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古本屋日誌
井上章一と工藤美代子の対談本の後書きを井上が書いている。
この一文は井上のスタイルがよくわかる文章だ。
なんでも昭和天皇の手相がはっきりわかる写真をある写真家が撮影した(新年の一般参賀の時、撮影に成功したのだ)のだが、その写真をグラビアで使おうとする出版社はないんだというのだ。
べつに手相がわかったからといって、どうということはない、所詮は「当たるも八卦、当たらぬも八卦」たんなる迷信でしかない。それにもかかわらず、忖度が起こるのだ。
これについて井上章一は
「天皇制は民族的な迷信の上に、成り立っている。だから、迷信が取りざたされること自体を迷惑がる。そこへの配慮が、メディア関係者にはあったということなのかもしれない。」と書いている。
俺には井上章一は、手相なんかは迷信だよな、天皇制もおんなじなんだと主張しているようにしか見えない。
また井上は、この本の前半で、京都の人にとって、京都と言える範囲は御池からせいぜい丸太町通くらいまでなんだという。
つまり御所なんかはぜんぜん京都の範囲に入っていない、天皇なんか京都人でもなんでもないんだと軽侮する人たちが京都にはいるんだということだ。
(井上は学生の時京都の中心に住む杉本秀太郎の家を訪ねたことがある。そのとき杉本は「自分、どこから来たんや❓」と井上に尋ねた。「嵯峨です」と答えると杉本は「あー、あそこからな肥えくみが来とったわ」と井上を軽侮する発言をした)
なるほど、祇園祭の町衆にとってのプライドからすれば、天皇の権威や威光なんかナンボなもんじゃいという感覚があるということだ。
そうなのか、京都の人たちの差別意識はなかなか徹底しているよな。
大阪を金儲けにしか関心がない街と軽蔑してさげすむだけではなく、天皇についても身内とは思ってない。
それくらいしっかりした価値観があるからこそ、祇園祭は素晴らしいのだなあ。
さらに井上は、例の東北の大地震の後、美智子さんが慰問に行った話をする。
なんでも彼女はピアノを持ち込んで演奏したのだが、周りのスタッフがその準備やなんやかやで大変苦労した。
「しんどい旧家に嫁がはったわけじゃないですか。しきたりやら、ならわしやら、多分うんざりされることもあると思うんですよ。ひょっとしたら『ピアノぐらい、わがままを言わせてくれ』という思いがあるのではないでしょうか」
つまり井上によれば美智子さんの慰問は彼女自身のストレスの解消という面もあったというわけだ。
さらに続けて井上は「これで指に覚えが出来てくると、押し売りがはじまる。『君、今度結婚するの❓披露宴やるの?よっしゃ、おっちゃんがピアノ弾いたる』(笑)
たとえば、若い研究者に対して、そういういやらしい権力者になるわけです。美智子さんの気分が分からなくはない」
というわけで、美智子さんはストレスの発散に加えて、いやらしい権力者にもなっているというのだ。
皇室などという、個人の自由が奪われたような存在になれば確かにストレスも溜まるだろう。
身分制度が存続することで、実は高貴な人自身を抑圧しているということだ。