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古本屋日誌
今日も天気でしたね。先日「上方芸能」を出していた出版社が出した「大阪焼跡闇市」などをお客さんからお譲り頂きました。3月14日の空襲に関しては関西大の小山らの研究で襲来機か従来の90機ではなく270機余りと3倍であったことや、東京では空襲で燃え上がった我が家の火をわざわざ消すように上から言われていてそれに従って逃げ遅れたらたり、家の畳の下に掘った防空壕に逃げ込んで焼き芋のように蒸し焼きになったりで10万くらい死んだが、大阪ではその知らせが伝わっていてもはや消さずにさっさと逃げたので東京同様の焼夷弾投下にもかかわらず死者の数は非常に少なかったことを知りました。しかし国際法にも違反しているのにアメリカの絨毯爆撃に文句も言わないし、生き残った連中やその子孫たちは死者に対して薄情なものですね。
生きている者は自分の都合しか考えないということもよくわかりますね。
今日は天王寺さんから一心寺、安居の天神さんに参ました。天王寺さんでは経木を書いてもらい亀の井戸で沈めてもらい菩提を弔うわけですが、昔はもっと沈めてくれてたのではと思いました。一心寺は日想観で有名、安居の天神さんは幸村ですね。茶臼山にも行きましたがここは古墳ではなく道鏡で有名な和気清麻呂が掘った運河の土を盛り上げた所のようです。近鉄の河堀口あたりから掘って今も堀越神社の前の谷町筋は大きく陥没したままで、その後この河底池です。工事は20年も続いたのに結局失敗してしまい、もうめんどくさいやとボタ山が今の茶臼山です。その後枚方に11月1日にオープンした25万冊だという蔦屋の古本店にも行ってみましたが、ここは私の趣味には合わない店舗でした。それにしても交野線を越えた左側に雑貨の量販店があって、アイロンを安くこうたのでしたが、1989年だったんですが、そのアイロンは今ダニ現役でダニ退治に活躍しているのに、その店は幼稚園になっていました。またそのすぐ先にあった大型の本屋は今は自転車屋になってました。その当時はこの店ではマンガのほぼ全ての雑誌は堂々と立ち読みができて、店の方としては面白かったら店内にたくさんラップをかけておいてある単行本をこうてもらいたいという意図だったんでしょうがね。この一号線を下ったところが宮之阪なんですが、ここは異常なくらい本屋や古本屋がありました。駅の高架下に新刊書店があり駅前の郵便局の二階にかなり大きな古本屋があり、本居宣長の「古今集遠鏡」などの黒い本もおいてあってよくわからん京都語訳を立ち読みで楽しむことができましたし、その隣にも古本屋があり、さらにイズミヤ方向には「バンバン」という古本屋が二軒あり、マンガの店と活字の店に分かれていました。新刊書店でマンガを立ち読みして、イズミヤ方面の移動して今も健在の安いお好み焼き屋でビールを飲んでから古本屋でさっき読んだマンガの単行本を探しという感じだったんですが、今はお好み焼き屋だけです。
今日もいい天気で嫁と天王寺さんにきています。こないだお客さんから尾上圭介の「大阪ことば学」などをお譲り頂きました。読んでみると、近鉄あべのばし駅で女が切符こうたらえらくお釣りが多く戻ってきて当惑していたら並んでいたおっさんが「姉ちゃん、お安う乗っときなはれ」と言った。これは大阪が田舎で分け隔てなくみんなが親しんでいる表れと考える人もいるが、そうではなく敬語も使っているし、他人という意識はある。また「どいたってや」という表現も大阪にはある。「どけ!」とか「どいてや」ではなく「どいたってや」という表現もある。これは自分の行為をまるで第三者がやるように表現していて間接的で相手と直接関わり合いになることを避けたい都会的な感覚の表れだ。
こんな感じです。まあ大阪が下品だと差別するあ決まりの大阪論に異議を唱えようとするのはよしとして、「どいたってや」は第三者の行為ですかな?第三者はその場にいない人をさすわけで、目の前にいて話しかけている相手に使うのはおかしい。「どいたってや」は「やる」が使ってあり、相手に恩恵を与えてやるという意味でちょっと尊大な感じのすることばであくまでも対象としては二人称です。
今日もいい陽気でした。うちの猫はオスの黒猫が3つですが、このところ顔が横に大きくなってきていて、せっかくのイケメンが台無しです、冬毛の加減なのか単なる肥満なのか不明で心配です。先日お客さんから昭和41年の「観光大阪」という170ページあまりもある網羅的な大阪ガイドをお譲り頂きました。天下の台所の話が出てくるのですが「天下のお台所」と尊敬の接頭語付きで何回も出てきてびっくりしました。上品言葉の「お」なのかなとも思いますが、所詮は台所ですからね、なんか下づかえがご主人のために汗水垂らして働いてる場所みたいな感じは拭い去れません。
東京を意識した説明ではミナミの「大和屋」の話で「これほど巨大な料亭は日本中どこにもない」と自慢してます。キャバレーの「メトロ」の話もあってホステスが700人もいること、自前の楽団を持っていること、8時45分と10時15分から2回にわたってショーが開催、料金がセットで1200円からだとか書いてあるんですが、なぜかでかいよ、日本一だとか自慢してません。まあ著者はキャバレーよりは料亭が好みなんだということなんでしょう。
大和屋は例の能舞台のあったやつですね。日本一というくらいの規模だったのか知りたいところです。他には天満橋に今もあるOMMビルの自慢で「西日本一」だという。西日本一てなんか微妙ですな、日本一でも東洋一でもない。また甲子園、西宮、藤井寺の3球場に客席に鉄傘つまり屋根があったのはすごいと自慢して書いてました。
今日も秋晴れのお天気で爽快です、百万遍で古本市が開催。いつも感心するのですが、あの様な重たい本をよく運び込めるもんだなあということです。
京都という街は観光を生業にしていて、みんながやけにありがたがるものだから、そこにあぐらをかいて適当に昔風の建物や町並みを粗製乱造して恥じないところがあり、感心しません。全然保守ではなくて金のためには何でもするぞという精神が理解できなくて、もっと真面目にやってほしいといつも思います。確かに会田雄二がゆうように京都の町屋を維持するには丁稚奉公をいとわぬ、ほぼただで使える労働力がいるんでしょうが、そういう無理なところだけはご都合主義で適当に古めかしくでっち上げます。そのくせ変えなくてもしんどくないのだけは昔のままくだらないものを続けます。祇園祭の時に大して美味くもない鱧を、湯引きというこれまた全然美味しくない食べ方で食べる、ニシン蕎麦とかいうまったくくだらない食べ物をいつまでもありがたがって食べている、昔は蕎麦につなぎでたくさん混ぜ物をしていたが、今はそんなものを入れなくても美味しい蕎麦が出来るのに「昔からそうしている」としていつまでも混ぜ物を続けます、おまけにそういう理解に苦しむ店を名店だと持ち上げるわけです。おにぎり屋がいつまでもおにぎりに直接海苔をまき、その上からサランラップをかけて売る、当然海苔はべちゃべちゃで美味しくないのに改めようともしないなど、京都の人たちのバカさ加減はいくらでもありますね、