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古本屋日誌
今日は仕事で北野田に出向いた。
本は引き続き山田稔の「ごっこ」。
著者は以前京都大学の教養部でフランス語を教えていたのだが、定期試験に落第した学生の話があった。
本人は4回生で就職も決まっていて卒業は絶対条件なのにフランス語の単位を落としてしまった。
再テストの通知が下宿に行ったが行方不明で連絡もつかない。
大学も心配して親元に通知を出したら父親が山田のところに飛んできた。
「先生、考えられる限りの知人やらに連絡してみたんですけど、行方を突き止められませんでした。警察にも本人の写真を渡して指名手配にしてもらうように頼みましたが断られました」てなことをいう。
挙句「追試は頑張って息子の代わりに私が受けます」なども日に焼けた百姓面で真剣に言うので、びっくりしたてな話だが。
北野田の駅前は高層マンションがそびえてダイエーなどもあるのだが、今ひとつ飲食店は不案内だった。
高野線の踏切を越えたところに「大阪王将」その横に混ぜそばを出すラーメンや、その横に和菓子屋があった。
混ぜそばはよくわからない食べ物だったが面白そうなので入ってみた。
850円で小ライスも付いているという。
太めの麺の上にたくさんのミンチや玉ねぎが添えてあり、説明書には「何口か食べてから玉子を落としてかき混ぜて食べてください。麺を食べ終わったあと、残った出汁にご飯を加えてかきこんでください」とある。
食べてみたら四川山椒がよくきいていて、食が進む。
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巨大な書店に行くと「へ〜こんな本があるのか❗️」と驚かされることがしばしばある。
MARUZEN・ジュンク堂の梅田店はそのような魅力的な書店だ。
先日も5階の大阪本売り場を眺めていたら久保在久の「大阪砲兵工廠年表」という大部の見たことのない本があった。
久保は以前新聞記事を博捜して「大阪砲兵工廠物語」を出したり、かなり前になるが大阪砲兵工廠の労働組合である「向上会」のリーダーだった八木信一の伝記に解説を書いていたりしていた人だ。
さてこの本だが明治初年の砲兵工廠設立から昭和20年の壊滅までを様々な新聞や書籍からデータを取って詳細な年表にまとめたもので誠に興味が尽きない。
例えば靖国神社の大きな鳥居は大阪砲兵工廠で製造されたことはよく知られている。
数ヶ月かけてようやく完成したのだが、あまりに巨大だったせいだろうか、うまく立てられるかが心配になったのだろう、砲兵工廠敷地内で一度立ててみている。
その後船便で東京に送られたのだが、到着してかなり経ってから「靖国神社の鳥居を建てるために砲兵工廠から3人の係を派遣」という記事が出てくる。
東京の方では持て余して独力では立てられなかったのがわかって面白い。
序文には久保が砲兵工廠の労働組合の「向上会」に興味を持ちその指導者であった八木信一のことを調べたいと思い立った時のことも詳しく書いてある。
久保は図書館で「寝屋川市史」を読んで八木のことを調べて市役所に出向きあれこれ尋ねて香里園に八木の娘さんが住んでいることを聞き出した。
すぐに訪ねていき、応対に出てきた八木の娘の鞆子さんに口角泡を飛ばして戦前の砲兵工廠の労働運動の意義を説いたという。
久保は「鞆子さんは父のことをこんなに思ってくれる人が現れた‼️」と喜んでくれたと書いているが本当なんだろうか。
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山田稔が1976年に河出書房から出した「ごっこ」を入手しました。是非お求めください。
神戸の「VIKING」などに掲載していた作品を集めた短編集だ。
京大の大学紛争中やその後の日常を描いたもので活字の「パルチザン全史」といった趣のある小説だ。
キャンパスにバリケードを築いて教員が入らないようにして授業や試験をさせないようにするバリケードストライキがよく行われていた。
一般の社会では生産活動をストップさせることは直接生産者や流通に関わる人、また消費者の生活や命に直結するから、認められないし、止むに止まれぬ事情からストライキをする場合も早期の解決が図られる。
しかしこと京都大学に関しては、そんなことは全くなく、ダラダラと授業や試験がない日常が継続してしまう。
これは京都大学があってもなくてもどうでもいい存在で、機能しなくても誰も困らない大学であるからだ。
したがって緊張感もないままストライキなるものが続いてやっている学生も、規制される教員の方もすっかりたるんでいってしまう。
学生は当初キャンパスに入ろうとする教員に口頭で「授業はせーへんから」と約束させて門を通していたが、やがてその旨を書面で書くような求めるようになった。
山田稔はあまりに退屈なストライキの日常に飽き飽きして署名の欄に田中角栄だとか奥田東(当時の京大の学長)だとか書くようになる。バレたらどうなるかというスリルを求めての所業だが、これが残念なことに全然バレない。
ところがある時「佐藤栄作」と書いてバリケードを通り抜けた。係の学生は横のやつとなんのかんなと議論の最中で難なくすり抜けた。しばらくして「なんやこれは‼️佐藤栄作たら書いとるやつがおる、どこのどいつや‼️」となって一斉にゲバ学生の視線が山田に注がれる。
さてどうしたでしょう❓
続きは読んでのお楽しみ。
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秦郁彦が小学館新書から「病気の日本近代史」を出した。
コロナ騒動に合わせて近代の様々な伝染病の歴史を述べた浩瀚な書物だ。80を超えてもかくしゃくとされている秦先生は実に素晴らしいよなあ。
それはさておき、この中に脚気の話が含まれている。
言うまでもなくビタミンB 1の不足で引き起こされる病で全身麻痺に陥り死に至る。
この病気の原因を陸軍は森鴎外などを中心に脚気菌によるものだと的外れな主張を長らく続けていたために、日露戦争で多大な戦病死者を出したことはよく知られている。
ところがこの秦先生の本によると海軍はかなり前から白米中心の食事が脚気の原因ではないかと思い当たり麦飯を取り入れた食事に変更することで罹患者を大幅に減らしていた。
また陸軍も同様に麦飯を食事に取り入れた結果、日露戦争の前には帝国陸海軍を通じて脚気罹患者は大幅に減っていた。
ところが戦争中は陸軍はまたぞろ細菌説などを持ち出して、麦飯から白米に切り替えてしまいたくさんの戦病死を出すことになったという。
全くとんでもない話だよなあ。
秦郁彦はこうなった原因について陸海軍の主導権争いや学閥間のつばぜり合いを挙げている。
それもあるだろうが、基本的に押さえておかなければならないのは、人命への認識が当時と現在では根本的に異なることだろう。
今はとにかく人命は最優先だというイデオロギーが主流となっているが、明治はそんなことはない。
例えば脚気の死者がこれまで50人くらいに抑えられていたものが、一挙に6500人に跳ね上がったとしても、「あまり死者は変わってないね、こんなもんだろう」という価値観だった。民主主義が根付かず、独裁国家の悪い面がでたわけだ。
さすがに大正デモクラシーを経て昭和に入ると人命を考えるようになってきた。日中戦争など20万からの死傷者を出して、戦争の成果もなく何も取れませんでしたでは遺族に申し訳が立たないてな不可解な理由で戦争をやめられなくなるほどだった。
民主主義の広まりの結果、今度は戦争をやめられないとはあきれた話だよなあ。
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京都の古本屋はいつ行っても不思議だよなあ。
どこも文庫本の棚が大したことない。
例えば京大本部北側の「吉岡書店」。
岩波文庫の棚がそれなりにあるが、講談社学術文庫は4段くらいしかないし、ちくま文庫に至っては棚すらない。そのくせ古い岩波新書がたくさん収めてある。
吉岡は古くからの古本屋だし、京大の先生との取引も多いのは間違い無いし、学生もほとんどがバカとはいえ1学年3000人くらいもいるわけだから本の買い取りも多いだろう。
それにもかかわらず、たいした棚でないのは俺には不思議でしかない。
何か闇ルートでもあって取引しているのではないかと勘ぐりたくなる。
何も吉岡書店だけでなくちょっと考えても岩波文庫や講談社学術文庫、ちくま文庫、講談社文芸文庫、ちくま学芸文庫やらを豊富に棚に揃えている古本屋はただの一軒も思いつけない。
いや、もちろんBOOKOFFはちょっと違う存在だ。
たかだか30年程度の歴史しかないBOOKOFFがかなり立派なプレミアム文庫の棚を揃えているのに、100年からの歳月をけみしている諸古本店がさっぱりというのが解せんわけよ。
また大阪の古本屋と比べても京都のそれは極めてみすぼらしい。
大阪の古本屋でさっき挙げた文庫をたくさん揃えていつ見ても楽しい古本屋はいくらでもあげることができる。
それに関しては京都など大阪の足元にも及ばない。
だいたい今の京都の古本屋で楽しく時間を過ごしたくなる、老後のひまをつぶしたいと思える店があるだろうかね❓私には全く思いつかないね、
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