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古本屋日誌
さて、古本屋はお客さんのお宅に伺って査定するのだが、きれいに本が並んでいる場合は楽だ。
本はレーベルによって背表紙の色が違う。昔の中公文庫は海外作品を除いて、肌色で統一していたが、それは例外だ。
同じ文庫であっても、白もあれば、橙、黒、青と様々だ。本好きに取っては中身が大切だから、背表紙がまちまちでも特に気にしない。
ところが本棚をインテリアの一つと考えている人もたくさんいて、そういう人にとっては、部屋の中にいろんな色が入り混じっている本棚は夾雑物でしかない。
だから(無駄な努力なんだが)手間隙をかけて同色の本を並べようとしたり、上からカーテンを垂らして本棚が見えないようにしたりしている。(本も見えないから読もうとしたら困るよなぁ)
こういう、綺麗好きの人は、全然本を読んでないから、査定するときも気が楽だ。客はナーンも本のことわかってない。
逆に乱雑に本が並んでいたりすると、ちゃんと読んでいるわけだから緊張する。
古本屋はお客さんの蔵書を買い上げてから、店でこれは古典、これは文庫、これは図録と分類して並べ直すけど、本当はこうてきたまま、店の棚に並べた方がいいかもしれない(古本屋も楽だ)。
同じ趣味趣向の人なら全部こうてくれるだろうから。世間は広いから全く同じ趣味趣向の人だって、何十人、何百人といるだろう。でもその人と出会える確率は極めて低いよね。
買取に行って査定した後で、特に女のお客さんに多いんだが、「これは残しておいて」といわれることがある。
死んだ旦那の蔵書を全部売り払おうと古本屋を呼んだのだ。
死んだ人の趣味はその人だけのものだし、自分はなんの関心も持てない。単に場塞ぎでしかない、たくさんの本を処分したいと考えるのは当然だ。
それはそうなんだが、人はいつもいい子でいたいのだ。
旦那の蔵書を叩き売って金に換える冷血非常の婆さんにはなりたくないと思うのだ。
それで古本屋が査定を終えて、さあ精算しましょうの段になって、「あんなあ、ちょう残しといてやおへんかいな」と言い出すのだ。
古本の相場はどんどん下がっているという古本屋が多い。
京都の知り合いの古本屋は
「俺はもう28年、この仕事やってるけどな、相場が上がったことはないな。以前はね、たとえば岩波新書みたいな本でもな、古本屋が値上がりを見越して新刊でこうたりしたたんやで。
今はそんなもん、考えられへんけどな。『大漢和辞典』なんか今は揃いで8000円やで、重たいのにアホらしなるわ」とのことだ。
俺もこんな話を聞く聞いたことがある。
小樽で大学の先生をやっていた人が、定年で京都に帰ることになり、古本屋を呼んで、段ボールに入れた本の山の査定をしてもらった。
さて、やってきた当たるの古本屋さん、大して中身も見ずに「これ一箱1000円ですわ」というから、老先生、腹を立てて帰らした。
(こんな田舎では仕方ない、京都の古本屋に売ったらええ)と考え直して、宅配業者を呼んで京都まで運ばせたところ、運賃は30万。
さて、やれやれ、京都の古本屋なら大丈夫だろうと、むかし親しかった馴染みの古本屋を呼んで査定させたら、10万にしかならなかった。
それにしても、古本屋に必要なのは倉庫だ。
店を持っていても、大家からは「本はな、床に荷重かかるやろ。せやし、床にコンパネ敷いて、その上にな、本棚を置いてや」てな注意をされる。
店舗の通路に本を積み上げ出したら、すぐに積み上がって、通行の邪魔だし、崩れ落ちたりするし、お客さんも入りづらい。
例えば20坪の店だとして、倉庫は30坪とかになる。
ところが、その倉庫の大家が代替わりで息子の代になると、「古本屋なんかに貸してても儲からない」と追い出されることがままある。
都市近郊の農家と同じことが起きるのだ。
農家も広い敷地は親の代までは、そのままか、やったとしても一部を潰してモータープールにする。ところが親が死ぬと、息子や娘は必ずマンションを建てるのだ。
バカのやることはみんなおんなじだよな。
次の倉庫はなかなか見つからないから、とりあえず、段ボールに倉庫の本を詰めて、店に運び込んで、通路に山と積み上げることになる。
店の中は段ボールだらけとなってしまう。さて、本の整理をして売れる本は取り出して、本棚に並べる方がいいのだが、すでに段ボールは床から5段に積み上げている。
もう見るのも嫌。
結局、そのまま市の廃物処理施設に持ち込んほかしてしまうことになる。
古本屋は買取だ。
お客さんのご自宅にお邪魔して、本を拝見して、査定する。
さて、そろそろお値段をお伝えして、梱包して帰ろうと思っていると、
お客さんが「あんな、ちょっとものは相談なんやけど、ここらへんの本は置いといてもらえるかな」
「あーこのへんのやつですか、でもこれはかなり値段がいい本なんですよ。もったいないですよ。売りましょう、売りましょう」
「いやね、この本は(亡くなった)主人がえらい大事にしてた本なんですわ。そのことを今さっき、思い出してね。やっぱり手元にある残しておいてやらんとあかんような気がしますねわ」
こういうことはよくあることなのだ。
いくら最愛の旦那とはいえ、ひとの趣味は、自分とは関係ないもので、邪魔になる、処分する気になるのは当たり前だ。
しかし、土壇場になった、ちょっといい子になりたいんだろう。(私は夫の大事な本をカネに替えて、家片付いたわ、とほくそ笑んでるような酷い女ちゃいます)ということなんだと思う。
それはわからないでもない。
仕方なく
「さよですか、ほな仕方ありませんわ」と本をまた取り出して、本棚に戻すのだ。
古本屋を経営するにあたって、最大の問題は仕入れだ。
販売の方は通販が大きな威力を発揮するし、店売りもあるだろうし、大した問題ではない。
そこで、お客さんから電話を受けて、喜び勇んでご自宅までお伺いするわけなんだが、いかんせん、本の歴史は少なく見積もっても3000年に及ぶ。
その間世界各国で作られたり、出版されたりした書籍の数々、種類たるや、完全に天文学的なものだろう。
お客さんの書斎を拝見して、「あーこれね、これこれ、これは〇〇くらいの値段ですな、よーく見る本です」てな感じで商品知識を披露できることはまずない。見たことも聞いたこともない本が大半だ。
そこで古本屋はどうするのか。
一つには、そしてこれが1番多いパターンなのだが、自分の店で扱えそうな種類の本だけ抜き出して買う。
残りはわからないし、扱えないので、「お客さん、残りはちょっと馴染まない本ですから、買い取れません」と突っぱねて帰ってくるのだ。
でもこれでは、お客さんも、せっかくいらん物を一掃して部屋の模様替えを予定しているのに、全然本が減らないと悩むだろう。
古本屋にしても不勉強ゆえ、値打ちのある本をみすみす見逃すことになってしまう。
そこでお客さんには
「あんね、本はね、ぜんぶ持ち帰りますわ。へてな、業者の市に出しますわ。わしの手間賃で15000円はもうて、あと売れた金額の〇割お渡ししますわ。」というのだ。
なるほど古本組合の交換会に出せば、いろんな専門分野の古本屋がいるから、その人の目から見たら「これは値打ちある本やな」てなことで、高値がつく可能性もある。
お客さんは部屋が片付いたと喜ぶし、さらにいくらかな収入があったと納得するわけだが、よく考えてみたら、客はそんなに得とはいえまい。
だって古本組合の市に出すということは、間に業者が2つも入るということだ。
通常の買取ならその古本屋だけだが、市を通すということは買い取った古本やに加えて、市で落札する古本屋も間に入るわけだ。必然的に値段は格段な低くなる。
市の古本屋が「この値段で仕入れたら、そこに口賃を上乗せしてメシが食えるな」と判断して買い付けるものでしかない。