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古本屋日誌
今日は友人の亡くなった叔父さんのお宅に出向いて、片付けの手伝いをした。
このおじさんは萱島で散髪屋を経営していたのだが、5年前に嫁さんに先立たれて、ニコイチの長屋に一人住まいだった。
88になるまで50年以上そこで暮らしていたそうで、普段はワタミの弁当を宅配してもらっていた。
これが幸いして、配達に来た従業員が玄関の鍵も開いてるのに、シーンとして人のいる気配がない。
近所の婆さんに尋ねたら
「あんたな、よう見とかなあかんで。ひょっと中で倒れてるやもしれんで」と言うものだから、部屋の中に入って探してみたら、誤嚥性肺炎で倒れていたのを見つけた。
講談社から鮫島浩の『朝日新聞政治部』が今年春に出た。
鮫島は元政治部のデスクで、2014年に福島第一原子力発電所の「吉田調書」をスクープした人物だ。
この本はその「吉田調書」をめぐって、鮫島が被った不当な処分の話だ。
東日本大震災4日後、3月15日第一原発は制御不能の重大事態をむかえていた。
その日、所長の吉田は、第一原発で事故収束作業中だった社員に、第二原発に避難せず、現場に残るように指示した。
しかし、大勢の社員は避難してしまった。
鮫島は東日本が壊滅するような危機的な事態にあって、我が身の安全を優先した社員を責めることはもちろんできないという。
その上でわが国の危機管理体制がいかに脆弱かを問題提起したのだ。
ところがこのスクープが、後々大変な騒動をひきおこす。
吉田の指示を、直接は聞いていない社員もかなりいたため、「命令に従わなかった」という朝日新聞の報道は誤報ではないかと騒がれて、結局鮫島はその責任を取らされて「停職2ヶ月」の処分のうえ、降格された。
なるほど確かに理解に苦しむ処分だし、意味不明な批判だよなあ。
吉田の指示を直接聞いてない社員もかなりいたから、朝日新聞のスクープは誤報だとか煽っていた連中こそ、ためにする批判をしてるだけだよ。
朝日新聞を叩く材料だと飛びついた。
それはさておき、ほぼ同時に従軍慰安婦問題で、朝日新聞が長らく誤報を続けていた件について、謝りを認める記事を出したよなあ。
俺は朝日新聞は、例えば済州島で帝国陸軍の将兵が一斉に朝鮮人の女を刈り込んで慰安婦として動員したなどという「証言」がデタラメであることを、十分認識していたのではないかと思っていた。
しかし政治的な立場として何としても保守勢力を叩きたいので、敢えて正邪には目をつぶってキャンペーンをしていたのではないかということだ。
だって鮫島が書いた福島第一の「吉田調書」の件がそうでしょう。
読売新聞にせよ、産経新聞にせよ、暴走する原発を社員が我が身かわいさに見捨てて逃げてしまうことの問題性ぐらい十分わかってはいる。
しかし、政治的立場として何としても朝日新聞を叩きたい❗️だから正邪とか問題の本質なんかはどうでもよくなったのだ。
朝日新聞も従軍慰安婦問題についてはそういう政治優先の方針だと思っていたのに、なぜ2014年に一転して誤りを認めたのか、実に不思議だ。
このところ寒い。朝は薄氷が張るまでに冷え込んでいる。
こういう時、なんといっても布団から出ずに朝寝を楽しむのが一番だ。
といっても9時をすぎると、背中がさすがに痛くなってくるので仕方なく起きる。
前の晩は例によってオスネコのカイが、2階の寝室にあがろうとするわしのところにすり寄ってきた。
階段を一緒に上がるのだが、カイのネコは一気に上がることをせず、数段上がったところに立ち止まり、足元にじゃれついてくる。
「ゴロゴロゴロゴロ〜」とあたりを憚らず喉を鳴らしているのだから、相当なご機嫌だ。
2階に上がって、さてお決まりのお尻パンパンをして差し上げる。
尻尾の付け根あたりを速いペースで叩いてもらうのが、カイのネコは大好きだ。
ひとしきり「ゴロゴロゴロゴロゴロゴロゴロゴロ」があって、さて俺はようやく寝ようとなる。
もちろん掛け布団を持ち上げて「さあ、さあ、さあ入りなさい❗️❗️」と何度も促すのだが、カイは目もくれない。
これまた例によって隣の部屋で舟をこいでいる嫁のところに忍び寄って「ニャーニャーニャー」などと甘えた声を出して、布団に入れてもらっているのだ。
安田峰俊は、天安門事件を扱った『八九六四』で大宅賞を受賞した辣腕のルポライターだ。
15日の朝日新聞に中国のゼロコロナ政策の転換に関してコメントを寄せている。
「ゼロコロナ政策で連想するのは、50年代末に毛沢東が強引に推進し、多くの餓死者を出した大躍進政策です。
大躍進政策を止めたのは、党内の権力闘争の結果で、民衆の怒りではなかった。
ゼロコロナについては、『民衆の声が政策を修正させた』という認識が広がっています。そこは肯定的に捉えていいと思います」
200万の餓死者を出したともいわれる大躍進政策だ。普通に考えたら大規模な抗議デモなり、ストライキやボイコットが頻発して共産党政権は窮地に陥るところだ。
しかし大衆はおとなしいままで、怒りが爆発しないのも不思議だよなあ。
そして政策の変更は共産党内部の権力闘争で、風向きが変わったからというんだから、想像を絶することだ。
このへんは中国の大衆が伝統的に帝国が好きだというのと関係があるのだろう。
皇帝や支配者のおっしゃることを好む、気にしないようにする姿勢がはっきりとあるということだ。
安田もそのことを縷々指摘している。
でも安田は中国の大衆の姿勢をそのまま肯定するものではない。
かつては為政者の暴政で大損害を被っても耐え忍んでいたが今はそうではないのだと。
大衆の意向が社会を動かすのを認めているわけだから、その意味ではれっきとした近代主義者に思える。
『文藝春秋』最新号に島田雅彦がエッセイを書いている。来年は文藝春秋創刊100年だそうで、新年号は700ページ以上もある。
「自民党政権が統一教会やナチスの手法に則って、国民を洗脳し、自発的服従に導くことに成功しているのだとすれば、既に日本はアメリカに遠隔操作された全体主義下にある。」
「そろそろ敗戦後八十年が経過するが、いい加減、絶対多数の国民に覚醒してもらわないとやばい。アメリカは自由も平等も民主主義ももたらしてはくれず、ただ収奪するだけなのだ、と。」
これはよくある反米キャンペーンだよなあ。
ウェーバーの言う通り、政治は結果責任なんだから、戦後八十年にもわたり、平和が保たれているのはすばらしいことで、アメリカ様の犬で過ごした日々は決して間違ってはいない。
大日本帝国の時代は、確かに威勢よく、どの国にも頼らずやってはいたが、その挙句があの敗戦ではないか。
だいたい島田雅彦ごとき、なんの才能も能力もない文士風情が、メシを食っていけるのは、平和をもたらしたアメリカ様のおかげではないのか。
戦争をするのは銃後も大切だ。大東亜戦争中の大日本帝国では女はなぜか徴兵されず、そのかわり勤労動員で兵器や食糧の生産に励んでいた。
戦後の日本はいわばそういった女、子どもの国だ。それはそれで結構なことだと思うのだ。