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古本屋日誌
今朝プリンターのメンテナンスボックスが満杯になり、取り替えないと印刷できない。
仕方なく四条河原町のエディオンに出向いた。四条大橋はものすごいお客さんで京都の土産物屋も大喜びだろう。
観光客相手の楽な商売で、京都の連中は何百年も潤ってきた。
この3年は意味のないコロナ騒ぎで気の毒だったが、どのみちまた元通りになるだろう。
エディオンには目的の型番がなく、無駄足になった。
三条から歩いて勧業館の古本市、最終日に行ってみた。
安売りは奈良のキトラ文庫だけ(全品半額)だったが、最終日でも色々珍しい本が置いてあった。
京都は学生が多いし、そもそも、落ちこぼれを量産する京都大学(毎年毎年2500人以上も入学させてるんだから、落ちこぼれがたくさん出るのは当然だがな。)もあるのだ。
つまり、いろんなジャンルの本が集まる地域なのだ。
その割に大型の古本屋はないよな。
大阪には天牛本店があって二階建てで10万冊以上の本を常に並べている。
神戸にも清泉堂があってやはり二階建てで10万まではいかないだろうが、相当な本を見ることができる。
ところが本が溢れている京都は小さい店ばかりだ。
そして、その乾きを癒しているのが日本一の古本屋であるブックオフなんだからおかしな話だ。
三条京阪の店、四条河原町の店などは巨大で、しかもいろんなジャンルの本を取り揃えていて、間違いなく、京都のどの古本屋にも劣らない品揃えとなっている。
メンテナンスボックスはエディオンの楠葉店で手に入れた。
大江健三郎と長男光の日々を記録したNHKスペシャル『響き合う父と子』(もともと放送は1994年)の再放送があった。
この頃大江はちょうど「燃えあがる緑の木』と題した長編に取り掛かっていた。
息子の光は31になっており、毎日世田谷区の福祉作業所に通いながら、ピアノやバイオリンの演奏曲の作曲をしていて、大江健三郎はいそいそと見守っていた。
二人で駅前のスーパーに出かけ、夕食の食材を買い込んで、毎日食事を作ってくれる母親への感謝の意味を込めて、二人で食事をつくった。
一方で大江は光にヒロシマの原爆のことを伝えようとしていて、一緒に原爆資料館を訪れたりしていた。
なるほど1994年の大江はそういう日常を送っていたのか。
ただ問題はくだんの『燃えあがる緑の木』三部作は全然面白くない作品だよなあ。
天才大江にさえ、失敗作はあることがよくわかる。
今日も晴天で、しかも蒸し暑くない。
いつもの連休はすでに30℃に迫る蒸し暑さなのだが、今年はどういう風の吹き回しか、朝夕気温が低く、日中も23℃程度、風も文字通り「風薫る」素晴らしさだ。
前の晩から京阪のプレミアムカーを予約しておいて、再び勧業館の古本市に出向いた。
古本まつりはネット通販と大いに異なる。
実際にモノを手に取って、内容を確かめられる。
また知らなかった本や雑誌を知る機会でもあるのだ。ネットでは自分が知っている本しか選べないからな。
コロナ騒ぎで中止になってるけど、以前は百万遍の古本市では啖呵売(オークション)が実施されていた。
古本屋が持ち寄ったモノを「ハイ、これね岩波新書青版150冊、青版はね、かなり今でも価値のあるシリーズですよね、500円から」てな感じです客にアピールしながら売っていくのだ。
たいていの業界では売る方の商品知識が圧倒的に客より多いし、正確だが、こと古本業界では客の方がよく知っているのが普通だ。
しかし実際はそんなこともないようなのだ。
面白い本のことを全然知らないし、自分の興味ある方分野にそもそもどんな研究や本があるのもご存じないお客は多い。
せっかく興味深い本がたくさんあるのに、限りある人生の時間を消費してどうでもいい二番煎じの本を読むのはもったいない気もする。
古本市では客が実際に本を手に取って新しい発見ををする場として貴重ではある。
しかし人も多くて、長い時間本を読むチェックすることもできないし、また本が多すぎて(50万以上あるとのことだ)探すのも容易でない。
だから古本屋がの方で、客にアピールしていく必要がある。百万遍の啖呵売はその一つの試みだ。
また実際にこういう本があるというのをネットではなく、手に取らせて解ってもらう場も、作らないといけない。
それはさておき、朝、家で食パンを食べていると、右上な歯がひどく痛む。
5年くらい前に焼き鳥を食べている時に詰め物が外れてしまい、すでに神経を取っていたので痛みがなかったので、そのままほったらかしにしていた歯だ。
触ってみたらえらいグラグラしている。
しかし今日から三連休で、やっている歯科もないよな。
ようやくネット検索で、枚方市駅からバスだしばらく行った須山町に憲法記念日の今日もやっている歯科医院を見つけた。
やれやれ
店舗を持つこともなく、商売ができるのはありがたいことだ。
意味のない賃料の支払いがないし、光熱水費や人件費からも逃れられる。
俺のような気の小さい人間なら日々の売り上げに一喜一憂し、精神的に辛くなるだろうが、通販ならそんなことにはならない。(なんせネットの家賃は月に五千円くらいだからな)
お客さんもわざわざ時間を使い、交通費まで負担して店まで出向く必要はなく、欲しい本が居ながらにして注文できるんだから、ありがたいことなのだ。
ただ問題がある。
確かに知っている本なら通販は、極めて便利だ。
しかし、世界にはいくらでも本があって、中身も手に取ってチェックを入れないと、必要なのか、不要なのかよくわからない。
サイズなんかもA3ほどなのか、全く大きいのか、小さいのか、ネットの商品説明に添えてある何枚かの写真程度では、なかなかイメージがわかない。
だから店舗を構える古本屋や定期的に各地で開催される古本市は貴重なのだ。
なにせ、実際に本を手に取ってチェックできる。それ以上に「へえ〜こんな本が出てんねや」と新たな発見をつながる。
今日から岡崎公園の京都メッセ(勧業館のこと)で大規模な古本市。
去年から集合レジではなく、店ごとのレジになった(かなり多くの店がPayPayやカード決済を導入していた)ほか、今年からは喫茶コーナーが出来た。
目の前でドリップしてもらったコーヒーとマフィンを楽しむことができる。
屋外の方が開放感はあるものの、今こうたばかりの本を手に取って読んだり、眺めたりできるのは素晴らしい。
赤尾照文堂は売り場のセンターに大量の講談社文芸文庫を並べていた。どれも保存状態は上々で、帯や読者ハガキ、新刊案内なども付いている。値段はAmazonに準じるものになっている。
また一冊堂も中公文庫、講談社文芸文庫が赤尾ほどではないものの、相当な冊数出ていて、こちらはかなり安い感じだ。
キクオ書店は三条河原町上ルにある洋書もかなり置いている古本屋だが、連続テレビ小説の牧野富太郎の植物石版版画をたくさん並べていた。
牧野は緻密な写生画を残して『原色牧野植物大図鑑』にまとめられているのは知っていたが、版画も有名なんだな。(全く知らなかった)