらわしまへんか」とかゆうだろうし、私は断り切れる自信はないですな。

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2019-04-04 11:15:00

今朝はえらいよう晴れて春本番を思わせる陽気です。

昨日寝屋川の駅からバスで打上川に出向いて花見と洒落込みましたが、まだ五分咲きくらいで、6時半からのライトアップは待たずに帰りました。

大江橋北詰めにある新新大ビルはミラービルで堂島川に壁面が映えて見栄えはいいが、新大ビルの時の売りの屋上のジャングルが失われてしまった。どういう仕組みになっているのかようわからなかったが、花壇レベルではなく、かなり幹の太い大木までたくさん植わっていて左には市役所北側は阪急百貨店、や堂島ビルヂングを望むことが出来て森の梢から高層ビルを見る風景は幻想的で面白かった。

この新大ビルと三菱銀行ビルにはさまれた堂島北通りを西に向かい四ツ橋筋を渡ったところにはかつて大阪大学医学部講堂があって毎年3月18日に入試の合格発表があった。二次試験はなぜか石橋でやるのに合格発表だけは堂島でやるんだからようわからん大学だった。そういうハレの場に堂島がふさわしいと思っていたのかもしれないが、その後さっさと付属病院ごと吹田に移転してしまい、やっていることが支離滅裂だった。

そういえば天満橋のOMMビルは最上階にシートが360度回転する仕掛けのサテンがあったけどなあ。席料が350円かかるんだが、確か45分くらいかけてぐるっと一周できた。このビルは80メートルくらいだと思うけど北側は大川に面していて山崎の鼻や市役所、図書館、公会堂などがきれいに望めた。しかし45分はちょっとかけすぎで、私の行った経験ではあまり客は入っておらず、入ろうとして店員から「ぐるりで45分楽しめますよ」と言われて入るのをやめてる人がしばしば見受けられた。