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古本屋日誌
うちには相当昔の『アサヒグラフ』がたくさんある。
500冊くらいある。
この写真雑誌の創刊は大正時代で、創刊号もある。
当時朝日新聞社は、大阪朝日と東京朝日に分かれており、新聞も別々に発行していた。
そのためこの雑誌には当時の大阪市、京都市、神戸市、奈良市など関西圏の写真が大量に載っていて、興味深い。
ヤフオクに出品したいのだが、写真を撮り、キャプションを書き、コンディションを明記して、価格を決めてアップする作業は、考えたらだけでも気の重くなるものなのだ。
今日は朝から晴れ上がり暑い。
しかし9時過ぎには京阪電車の神宮丸太町に着いて、葵祭の行列を見た。
四年ぶりの実施であるし、これまで一度も目にしたこともないので、後学のために京都御所に設けられた有料観覧席(三列目、3500円)を予約した。
10時半に行進がスタートするのだが、少し風はあるものの、強烈な日差しだ。
有料席に入る時に渡された袋にはパンフレットの他に冷タオルと称する、細長い濡れタオルが5本入ったものもあった。
お客さんはほとんどが高齢の女で他には外国人もかなりいる。小学生や中学生はさすがにいないな。
俺は三列目だったんだが、やはり一列目がいいよな。
また行列の説明のアナウンスが流れるのだが、御所を出発した時点で説明がされるのに、俺の座っている席は御所の一番南、10番のシートなので、目の前には何にも現れておらず、よくわからない。
10番シートの三列目、すぐ横にはフランス人の女が座っていたが、(これは何人だろうと思って俺が聞いてみたのだ)ずっとスマホをしている。
その女のすぐ前2列目には二人の婆さんが腰掛けていて、日傘をさした。
あまりの日差しに我慢できなくなったのだろうし、まだ行列の行進も始まらない時刻だ。
周りの婆さんがたも傘を広げているのがたくさんいる。
ところがよくあることなんだが、日傘のとんがった金具がフランス女のおつむにこっつんこしてしまった。
「あーごめんね〜あたってもうたね。」と婆さんは謝るんだが、フランス女はなんとも言わない。
婆さんは日傘をさしかけてること自体嫌なのかと思って「あのね、これは行列始まったら閉じるよってな、気にせんといてや」と言うのだが、それでも無言。
さらに婆さんは「この傘はな、おっけぃさかい、あんたのおつむもかぶさるよってな、ちょっとの間、涼しなるで」と傘の柄を斜めにして、フランス女にさしかけてやっていた。
日本人であろうとフランス女であろうと、若いやつは無粋、つまりバカだよな。
行列に参加する大宮人は皆頭にフタバアオイをさしている。
子孫繁栄の印だ。
フタバアオイは花をつけた後、おおきな実を成らせるのだが、非常に重たい種で風に吹かれて四散するようなことはさらさらなく、親のフタバアオイのすぐ下に落下してまた新しい芽を伸ばす。
これがいいんだよなあ。
親と寸分かわらない規模で、昔と同じところで、同じように栄える、これが葵祭のポイントなのだ。
今日は葵祭なんだが、朝の6時に「京都御苑を出発する午前10時ごろに夕立の予報がある」とのことで、御所から下鴨神社までの行列はあしたに順延となった。
下鴨神社で行われる流鏑馬は学生時代に見たことがあるが、都大路を練り歩くパレードは未見なので、今回思い立って御所の有料観覧席を予約してみたのだ。
下鴨神社の流鏑馬は以前は(1980年代の初めのことなんだが)見物客もまばらで、なんの造作もなくゆっくり見学できたが、今や大変な盛況で見物客が鈴なりだと聞いている。
東京の友人は「お前んとこは京都でも大阪でも30分くらいで行けてええよなあ。国宝とかすごいものを大したカネをかけることもなく見れるんだから」てなことを言う。
確かに東京から例えば東寺まで行こうと思ったら、往復の新幹線代や宿泊費、食事代などがかかり、それは数万ではきかないだろう。
俺のところからなら確かにすぐに行けるし、電車賃もタダみたいなものだ。
たやすく国宝の五重塔をはじめ、同じく国宝の講堂、そして内陣に安置してある空海の世界観を具現するたくさんの平安時代の仏さま(そのうち15体くらいは国宝だ)を拝むことができる。
以前は京都の神社仏閣や庭園などは「まあ、見てもいいかな」程度のもので、それだけで客を呼べるものではなかった。
三条木屋町あたりのたくさんの風俗店や五条楽園といったちょんの間など、要するに欲望を刺激するビジネスとセットで京都は潤ってきた。
ところがここ最近は神社仏閣と庭だけで人が呼べるようになり、風俗に変わって「京料理」なるものが人気を博している。
早川書房はずいぶん前から『悲劇喜劇』という劇評論雑誌を出している。
また昭和28年に大阪の演劇評論社というところから『演劇評論』という雑誌が出ていた。
これは歌舞伎をはじめ新劇、浄瑠璃その他の評論からなるもので、編集同人には池田彌三郎、武智鉄二、安藤鶴夫、戸板康二らが名を連ねている。
こっちの方は大阪での歌舞伎の衰退のあおりをくって、2年ほどで廃刊となってしまった。
このまま2つの雑誌のバックナンバーがたくさんあります。欲しい方はお知らせください。
昨日は甲子園で、スワローズ戦を見た。
いつもは仕事をして、阪神電車の新在家から行くのだが、縁起を担いで、西宮北口から今津まで行って阪神電車に乗り換えた。
また前回は買取をした本をコインロッカーに入れず、わざわざ球場まで持ち込んで負けたから、今回は縁起は考えて全てコインロッカーに入れた。
さらに靴も前回はオレンジのスニーカーだったが、縁起かついで、それは処分して、新しくこうた黒いトラッキングシューズにした。
ズボンも前回の黒いのは、やめてあたらしくユニクロでこうたグレーのやつに変えた。
ということで、伊藤がいいピッチングで期待通り。
また案の定、佐藤は今回も全然打てず、とりわけ、最後2打席ともファーストゴロと無様だった。
コロナ騒ぎが終わり、声出しも解禁となり球場入り口では選手別の「応援歌」の歌詞カードが配られていた。
球場近くのイオンは改装工事中なんだが、ここの地下一階にはくまざわ書店があって、なかなか魅力的な品揃えだ。
単行本のセレクトがいい。
去年中央公論社から出た決定版の『私の昭和史』や最近の本では『ある行旅死亡人の物語』がある。
この本は共同通信の記者をしている武田惇志と伊藤亜衣のノンフィクションだ。
大阪の場末の、家賃が三万くらいのアパートから孤独死した70過ぎの婆さんが見つかった。
ところが、その部屋の金庫には3400万を超える現銀が残されていた。
さらに北朝鮮とのつながりを示すかもしれない星マークや暗号らしきものも見つかった。
婆さんは勤めていた工場で事故に遭い、右手の指を全て欠損したのに、労災の申請は辞退していたとか、歯医者に通うのも通常の保険診療ではなく、もぐりの保険の効かない医者に通っているなど不審な点も見られた。
著者はあれこれ身辺を探るのだが、結局北の工作員だともスパイだとも、なんといえない話になってしまう。
警察で事情を聞いても「この婆さんは75なんやろ、例えば40年、真面目に働いてな、毎年80万くらい、つまりな、毎月7万くらい貯金してたら、そんくらいなるやろ。家賃は安いとこなんやから出来へん話ちゃうわな。その程度の金があるのは何も不思議はないで」と言われてしまうのだ。
確かに警察のゆうのもわからんではないけど、それは単に3400を40で割り算してるだけで、そんな上手いこと人生というものは運びませんよね。