Welcome
古本屋日誌
今日はかなり冷え込みました。猫もストーブの番をしてます。浦西和彦が亡くなり残念です。かなり前になりますがお客さんから「大阪近代文学事典」「大阪近代文学作品事典」などをお譲り頂きました。浦西はきっちりした仕事をする人で全容が定かでなかった大阪の近代文学に関して総覧を示し、今後の研究に裨益すること間違いない著作を残した。欲をいえば織田作の事典の時のように小説だけにとどまらずエッセイで大阪に触れているものの集成をしてほしかったし、磯田敏夫が文学雑誌に書いていた作品や杉山平一の著作などの解説が物足らないなどもあるが、これまで全然無かったものを作り出したわけで無い物ねだりかもしれない。しかし例えば上司小剣は「鱧の皮」ばかりが取り上げられるが、浦西の著作で様々な大阪に関するエッセイがあることがわかったのはありがたい。
しかし今やAIは自分で学習してトレーニングを重ね人間がおよびもつかないスピードで進化していて、囲碁にしてもチェスにしても将棋にしてもとんでもない域に達しているわけで、となればこういう文学の研究、比較文学とかにはもってこいだろう。人のように死んだり衰えたりすることもないから、人類数万年の歴史のあらゆる文献を読み込み血肉化して、素晴らしい業績を上げるに違いないので、誠に楽しみだ。ロボットもペッパーみたいなバカではなくて育児ロボットができないものなのか。なぜかややこは永遠といってもいいほど泣き続け、声が枯れてもやまない、非常にこっちはストレスで、私の母親など一番下の子が泣き止まないので、押入れの布団の間に差し込もうとしていた。そこで母親そっくりのロボットでAI搭載のが出来たらいつまでも抱き上げてくれるし、こっちは息抜きできるし人類を裨益すること間違いない。
今日は夜前から雨です。先日お客さんから糸井重里の「インターネット的」などをお譲り頂きました。本や雑誌、映画などの情報商品は一部の人が売れているよ‼️と煽り大半の人はそれを鵜呑みにして買うという構造があり、売れているかのように装えばベストセラーが作れるわけで好ましくないとの内容です。確かに今度は映画化される「火花」ですが300万部以上売れているのだが、別に大した小説ではなく、島本理生の「夏の裁断」のほうが芥川賞としての完成度ははるかに高いのに、こちらは受賞もしないとはおかしいといえばおかしい。まあ島本はそれなりに売れているし、それでいいんでしょうが、デビューも高校生くらいで、天才作家と騒がれてそういう早熟の逸材という売り方もカードとしてはあったのだが、とりあえず波には乗れなかった。
糸井重里は法政大学で例のエンタープライズの佐世保寄港阻止闘争に参加していたことが、以前写真週刊誌に載ってました。60年台後半はベトナム戦争もあり、沖縄から爆撃機が北爆にむこてたことで、反米の機運も今よりはありました。でも日本はアメリカの召使いに徹して今まで繁栄してきたし、「ショックドクトリン」にあるように資本主義は自然災害をも利用して「ここは危険だから、高台に新しい家を作ろう、だから立ち退いて」てな感じで難なく地上げを成功させて金儲けにつなげるわけで、それはまた反面住んでいた住民にとっても安心出来る選択肢でもあることがあり、その融通無碍な中では単純な割り切りは難しい。
夜前は非常に寒くびっくりしました、猫もストーブの前で長々と寝転んでいます。本屋に入るやいなや催してきて大変なことになるのは私はよくあることで、もちろんそれを見越して手洗いの場所を確かめてから入るようにはしているのですが、それでも不測の事態に見舞われることがあり、竹内久美子によれば本はもともと木であるが、本にされてしまい根を切られてしまったゆえに養分が不足し、何かホルモンのような物質を出して人間にばばさせようとするのだということでした。そうなのか、私は一応納得しましたが、子供に話して見るとアホかと言われ全然納得してません。竹内久美子の「BCな話」は週刊文春に連載していたものですが、他にもイギリスの研究で夫婦でするセックスの時の精子の数と旦那が浮気をしてやった時の数を比べて浮気の時のほうがはるかにたくさん出ているとあります。すごい研究があるもんだとは思うけど、さすがにこれはイグノーベル賞狙いか、と余り信じてはいません。
今日は朝方は冷えましたが、大分ぬくなってきました。京阪電車の乗り放題切符を使い河合神社、下鴨神社、知恩寺、吉田神社、銀閣寺、金閣寺、大徳寺にお参りしました。いつものことながら、適当に古めかしい装いまとった建物を作るのが得意なのには感心させられます。しかし河合神社にある鴨長明の方丈の模型、下鴨神社の相生の木、河原町蛸薬師下ルの近江屋跡にはキッチュ趣味が感じられました。もともと京都の人にはキッチュ趣味があって、例えば石山寺なんかは40年くらい前に出向いた時もすでに源氏物語を紫式部が書いた部屋が保存されていて、文机に源氏物語やら、硯箱があってここで書いたんですとかいう説明がありました。そんなことあるわけがない。先の方丈の模型など何とかしてゆかりの鴨長明を結びつけたい一心なんでしょうが、本物でないことはもちろん、特に集客に意味があるようにも思えません。坂本龍馬の旧蹟など巨大な写真が据え付けられてそこはすし屋なんですが、青森にはキリストの墓とか例の偽造された東日流外三郡誌や太宰治の斜陽館とか要するに目立ちたいがその材料もないので適当にでっち上げた文化がたくさんあります。なんか京都もその流れに竿さそうとしているように感じました。カーがいうように重要文化財の説明のプレートの下に必ずあるHITATIも目障り、そもそも重要文化財だと示すのは権威付けですからね。京都らしい立て札ではあります。
今日はぬくいのだが風がつようてセーターではしのぎにくい日です。先日お客さんから子母澤寛の「新選組始末記」などをお譲り頂きました。ドキュメントタッチでよく出来ていて初めの清河八郎が斬られた話で橋の上で挟み撃ちにして前からの何人かは八郎に深々とお辞儀をして油断させて後ろから首筋を切りつけ、八郎は手をつかにかけるが及ばす「残念」と呟いて倒れる、首は少しだけ繋がって流血しているとか誠に血なまぐさい。八郎は幕府の意向を無視して攘夷を実行しようとしていたわけで、幕閣は八郎率いる新選組の評判を貶めようと愚連隊を組織して京都の街中で騒動を起こし八郎憎しの世論を喚起しようとする。なかなか幕府も民主主義的だったんですな。八郎が喧嘩を仕掛けてきた町人を無礼うちで殺害したはいいものの、これまたお尋ね者になるところもなんか民主主義的ですな。
お譲り頂いた本の中には結城禮一郎の「旧幕新撰組の結城無二三」もあって鳥羽伏見に敗れた新撰組の無念が切々とつづられて素晴らしい作品です。明治維新を疑うという本がこのところいろいろ出てますが、なんか二番煎じにしか思えません。
尊皇攘夷とか習いましたけど攘夷はいいとして尊皇なんか何のこと?ゆうのが江戸時代の普通の感覚でしょう。天皇なんかそもそも知らない人の方が多いわけです。ということは尊皇ゆうのは下克上のための方便なんだろうと思います。やっぱり上に楯突くにはなんか拠り所欲しいですよね、天皇だったらその権威の前では大君も大したことないというわけですな。
もう大分前の80年代のの私の学生時代に大学の寮に住んでいたので住居費は安く、バイトも2時間で5000円くらいもらえるものがかなりあり、非常に楽な生活を送ってましたが、なぜかバイトで金を稼いでるのに全然使わずパンの耳をパン屋からもろて生活してるのがいました。経済学部の教室にパンの耳の入った袋を持ち込みみんなの前でかじってましたが、教授が袋を見つけて「これ誰のや?」「俺のです」というやり取りの後、教授がポーンとそいつに袋を投げたら「大事な食べ物を何するんや‼️」とゆうて本気でキレたので白けました。もちろん全くバイトなどせずにのんびりしてる学生もいてそういうのは食事も変わっていて近所の川に出向いて餌なしでかかるブラックバスを釣り上げて刺身にしたり、炊いたりして食うてました。私はどちらもバカだと思ってました。