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せいゆう丸釣行記

2018-08-25 03:49:00

最近お船の中で本読みが忙しくて、自宅でバラエティー番組を観てないから評論家がどのような解釈をしてるか分かりませんが、近頃ドバっと表面化した中央省庁や地方自治体での身障者雇用の問題について一言。

 

 

 

宮日の1面の下の欄は編集手帳だったっけ、 「上から目線」 という表現してたけど、まさにそれなんだよね。

 

最近では随分薄くなってきたようだが、 「してやってる」 的な高慢なお考えが、お上には確かにあった、いや今もあるかも知れん。

 

そもそも 「お上」 という表現自体がどこから出てきたのか知らんけど、日本の歴史に由来しているのかも知れないが、とにかく日本人はお上に弱い。

 

 

 

今現在90歳を超える自分の父親が公務員だったからよく分かるが、あの時代の公務員には差別的思想が色濃く残ってて、どうやら親父は戦争中には炭鉱でオランダ人の捕虜を使ってたらしいが、 「指導員」 をやってたんだと今でも誇らしげに話す姿を見ると、 「あんた、終戦時に殺されんでよかったね」 といつも思う。

 

親父はどうやらその流れで公務員になったようだが、戦後GHQの置き土産で労働運動が促進されて生まれた総評や国労や日教組などの滅茶苦茶な労働組合の影響だろうか、 「あくせく仕事をせずに給料を貰う」 という完璧に間違った思想が植えつけられられたようで、自分が忙しそうにしてると 「何をバタバタいつもしてるのか?でーんと構えて生活しろ。」 といつものたまう。

 

あくせく仕事をすることは恥ずかしく実に卑しいことで、権利で自動的にお金を手に入れることが理想といった、信じ難い思想を頑なにお持ちのようだ。

 

実際、今では考えられないことだが国労(国鉄労働組合)は、1970年代にはスト権ストとか訳の分からぬ理由のストライキを頻発させ、電車を止めて組合員が線路上で麻雀やって普通に給料貰ってたという信じられない逸話もある。

 

 

 

今の時代に昔のそんな歪んだ思想が引き継がれてるとは思いたくないけど、今回の障害者雇用の問題の根底には 「面倒なことはしたくない」 の表れではないかと想像しております。

 

自分は障害者の表現は好きでなく、 「身体にハンディを持ったお方」 的な表現の方が良いと思うが、間違ってはいけないのは障害者は仕事の 「障害」 になる人達ではなく、体になにかしらの障害をお持ちの人達なんですわ。

 

だからその方達が普通のお方達と同等に仕事をこなすことは難しい面があるので、仕事に就くことが阻害されないように障害者雇用促進法なるものが作られたのでしょうが、現実にはお役所においてもそれが 「面倒」 であろうことを想像するに難くない。

 

 

 

ハンディが無い人でも毎日の仕事をこなすのに大変な思いをしているのに、普通に考えて身体にハンディをお持ちの方が全く同等の仕事をこなせるはずも無く、当然そこには支援という手助けを必要としますわな。

 

同じ職場のお方からするとその支援に手を取られることは自分の仕事量を増やすことになる訳だから、そこに 「面倒」 が出来るだけ生じないよう障害者手帳を持ってない軽微なハンディをお持ちの方を雇用して、目標の数字を達成しつつも 「面倒」 を軽減してきたのが真実であろう。

 

だが問題は、 「企業にペナルティを課してまで促進するお役所側が、それをやっちゃいけないよ。」 ということで、もし仮にお役所が障害者を雇用をすることに限界があるとするならば、雇用促進法をそのものを見直さなきゃいけませんわな。

 

 

 

差別をなくすことは健全な社会を形成する上で絶対に必要な要件でありますが、個々の事情を理解することはもちろんで、そしてそこには支援というエネルギーも必要で当然コストもかかる訳だから、その観点からじっくりと思慮深い議論を進めて、小手先で上滑りの対策でなく、雇用する側もハンディをお持ちの方達も納得出来る法整備を進めることが、先進国日本の役目じゃないかな。

 

 

 

海が時化て、長いことほぼ無職状態の自分が偉そうなことを言っても説得力全然なさそうだから、そろそろ半額ハンティングしながら港に向かいましょうかね。