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古本屋日誌
『本の雑誌』にライターの岡崎武士の連載がある。
岡崎は古本に関するエッセイをたくさん書いているのだが、『サンデー毎日』などの連載が打ち切られ、収入が大きく減ってしまうので古本屋をやりたいという。
今月号の連載では幼馴染で、京都で古本屋をやっている山本善行(古本屋『善行堂』)に相談したという。
岡崎は資金の問題で店舗を構えることは考えていないと言う。
山本はAmazonでの通販は本は売れるけど、面倒なこともある。古本組合に加盟したらどうか❓とアドバイスしたとある。
山本は岡崎の蔵書は文学書が多いから、日本の古本屋サイト(古本組合が運営している)で十分売れると言うのだ。
東京はマスコミやら出版社、大学その他本をネタにしてメシを食う産業を独占しているから古本屋商売は簡単だ。
店舗を構えてもなんの問題もなくやっていける。
そもそも文学書を求める客は古本市や店舗で実際に手に取って、コンディションや刊行年、刷などを確かめてから買うことが多い。
通販で販売すると『カバーが求めていたものと違う』とか「刷が違うだろう❗️』とか『こんなに焼けがあるならいらない」とか様々なクレームのもとになる。
よそさんの商売のことだから、なんの興味もないけど、ちょっと気になったのでわざわざ書いてみたのだ。
雑誌『新潮』の最新号は哲学者で作家の千葉雅也の長篇が一挙掲載されている。
千葉は講談社現代新書の『現代思想入門』も話題になっていて、知名度もあるので、この雑誌も発売当初からよく売れていて、例えばジュンク堂では都市部の店舗では早々と売り切れになった。
それはさておき『新潮』には大塚ひかりの「嫉妬と階級の源氏物語」という連載が載っている。
今月号は桐壺更衣への嫉妬の考察でなかなか興味深かった。
平安時代中期には弱者へのいじめが常態化していて、無能や不運は自己責任と考えられていたという。
その例として『枕草子』にある、言動がおかしな源方弘を笑いものにする話が挙げてある。
本人のみならずその供のものも呼び寄せて「なんでこんな者に使われているの?どんな気持ち?」と人々が笑いものにする。
大塚によれば「現世の幸不幸は前世の善悪業の報いと考えていた」そうだ。
確かにそうなると自己責任となるよなあ。
俺としてはそこまで意地悪にならなくてもいいんじゃないのかとは思うけどね。
もともと力のない人はいくらでもいるのだから、そんな人と競争しても勝つのは当たり前だし、どこが面白いのかよくわからない。
今日は本戎で、去年の福笹を持って電車で寝屋川まで出向いた。
昨年はコロナ騒ぎで寝屋川戎は行われず、結局難波まで電車で行って徒歩で今宮戎に参拝した。
毎年寝屋川戎に参っていたんだが、今年の人出は少なかった。
2000円で笹と縁起物のセットを買い、すぐ横にある福引所でガラガラ抽選をし(もちろんハズレで、森永チョコボールをもらった)、本殿で巫女さんのお祓いを受けた。裏参りもできるようになっていた。
さらに本殿の横に、いろんな縁起物やら熊手やらを取り揃えたブースがいくつもしつらえてあって、好みの物を買うのだが、今年は何故か付けてはもらえず、帰宅してから自分で付ける方式になっていた。
京阪電車の寝屋川市駅の大阪方面ホームにある「麺屋」といううどん屋は、なかなか風景が素晴らしいのだ。
ホームが6階の高さに相当するので、ただでさえ眺望が望めるのに加えて、南側は床から天井部まで貫いて、大きな一枚のガラス窓になっていて、大画面から景色を楽しめる。
すぐ前は歩道橋とロータリーで、道行くたくさんの人たちの表情まで観察できるし、ロータリーの向こう側にはイズミヤとアドバンス寝屋川があり、その向こうには電通大の巨大な電波塔から生駒山地までみはるかすことになる。
また同時に大阪方面のホームを眺めることができる。
右手には雄大な生駒まで連なるランドスケープ、左手にはせせこましい、日常の些事にかまけて、右往左往する、私同様の人たち、これがいい。
1983年の夏休み、京都大学の教養部は静かだった。
理学部の太田くんは図書館で勉強しょうと、D、E号館に続く南北の道から、入り口まで数段設けられた階段にかかっていたところで、ポニーテールの20くらいの女に呼び止められた。
「私、聖書を研究しているものなんですが、聖書に興味はないですか❓」
「ないような、あるような」
「今の世界は、どうなんでしょう、夕張の炭鉱事故のような痛ましい惨事がありますね、頑張っても報われないおかしな世界だと思いませんか」
「そら、思うわな」
「人間が堕落してしまった原因を解き明かした理論があるんですよ、ぜひ耳を傾けてみませんか❓」
「こないだ正門で揉めてた原理の人ちゃうん❓」
「いや、いや、もめてません、ちょっと手違いが……」
とここで、全然見ず知らずのロン毛の女が介入してきた。
「お前な❗️原理研やろ❗️(つまり統一教会の人間ということ)わかっとんねんからな。ええ加減にさらせよ」
「何やねん❗️勝手にでしゃばるな❗️今この人と話しとんねん」
この後お二人はかなり長い時間、ああでもない、こうでもないとやり合っていた。
太田くん「ちょっと俺、せくよって、いぬわ」と図書館に入ろうとする。
女「ああ、そうなん、でも気ぃつけたってや、こんなバカ女の話聞いとったらあかへんで」
太田くんはちょっと前に正門で統一教会の猛者とぶつかって、本人は大したケガはせなんだものの、スクラムを組ました戦略的な誤りについて、後でいろいろ言われていた。
初めから全部わかってて、この女をおちょくってやろうとしていたわけだ。
ただ途中で全然関係ない学生が介入して、きたのでやや消化不良に終わったな。
この80年代初頭では、統一教会の胡散臭さは普通の学生にも浸透していて、左右両翼でもない連中でも、攻撃的になることがあったのだ。
それにしても俺だったら、喧嘩をした連中をその後おちょくったろうとは思わないな。
1983年の夏、京都大学の教養部にはしばしば統一教会の宣伝部隊が現れていた。
正門前でビラを撒く以外に、教養部の図書館前で、行き来する学生に声をかけていた。
これに不満を抱いた学生もいて、ある時、正門前にやってくる統一教会の連中の宣伝を妨害しようではないか、となった。
しかし情報では統一教会の宣伝部隊の人たちは、テコンドーやら空手の猛者ぞろいで、入試を突破するために受験勉強に明け暮れていたもやしっ子では太刀打ちできそうもない。
普通に考えたら、正門の扉を内側から閉めてしまえば、侵入を防ぐことは容易だ。ところが、理学部の太田くんが言うには
「閉めてもうたら、そら、だあれも入ってはこられへんけど、それだけになってまう。やっぱり、皆んなに原理研(統一教会の連中のこと)叩き出したゆうとこれみてもらいたいからな」
結局、正門前で横並びになり、スクラム組んで統一教会の人たちを押し出すことになった。
7、8人がズラリスクラムを組んで並び、目の前にいる統一教会の猛者を押し出そうと試みたのだが、もちろん大失敗。
スクラムを組んだ側は両手を使えないが、向こうは両手、両足フリーハンド、思うままに殴りつけたり、けとばしたりと散々だ。
くだんのお調子者の3回生も、やられた側にいて、服はビリビリにされるわ、メガネは取り去られてレンズも破壊されてしまう。
太田くんはことが済んでから、カンパを募り、お調子者の先輩に「これ、メガネ代しかないんやけど、ごめんね」と数千円のお金を渡していた。
よく気がつくやつだけど、喧嘩慣れはぜんぜんしてないよね。