Welcome

Information

せいゆう丸釣行記

2018-11-08 04:19:00
DSC01625.JPG

 

 

 

 

昨日、かあちゃんと義母と3人で日南海岸をドライブしてきましたが、堀切峠から観察した日向灘は予想通り北からの尖った波が押し寄せて来てて、もし出てたらドッタンバッタンになってノーゲームにしてただろうなあと思いながら、海を横目で見ながら目井津まで車を走らせました。

 

義母は一人暮らししているので、自分がお休みの時たまには外に連れ出してあげないといけないと思いつつ、忙しさにかまけてなかなか出来てなかったので、昨日はお昼ご飯を目井津の道の駅でいただく名目で誘った次第であります。

 

昼食後は道の駅南郷で素晴らしい海の景色を眺めてもらったが、「楽しかったあ!」 と義母に喜んでもらったのが凄く嬉しかったですがね。

 

義母は西米良の山奥の出身で、結婚するまでの若い時期に言葉に出来ないくらいの貧困と厳しい労働を味わってきたらしいのですが、その義母から貰った格言が 「濡れ手に粟は人を駄目にする」 なんであります。

 

自分がまだ若いサラリー時代に聞いてた言葉でありますが、その頃にはあまり心に響かなかったけど、今こうして自由人になって沢山のお方から支えてもらうようになってから、その意味の深さを知ることになりましたねえ。

 

 

 

とりあえず会社に出社して適当に仕事をしていれば給料が振り込まれてたサラリー時代はそれが至極当然のことだったけど、実はそれがいかに有難いことかを知るには、その当時残念ながら至りませんでした。

 

それどころか口にするのは不満だらけで、同僚との会話はほとんど会社や上司の悪口ばかりだったような気がいたします。

 

翻って現在こうして海のガイドを通じて沢山のお方と接することになりましたが、毎日が有難いことばかりで不満な気持ちを持つことが全く無くなったのには驚かされますがね。

 

多分大事なのは 「毎日〃」 の積み重ねなんでしょうが、どんなに小さなことでもコツコツやっていれば 「有難い」 という気持ちがジワジワと芽生えてくるみたいですね。

 

ところが人間というのは心のどこかに 「ドバっと儲かりたい」 という気持ちが隠れているようで、何かの拍子というか交通事故的に幾ばくか儲けてしまうと 「有難い」 という謙虚な気持ちをすっかり無くしてしまうみたいです。

 

そうなると 「濡れ手に粟」 が幸せの目的になり、その代償として精神的豊かさを捨てることになっちまうみたいなんだなあ。

 

 

 

報道やバレエティ番組を観てると、日本人にもいわゆる富裕層と呼ばれるお方達が結構沢山いらっしゃるらしいけど、セレブと呼ばれる富裕層に憧れることを決してしないほうが良いと思いますよ。

 

「天は二物を与えず」 って言葉がありますが、 「頭や良いけど徳が無い」 のと同じように 「金はあるが幸せ感が無い」 かも知れないよ。

 

 

 

およそ5年前、組織から離脱してとりあえず漁師の真似事してかあちゃんと経済的にエライな苦労をした時期がありましたが、昨日ドライブしながら 「このあたりでカメノテを採ってお店に出してみたことあったよね。」 と会話しながら当時を振り返ったけど、幸せな今ではそんな苦難の時期を実に懐かしく思え、今現在の幸せをじわりと噛み締めることが出来ます。

 

自分が考えるに、お金ってのはあればあるほど良いのではなく、お金にその人の苦労が刷り込まれているかどうかが大事なんでして、人によっては1万円が場合によっては10万円の価値に思えることもあるだろうし、逆に1億円が1万円程度にしか感じられないお方もおられるだろう。

 

幸せはお金で買えないと言われますがまさにその通りでありまして、自分は 「幸せ」 という心の問題と、経済的な 「お金」 とはほとんど無縁で異質なものだと考えております。

 

とりあえず普通に質素に生活していければ人生百点満点でありまして、喜びと幸せを求めて小さなことをコツコツやり続けられる人生を送りたいものだと、そんな思いをあらためてさせて貰えた義母とのドライブでしたわ。

 

 

 

さあて今日は田野のおふくろの病院で沖行きをお休みしましたが、これまた要支援の更新の申請したり、買い物に連れて行ったりと結構忙しいんだわ。

 

海の様子も気になるし 「まつかさ」 の修理も気がかりですが、とにかく一つ〃進めて行かないといけませんわな。