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古本屋日誌
今日は風があって寒い、昨日旗日で大日のイオンにセーターやズボンを買いに行ったらユニクロはものすごい人出でレジには十重二十重に行列ができていてバカバカしいので、別の店で買いました。先日お客さんから陳惠運、野村旗守の「中国は崩壊しない」(文藝春秋)などをお譲り頂きました。中国の人は毛沢東に心酔していて、今もそのカリスマ性の虜であるので大がかりな社会変革は求めない、元々中国は帝国好みで、王制に馴染んでいる民族なので、民主主義というような自分で発言して決めていくシステムにはなじまないから、現在の共産党の支配は受け入れられる。共産党の支配は実は杓子定規でないところが多々ありいい意味でも悪い意味でも融通が日本よりはるかにきくので、ガス抜きになる。というような本でした。非常に説得力があって学ぶところの多い書籍で、まあ民主主義なんかろくなもんではないとも思いましたね。元の時代なんかチンギースハンでドイツくらいまで版図で、それはいろんな民族の寄せ鍋みたいなもんだけど、ものすごい巨大な帝国で大衆はみんな誇りに思ってたのではないかな。民族自決なんか自分であれこれきめなければならず、面倒なだけではないか、ナショナリズムも所詮は思い込みで、イデオロギーなわけだから正しいも間違いもない、それが当たり前だと思ってるだけだ。庄司薫の本に東京の公立高校のクラス替えの話があって、普通は学校があんたは三組で担任は須崎先生やでときめるところが、生徒をグランドに集合させて向こう側に旗を持ったそれぞれの先生が立っていて一斉に走って好みの先生の元に行ってクラスが決まるという話がありましたが、なんのことやねんですな。
私の行っていた大阪市立清水ヶ丘小学校ではいまでゆうホームルーム、学級会の時間がありその議長はアイウエオ順に持ち回りだったんですが、私は人前で話すことはおろか、友人もあまりいない、ビビリな子供やったので、議長なんか無理で、それにもかかわらず、担任の教師は「須崎、今日の会はどないすんねん?出来るんかでけんのんか⁉️はっきり言え」とみんなの前で迫り「いやできません、木村君にやってもらいます」と言わせました。そんなもんできないバカがいることなんか分かれよ、バカはみんなのゆうとおりやるのが好きなんやと小学生ながら強く思いましたね。
ところで今大阪城天守閣でやっている特別展は幕末の大坂城の話で、図録を見ていると最後の方に明治天皇が1868年の春に大阪に来た話があり、例の大久保利通は大阪遷都を考えたが出て来てその後には「京都の公家たちが猛反対して、それはならなかった」とのことです。まあ確かに今までは京都に居たんだから大阪くんだりに行くとは許しがたい、既得権を奪われる不安に襲われただろうとは思います。
今日は昨日雨だったのにもかかわらず何故か寒くはなく、ただ風がかなりあって問題ではある。
先日八尾のお客さんから横山健堂の「新人国記」などをお譲り頂きました。明治44年の刊行で、江戸時代の人国記の明治版で諸国の国ぶり、性格を詳細に述べたもので第1巻は京都、大阪にそれぞれ70ページあまりをあてその中で「大阪は食い倒れにあらず」と主張してます。その根拠として和菓子はくだらないものが多くて東京の比ではない。刺身などのきちんとした料理は年に何回も食べない、下手したら一回もたべないこともある。とにかく大阪の人は食べる量が多いだけだ。ただ大阪の人は間食することが多くてそのために飲食店が非常に多い、それで食い倒れだと誤解されていたのだろう。京都も決して着倒れなどではなく、食い倒れ、着倒れがともに成り立つのは東京だけである。こういう意見なんですがまあ少なくとも明治時代の終わりには大阪は食い倒れだという通念があったことはわかります。でもりそういうてるわりにはええもん食べてはりませんなですよね。横山健堂は山口の人だし、東京やらいろんなところから大阪に出てきた人たちの感想が「大阪は食い倒れだなあ、食材が豊富だし、だしや醤油、味噌の工夫されているし、清酒は圧倒的にうまい」だったのではないか。つまり上方が食文化が他を圧していたことの現れと考えたらいいのではないでしょうか。
呉智英先生は今月発売のベスト新書の冒頭に大阪は食い倒れは戦後のものだとの主張を展開されて、確かにそういう面もあるのだが、一応明治時代にはすでに大阪は食い倒れだと主張されていたことだし、庶民の実生活をさしての言葉ではなく他の地方から来た人たちの食材や食文化に対する感想だと考えればちょっとあわないかなと思います。以前呉智英先生には大阪市史編纂所が出している「大阪の歴史」という雑誌をお送りして実は天下の台所というフレーズは江戸時代にはなく幸田成友などによって作られたものとなっていることをお伝えしたら、わざわざお葉書をいただき、さらにご自身が寄稿された太田出版の仏教雑誌を下さいました。ありがたいー
今朝はかなり冷え込み、郵便局に行くのに初めて帽子をかぶりました。オスの3つの黒猫は表に出て近所のクロウという名の文字通りの黒猫と鉢合わせして尻尾を膨らませて追いかけようとしました。いつもはヘタレなのにどうしたことか。
先日お客さんから大岡昇平の「堺港攘夷始末」などをお譲り頂きました。小説家なのに博捜を尽くし、よくできてるんですが、まあ吉村昭もそうなんですが、明治天皇が大阪に出向いた時の話が巻末にあって、例の大久保利通は大阪遷都を考えていたというくだりがあり、その後に「しかし大阪の商人たちはやんわりと断った」とあり、その訳として遷都などということになったらどれほど志納金を納めんならんか考えただけでも恐ろしかったからだとある。そうなのか、これが事実としたらえらい民主主義的な、みんなの意見をくんで遷都はやめときますとなったゆう話になってしまう。新選組みたいに、芹沢が特にやってたみたいなゆすりたかりは新政府はしないということなのか、それは功利的にそうしたのか、それとも原理原則としてそうしたのか?不思議です。
今日は少し和らいで出荷の際も問題ありません。先日門真郵便局の課長から連絡があり来年2月から送料を値上げするのでよろしくと言われました。「まあ年間1万通くらいだしてもうたら、特段の割引も考えるよー」とのことでした。私のとこは初めはクロネコヤマトを使っていたんですが、これは近所に集配所があったからなんですが、そこへ毎日持ち込んでいたんですが、従業員の皆さんは忙しそうで大変だし、二センチ以内の厚みだとしてちゃんと料金を払ってだしたものが「これは分厚すぎるので戻ってきました」とのことで返された上に料金も返さない事件が起こり、クロネコヤマトという会社は全く信頼できないとわかり使うのはやめました。寝屋川のお客さんから谷岡雅樹の「Vシネマ魂」などをお譲り頂きました。谷岡は長くビデオレンタル店で働いていたわけですが、毎日くる困った客のことを書いていて、レンタルしてくれたらまだしもブルースリーの話をして帰る、もちろんおんなじ話なんです、俺だったら出入り禁止にするけど、谷岡は困ったとは書かずふんわりと包み込んでる感じなのが大したものだ。前私は旭区の千林に住んでいて近所にブックオフがあったんですが、ある日年かさの爺さんが店員に「この本の上巻はないのか?」「いまちょっとないんです」となって「上がないと困るやろ、仕入れとくのが普通やで、わしはここの社長と知り合いやから、お前があんばい仕事してへんゆうとくで」とかいう。だからどうなんだ、バカすぎて今だにおぼえてます。爺さんの客2人が来て「この人の家は500坪くらいあって、えらい広いんやでー」「なにゆうてはりますのん、あんたの家も大したもんやでー、40坪くらいやけど固定資産税なんかわしとこよりおいんやから大したもんやでー」なんの自慢やねん。
今日もかなり寒い、三つになるメスの黒猫が夜中帰宅したら戸を開けたすきにサッと走り出てコンクリートの地面でゴロゴロしてました、寒いのにバカではないのか?先日お客さんから俵万智の著作「かすみ草のおねえさん」などをお譲り頂きました。俵万智は高校の国語の先生だったが自分の才能に自信があり東京に出向いて角川書店を訪ねて歌稿を見せたが、取り合ってもらえず、その足で河出書房に向かってここで絶賛を浴びて例の「サラダ記念日」出版の運びとなったのはよく知られています。ただこのエッセイによれば、俵は大阪生まれの大阪育ちで、正月に親戚一同が集まる際におばさんから「あんたの大阪弁はほんまにきれいやなあ、それが聞きたかったんよ」と得意げに記していますが、そうなんかなあ、大阪弁を操る印象はないな。表題作でも高校の先輩に花束を贈って告る話なんだが、大阪弁とは到底言えない会話が記されている。まあアクセントのことかも知れないけどね。卒業式でバラの花束を持って衆人環視の中先輩を呼びつけて告るとは、バカ丸出しでやられた方は大迷惑だがな、俵は「今もそのバラの花束は心の中できれいに咲いている」と記すのだから相当な玉ではあるな。この人は門真市の出身だと聞いているので、大阪生まれというのはどうかな、まあ門真みたいな田舎は誰も知らないし、大都会にあこがれる心の表れでそう書いたんだろうなあ。
よく甲子園は大阪やない西宮やとか、兵庫やとか言う人いますね。それはそうなんやけど、つまりは元々大阪の持っていた求心力が薄れ、というか無くなり、むしろ差別の対象にすらなっているので自分はそこに入れられたくないということなんだとおもいます。関西とかゆうのも大阪の力が失われたので京都、神戸、奈良、和歌山なども含めて全体のパワーでやっていこうとした表現だという話はよく聞くがそうではなくて、単に大阪外しだと思う。元々上方とか京阪という表現が使用されていたのになぜか突然関西とかいうのには意図的なものを感じます。