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せいゆう丸釣行記

2019-09-23 03:34:00
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台風17号は延岡で竜巻を発生させてJRのコンテナが飛ばされて鉄塔に当たり、鉄塔が根元からぐにゃりと曲がってしまったようだ。

 

振り返ると2006年9月17日にも延岡で竜巻が発生して、特急にちりんが脱線して横倒しになった事故がありましたなあ。

 

 

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この件について 「ポッポ屋のKちゃん」 さんにメールをしたところ、その時彼の先輩にあたるお方が運転していたそうだが、異変に気がついて急ブレーキをかけたから最悪の事態にならなかったそうな。

 

さすがにその道のプロのお方は、緊急時の対処をとっさに適切に行えるのでしょうなあ。

 

 

 

台風17号は東シナ海を通ってくれたのでそれほど激しい風が吹かなかったため、幸いにも船が損傷を受けることはありませんでした。

 

今日までは無理ですが、明日からはしばらく大丈夫かも知れないですねえ。

 

ということでブログネタに頭を悩ませるのも明日の朝までで、今日と明日で夏休みの自由研究みたいな 「コリアの気質について」 の結論を導くことにしますわ。

 

 

 

1986年から月間文藝春秋に冒頭掲載されてた司馬遼太郎の歴史随想 「この国のかたち」 は、彼が急逝した1996年まで続いたが、その中に 「朱子学の作用」 と題して次のように書いております。

 

日本の13世紀は、すばらしい時代だった。

特に強烈だったのは、
開拓農民の政権(鎌倉幕府)が、関東に成立したことである。
農地はそれを管理するものの所有になった。
“武士”という通称で呼ばれる多くの自作農は、”家の子”と呼ばれる小農民を従えて大きく結集し、律令制という古代的な正当性を‘たて’とする京都の公家・社寺勢力と対抗し、
「田を作るものがその土地を所有する」
という権利を勝ち取った。

日本史が、中国や朝鮮の歴史とまったく似ない歴史をたどり始めるのは、鎌倉幕府という、素朴なリアリズムをよりどころにする“百姓”の政権が誕生してからである。

私どもは、これを誇りにしたい。
彼らは、京の公家・社寺とは違い、土着の論理を持っていた。
「名こそ惜しけれ」
恥ずかしいことするな、という坂東武者の精神は、その後の日本の非貴族階級に強い影響を与え、今も一部のすがすがしい日本人の中で生きている。」 と書いております。

 

このことが事実かどうかを自分が知る由はありませんが、日本人が中華とコリアの人々と気質が違うのは案外その辺にありそうな気がしますがね。

 

 

 

というのも色々調べてみますと儒教も朱子学も早くから日本に伝わってきており、それらは江戸時代には武家層を中心に日本に定着し、水戸学に大きな影響を与え、結果尊皇攘夷思想に結びついて明治維新の原動力になったものの、一般民衆には学問としての儒教思想はほとんど普及しなかったそうな。

 

それが幸いして、日本国が中華やコリアと同じ思想に傾かなかったことのようです。

 

 

 

ところで儒教と朱子学とは何だということについては話せば長くなるというか、自分もあまり知らないのでその辺はめいめいでお調べ頂きたいが、中華もコリアも国の最重要なる教えとして長い間そう位置づけしてたそうな。

 

 

 

儒教と朱子学の弊害として指摘されてるのは次の点であります。

 

 

 

1.平気で嘘を言う。

 

2.歴史を捏造して改ざんする。

 

3.自国中心主義である。

 

4.許す文化が無い。

 

 

これこそがまさに今、日韓がかつて無かったような悪い関係に陥った原因を全てこれで説明できますわな。

 

 

 

ただ間違ってはいけないのは、儒教や朱子学が直接的にそのようになりなさいと教えを説いた訳ではなく、長い年月の間に重んじる理念があまりに偏寄り過ぎてたことに起因するものと考えられます。

 

朱子学の問題点は、「実際はこうだ」 ではなく 「こうあるべきだ」 から始まり、次に 「こうだったはずだ」 となり、最後には 「こうだった」 と変化してしまうことのようです。

 

つまり理想を追い求めるが故に現実を直視せず、自分たちに都合の良い歴史を作り上げることが全く問題視されないようだね。

 

歴史認識においてもそんな具合に書き換えられるから実に困った事だが、本人達には罪悪感がまるで無いので始末が悪い。

アメリカの歴史学者に 「日本の歴史はそのものの歴史であり、中国の歴史はプロパガンダ(宣伝)であり、韓国の歴史はファンタジー(幻想)だ」 と言ったお方が居るそうですが、まさに言い得て妙ですがね。

疲れたから明日に続きます。