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古本屋日誌
今月の半ばにコトゴトブックスから「西村賢太追悼文集」が出る。
文庫本の200ページあまりで、西村賢太の編集者や親しかった古本屋、作家が書いている。
このコトゴトブックスという出版社は少部数なんだが、著者へのインタビューや写真などの特典つきで、いろんなタイトルを出している。
つまり付加価値をつけて本を売ろうということで、文学愛好者のこころをくすぐるいいやり方だよなあ。
新潮文庫では西村賢太の「やまいだれの歌」が出た。
これは例によって北町貫多が造園業者に就職したはものの、しくじってしまう話だ。
今回の失敗は女だ。
新しく入ってきた若い女に岡ぼれしてしまった貫多は親しくなる機会を窺っていたが、果たせない。
結局、社内の宴会でなんとか好印象を女に持ってもらおうとする。
しかし生来の口下手に加えて自意識過剰なために、酒を浴びるように飲んであげく暴言を吐いてみんなから浮いてしまう。
結局それがもとで、社長から首を言われてしまうのだ。
社内のみんながいる前で、特定の女と親しくなることはできるのか❓
もちろんいくらでも出来る。
宴会が終わって帰り道でなんとか2人になってそこで告ろうなどというのはバカとガキの考えることだ。
そうではなくて、宴会の最中にみんなの前で
「お願い❗️あんたのことが好きなんや、今度つきおうてな」と言えばいいだけだ。
女もみんなの目があるからけんもほろろにはしないし、他の社員からも「いいネタができた」とか「オモロいやっちゃ」といい反応をもらえる。
もちろん失敗する可能性も高いけどな。
29日のブックオフは、どうなっているのか、ひまだから確かめに行ってみた。
1時半くらいに心斎橋店に着いた。
250円ごとに50円のサービス券がもらえる日なんだが、特段、客がたくさんいるわけではない。
昨日文庫コーナーの隅に4段に積んであった箱はどうなっているのか。
半透明な箱には縦に6列、文庫本が詰まっていて、一箱100冊くらいはある。
前日、1番上の箱には岩波文庫の「吾妻鏡」の4と5がある(このシリーズは全5巻なのだ)ことは確かめていたのだが、今日見ても同じ場所にこの2冊はある。
つまり全く補充の作業はなされていないということだ。
昨日、28日の昼間出向いた際、2階の店員さんは1人だけだったし、もちろん客も少なかったけどね。
それにしても、やはり、ひちめんどくさい入れ替え作業なんかとてもやないが、できなかったのだろう。
こういう入れ替えの手間をとりあえず解消する方法は「新入荷本」と称する棚か平台を新たに作り、そこにごちゃ混ぜに放り込んでいくやり方がある。
それにしても全くおせっかいな話だが、心斎橋でビルの地下から三階まで(ワンフロアー30坪くらい)をレンタルするには月に35万くらいかかる。
心斎橋店は地下から三階までいつも6人の店員を使っているので、安く見積もっても人件費が月に200万かかる。
さらに光熱費は15万くらい、これに本や楽器、カード、映像ソフト、ゲームソフトなど各階で販売している品物の仕入れの金がかかる。
その金額はさすがにわからないが、ブックオフのことだから大した金額で買い取っているとは思えない。
月に150万くらいではなかろうか。つまり賃料、人件費、光熱水費、仕入代金を足したら月に400万で一日あたり13万円で、1日10時間営業しているから1時間あたりは13000円くらい売れたらいいことになる。
この程度なら問題なく売れるだろう。
何が言いたいかというと、ブックオフは店を愛しているお客さんが相当いるのではないかということだ。
だいたいあの安い仕入れ値は、なんなんだろう。
私も何回もブックオフの出張買取を利用しているが、大半は一冊5円だ。
俺なんか、自慢するようだが、客から買い取るときは売値の半分くらいはちゃんと出してる。
それが天下のブックオフは買い叩いてるわけだ。
それでもまあいいかと思ってしまうのだから素晴らしい。
だってあの楽しい心斎橋で古本が買えるんだから。
朝から心斎橋店に出向いて、立ち読みしながら本をじっくり選んで、たくさん買う。その足で斜向かいの「ドトール」に入ってクレープにコーヒーで本を楽しむ。
さらに丼池はすぐで、「松葉亭」のおじやうどんでもきつねでも腹が空いたら楽しめる。
甘いものなら少し南に歩けばカステラの銀装とその2階の喫茶店「ラサール」にも行ける。
「ラサール」では2階の窓際に3席設けてあって大きな窓から、御堂筋線心斎橋駅を上がってくる、おしゃれをした、楽しそうな皆さんの笑顔をいくらでも見ながらカステラやカレーを味わえるのだ。
日本一の古本屋であるブックオフにはよく行く。
品揃えは極めていい。
店内には寺田心の「あるじゃん❗️❗️」のCMが流れ、品揃えの素晴らしさを誇っている。
確か以前、寺田心は
「ブックオフなのに、本、あるじゃん❗️」と叫んでいた。ろくな本を置いてないのが普通のブックオフのくせにマシだなということだ。
それがいつのまにか自信を深めているのだ。
本も著者別、出版社別に分類してあって探しやすい。
通路も広く、店内は明るい。
何よりも繁華街に店があって、こうた本をすぐ近くの喫茶店でゆっくり読めるのが1番の魅力だ。
毎月29日は、店舗によっては250円お買い上げごとに50円の金券を渡すサービスがある。
そこで28日に、心斎橋店に出向いて補充の様子を見てみた。
文庫本コーナーの脇に4つの白い薄透明のパレットが積み上げてある。
中には値付けの終わった文庫本が裏向けに並んでいる。
覗いてみるとちくま文庫、岩波文庫、中公文庫、講談社学術文庫だとわかる。
しかしきちんとは分類されておらず、各社文庫が雑然と積み上げてあるのだ。
これらを明日のセールに備えて棚に補充するとなると、まずは各社別に本を揃えないといけない。
さらに店内の棚は全て満杯で、新たに本を差し込むスペースはないから、それを作らないといけない。
そうなるとまず110円均一の棚に詰まっている、なかなか売れない本を処分して(つまり廃棄して)そこに今はそれなりの値段で販売している文庫を値下げして差し込まなければならない。そのためには値札の付け替えが要求される。
さて、これでようやく箱に入った本を入れられるのだが、実は各本棚の下には収納スペースがあって、ここに上下2段に本が詰めてあるのだ。
だから箱に入っているのを棚に詰めれば出来上がりとはならない。
棚の下のストックもある程度出しつつ、箱の中の本もダブらないように確認しながらバランスよく出さなければならないのだ。
そんなひちめんどくさい作業を客対応もしながら、限られた時間でできるだろうか。
森茉莉は1987年に亡くなっているから、もうそれから40年くらい経っている。
しかしいまだに文庫本が筑摩書房や新潮社、河出書房などから入手できる。
これは稀有なことだよな。
亡くなって数年もすれば単行本も含めて新刊書店で入手できなくなるのが大半の作家の運命だからだ。
晩年の「ドッキリチャンネル」は「週刊新潮」連載のテレビ評だから、ナンシー関がやっていたのと似ている。
ナンシー関は、もちろん天才で、寸鉄人を刺すようなイメージがあった。
つまり贅言を要せず、溢れる言葉を削りに削って本質をズバリ言い当てる剣士だったわけだ。
これはこれで心打たれるが、贅言なし、話が膨らむこともなかったから、年月が経ってしまうと、書いてある内容にリアリティが感じられなくなって、衝撃度が落ちてしまう傾向がある。
ところが森茉莉は、その正反対で話がいろんな方向に飛ぶ。
彼女の感じたことを正確に伝えようと、故事成語や漢籍、諺、エピソード、そして卓抜な比喩を駆使する。
本筋の芸人批評はそれとして、この追加されている枝葉の面白さが際立つので、読む方はついつい釣り込まれて読まされてしまうのだ。
「或る日犀星(室生犀星のこと)から、亡くなった夫人の句集が送られて来た。たいへんにいい句があった。次に犀星の家に行ったとき、礼を言い、そのことを言うと、傍にいた朝子が「随筆集もあるんですよ」と言った。
すると犀星は、小さな手焙りに両手をかざしたまま固まってしまった。
こちこちになってしまって、自分でもどうにもならないらしい。
真鍮の手焙りと一緒に全身が固まってしまって、まるで手焙りに掌をかざしている、犀星の銅像のようである。
(中略)
二分くらいも経っただろうか、ようよう犀星の固まりは解けて、もとの生きている犀星に還った。
唇元をへの字にしたまま動かなくなった犀星の顔、動かぬ掌、体、それは彫像と化した犀星であった。
ふと、固まりか解けて、表情が還って来た時の、ホッとした気持は、忘れられない。
犀星は夫人の随筆集を気に入っていなかった。それを私に言って貰いたくなかったのだ。その二分程の時間の長かったこと、今思い出しても自分の体が固まって来そうになるほどである。」
おもしろいよね。
このところ急に暑くなった。
ただでさえ寝苦しいうえに、朝5時になるとネコさまが早くもお起き遊ばしめして
耳元で
「ニャーにゃーニャー」お鳴きあそばされる。
つまりは外に行かんとのご所望なのだ。
仕方なく無理に、起き上がって外へお出し差し上げると、そのあとなかなか寝付けない。
結局6時前に起き上がり、ねこ様がたのお食事を整えて差し上げて、お水も新しいものにする。
お手洗いの周りに撒き散らされておられるところの紙の砂の玉も掃き清めさせて戴きます。
ふと気づくとオスネコのカイ様が居間に戻ってこられていて、しきりにえずいていらっしゃる。
外で草を召し上がって、飲み込んだ毛玉の処理をされようとされているわけで、早速古新聞を周りに敷き詰めて差し上げる。
ねこ様としても心置きなく吐き散らかせるというものだろう。
メスネコのポコ様は外で遊ぶのにも所在ないご様子で、家のなかに戻られ、わたしの周りで
「ニャーにゃー」おっしゃる。
早速寝転んで差し上げますと、大喜びでお腹の上に乗ってこられ、全力で顔を擦り付けておられる。
さらに腕を出せ❗️との御所望で右手をかんばせあたりに近づけると何回も、何回も甘噛みされる。
このようにねこ様方の御威光で、われわれは生きていけるのである。