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古本屋日誌
地震はべき乗則で発生するため、予知するのは不可能だといわれている。
ちゃんとしたテストの成績や身長、体重のようなデータならベルカーブを描くので、データを揃えれば、次回の予測が可能になる。
しかしべき乗則のものは、そもそも予測ができない。
地震にしても、その大半は問題ない事象で、ごく一握りが大災害を及ぼすのだ。
99.9パーセント以上の地震は、大したものではないが、残りのごくわずかな地震だけがマグネチュード7クラスで、とてつもない災害を引き起こしてしまう。
あらゆる地震は、発生段階では震度1あたりで終わるか、震度7を引き起こすのかわからないのだという。
だから残念ながら理論的に予知は不可能だということだ。
したがって南海トラフ地震が今後〇〇年以内に80パーセントの確率で発生するなどという話も全く根拠のないデマだ。
無能な地震学者の保身と生活保障のためや、自治体が行う対策事業で潤う土建屋などにとってありがたいだけだ。
やはりスカイAで2003年9月15日のタイガース優勝の試合を再放送していた。
試合はともかく、観客の応援スタイルが興味深い。
ライトスタンドやレフトスタンドに加えて一塁側のアルプススタンドの一部の客は、タイガースの攻撃中は、立ち上がって応援している。
今はライトスタンドも立って応援はしていない。
東京方面の球場ではまだ外野席はスタンディングで応援しているので、不思議な現象ではあるな。
俺はこの2003年はライトスタンドで観戦することが多かったが、仕事から直です甲子園に駆けつけて、弁当を座って食べていると、「にいちゃん、腹減ってんなやな、ゆっくり食べや」と気遣ってもらった覚えがある。
また選手の名前を書いた手書きのプレートを手にしている客はもいるのだが、かなり少ない。
矢野や赤星なんかは2枚のプレートにしたり、ジョージアリアスなんかは10枚くらいに分けて、横並びにたくさんの人が手に持って掲げている。
またライトスタンドでは、スタメン全選手のボードを集団で掲げるシーンがあった。
そんなどこから見えるのかもよくわからないものより、2003年のライトスタンドには選手名を大書した横断幕や巨大な旗が打ち振られていた。
今は手書きではなく、タイガースショップでこうてきた選手のネーム入りタオルを振っている人が多い。
これは小さなものだから、グラウンドからは何にも見えないだろう。
テレビに、たまさか映ることを期待してる人もいるのかも知れないが、大半の客は推しの気分だろうと思う。
自分お気に入りの選手のグッズをいろいろこうて応援しているし、そういう自分が好きなんだろうと思う。
俺は(そんな小さいタオルみたいなもん振っても、誰も見えへんねんからバカだよなあ)とも思うけど、グッズを持って応援している自分が好きだという価値観には文句をつけるいわれはない。
2003年はまだまだ同好のよしみで、知らない人同士が、その場で簡単に打ち解ける感じだったな。
ライトスタンドでは7回裏の風船飛ばしの際は、わざわざ自分の周りを見渡して、風船を持ってない人を探し出して「にーちゃん、これ使いや〜」と手渡ししていた。
知らない客同士の会話も途切れることなく続いた。
「わしの嫁はんはスワローズファンですねや」
「ほたら、仲悪なるやろ」
「いや、だいたいタイガースが弱いよって、向こうがええ思いしてますわ」
「あの今出てきた〇〇ゆうスワローズのピッチャーはえらい苦労人ですねや」
今は得点シーンでは知らない客同士のカンフーバットを叩き合ったり、ハイタッチして喜び合うことはあるものの、以前のようにいつまでも、ああでもない、こうでもないと話が続いていくことはないな。
2003年の甲子園はまだまだ巨大な田舎の人間関係が保たれていたが、現在それはもうない。
スカイAの平田、掛布、真弓鼎談では横浜戦の話も面白かった。
平田が「佐野と牧に打たれすぎてるでしょ。監督が『あんなもん、カープとか見てみぃ、うまいこと内角攻めてるやろ。お前の方から内角きちんと攻めるようにゆうてくれ』言うわけです。
それで俺から、投手陣に『内角いけ』ゆうたわけよ。
そしたら、佐野にまた内角の球ヒットされた。俺は『きちんと内角いけ』ゆうたら、次の打席、初球を佐野にホームランされたよ。
監督はそれ見て『おーい、いつまで内角いっとんねん。外角とかあるやろ」ゆうんよ」
なかなかおもろい岡田語録だよな。笑かそうと思てゆうてんのかな。
スカイAで、平田、掛布、真弓の鼎談があるが昨日2回目の放送があった。
毎回、掛布の発言は首肯できかねる内容が含まれるが、平田の言いにくそうに繰り出す言葉には説得力がある。
その中でも佐藤が7月の横浜戦の後登録抹消(つまり2軍落ちだな)となった件で、佐藤を呼んで、平田が話をしたというやつは興味深い。
初め掛布が「あれ(2軍落ちのことだな)は成績だけなんですか❓」と聞いたところ、平田は
「成績だけ、成績だけ」と早口で答えていたが、掛布が「グランドの外でのことが、態度が問題になったのいうのはないんだね」とたたみかけると、
観念した平田は
「あの、オールスター明けの横浜3連戦の2戦目で、佐藤が打てなかった時、外すとなって、俺が話したのよ。
『試合中、交代となっても、普通はベンチから声出ししたり、拍手したりして応援するものだ。他の選手はちゃんとそうしている』」
なるほど、途中で変えられて不貞腐れていたわけだ。
以前この佐藤の2軍落ちの話が『月刊タイガース』の署名記事で出ていたことがあった。(この話は前に書いておいた)
それは2軍落ちに際して佐藤には「グランドの外のことも見られているぞ」と伝えられたとあった。
ところが肝心の「グランドの外のこと」というのが何を指すのか全然書いてない。練習をさぼるのか、たにまちに誘われて飲み歩いているのか、全然わからない。
書いてあるのは佐藤が練習熱心という話で、要するに真相はぼかして、佐藤に嫌われないようにしたいというさもしい、バカ丸出しの遠慮だな。
金子拓が中公新書から『長篠合戦』を出した。
われわれの教わった長篠合戦は信長、家康連合軍が3000挺の鉄砲で武田の騎馬軍団を打ち破った、陣の前に防御柵をめぐらし、三段構えにした鉄砲で迎えうったというものだ。
しかしすでに1975年には藤本正行がこれに異を唱え、長篠はせばい谷地で、騎馬の突撃は不可能、三段構えといっても距離が短いので、弾込めしている間に突撃されてしまうことなどを指摘していた。
今回の金子の本はこれまでの研究を大成したものだ。
それによれば、戦場である長篠は狭い湿地帯で、騎馬が集団で突撃して出来る環境ではないこと、織田徳川連合軍は陣の前に強固な防御柵を巡らしていて、近づく武田の部隊を鉄砲で攻撃して退けたとのことが書いてある。
つまり野戦というより、城攻めに近かったということで、勝頼は不用意に堅牢な城郭に攻めかかってしまったということのようだ。
金子によれば同時代の記録では、織田方の鉄砲への言及は少ない、それが勝敗を決したとの話はないのに、時代が経つうちに3000挺だの三段構え、騎馬隊だのになってしまったとのことだ。
これは信長が革新的な変革者であったとする価値観の広まりによるものだろうという。