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古本屋日誌
今日は雨で我が家のクロネコも出たがりません。先日お客さんからビブリア古書堂の揃いをお譲り頂きました。このシリーズは初めの方は良く出来ていますが終わりの方は作りすぎてバカバカしい内容となり魅力が薄れています。だいたいストーカーで傷害事件まで起こしたバカと対決するなど誰も考えません。そこからしてこの作品は問題なんですが、例の須崎という私と同じ名前のマニアが最後の世界大戦を盗む話などはよくできています。 最後の世界大戦なんかは稀覯本ですからね、一冊しか存在しない可能性すらありますから盗む気持ちはとてもよくわかります。でもいくらでも出回っていて、誤植も少なくてレベルが上なのに初版にこだわったりというのがあります。さらに言えばサインを欲しがったり手形にこだわったり、マイケルジャクソンの赤いジャケットを1000万出して落札したりとあまり意味のないことをしてしまう。私も中島みゆき、花輪和一、今岡誠のサインを大事にして売ることができないわけです。「隠れた脳」という最近流行りの脳の啓蒙書ですが、いわゆる事故物件に住むのを人はなぜか嫌がる、まあ霊とかたたりとかあるようなないようなものなのに自分のこととなるとこだわる。中島みゆきに握手したもうたらくさくなっても手を洗わないとかしてしまう。本当にあるか、わからないし、なんとでも言えるようなものに人間の脳は反応して恐れを感じるようになっているとの主張で、それが役にたったから今の人類がある。まあ共同幻想みたいな考え方ですね、それは脳の好みなので如何ともしがたいと言われると、嬉しいような、居直ってしまうようなおかしな気分になります。
ところでジュンク堂のような巨大な書店はかなり万引きの被害もあるようで高額図書を持っていかれたときは古本屋にも画像付きで、この本が持ち込まれたら連絡してくれと連絡があるようです。うちには来ませんがね。もう昔は(1980年代です)牧歌的だつたので、私の行ってた大学は本部の下に生協があって、書籍部とか電化製品を扱う店もあって、理学部の友人は書籍部に一旦入り本についている売上のスリットだけ抜き取って素知らぬ顔で店を出てそれを処分してからまたたちもどり今度はスリットを抜き取った本を堂々と持ち去ってました。まあこのバカは生協の食堂でもその時は食券制で、レジのところでゆわれた金額を手持ちの食券で支払うんですが、レジのおばちゃんの前に置いてある食券を支払う箱に手を伸ばして券を入れるふりをしてその実中の食券わごっそり持ち去ってました。さらにエスカレートして、家電売り場にも侵入して付いているテレビの値札を盗みとりその上で堂々と持ち去ろうとしたが、今回は当然ながら見咎められてあえなく逮捕されました。若いやつはバカですよね。
今日も天気です、朝も寒いので石油ストーブをつけました。一旦そうなるともう引き返せません。
先日お客さんから原田種成の「漢字小百科辞典」「漢字の教養」などをお譲り頂きました。手で書く文字と活字は違うから今の小中学校の書き取りはデタラメだとの指摘、至極真っ当な話です。天王寺の天は上長ですが、もちろん下を長く書いても問題ないのにそれが認められないのはバカげているわけです。四天王寺から天王寺という地名は出ているのですがなぜか四を省略してます。四天王寺も普段は「天王寺さん」と呼ぶのでやはり四が省略されてますね。やはり四は死に通じるというアホらしい験担ぎなんでしょうか。しかし京都の四条は昔は「よんじょう」と発音していたのに今はなぜか「しじょう」です。もっとも七条だって以前は「ひっちょう」と発音していたのに今は「ひちじょう」ですからね、改変しすぎではないのかな?
まあ大阪でも天満橋にあった松坂屋はみんな「まっさかや」と発音していたのになぜか今は「まつざかや」だし心斎橋にあったそごうもみんな「そーご」てゆうてたのに今は「そごう」。まあもうそーごはないけどね。戦艦ミーズリーもなぜか今は戦艦ミズーリになっているのは変です。「コーヒ」も今は「コーヒー」、不思議なのが「ローレックス」です、なぜか本当になぜかなんですが「ロレックス」に変化してます。セカンドハンドのことを「ちゅうぶる」ゆうてたのも全く聞かなくなりました。ゆうとしても「ちゅうこ」ですね。どんどん変な話になりますが「机から筆箱が落った、おちょった」としか言わなかったのになんでなのか「落ちた」ゆう人しかいなくなりました。子供に聞いたら「ぬくごはん」も「あたたかいごはん」としか言わないそうで、「言いにくいやろー」と返してもポカンとしてますな。
今日も晴れでなかなかの天気です。しかし朝は寒いのでストーブ入れました。先日お客さんからマイケルモーパーゴの「よみがえれ白いライオン」などをお譲り頂きました。講談社現代新書の「新書アフリカ史」もあり、なかなか興味深い内容です。
南アフリカはもともとかなり前から黒人の王国が栄え独自の文化があったのだが、オランダ人の侵略を受け植民地となる。ここからがとんでも無いのだが、黒人は不要だとしてオランダ人は黒人を完全に抹殺してしまう。ところがなぜかダイヤモンドと金が発見されゴールドラッシュに湧いたのだが、さて地中に埋まっているこれらを誰が掘るのかとなった時にすでに黒人は皆殺しにしたので、存在せず、ただ奴隷貿易の時代なのでいくらでも輸入できたので大量の黒人を鉱山で働かせることができてことなきを得た。ところがそこへイギリスが割り込んできてオランダ人(ボーア人)に戦争を仕掛け、新しく登場した機関銃やらボーイスカウトを投入するやらで、当然ながらオランダ人の敗北となりまして、以後アパルトヘイトの南アフリカにつながっていくわけです。
しかしオランダの連中のやり方はさすがですね、我々には思いつけようもない民族抹殺ですからね、ナチスの濫觴みたいなもんですが、頭がいかれているわけですな。
以前南アフリカでワールドカップが開かれて大成功となったわけですが、その準備段階で治安が大丈夫かという話があれこれ取り上げられ「南アフリカで強盗に遭う確率は200パーセントだ」という。200てなんか変じゃないですか。でも「ホテルから目的地に行く時に強盗に襲われ、その後身ぐるみ剥がれてしおしおホテルに帰る時にもういっぺんやられるんや」という笑い話がありました。
さすがに夜は寒くて2日連続で石油ストーブをつけました、猫がその前にある座布団でトロンとしているのは心和む風景です。先日お客さんから呉智英の本などをお譲り頂きました。その中に赤瀬川原平との対談があり、大阪を論じて「道頓堀なんかはアメリカそのもの」とあります。原色を基調にした巨大な看板の乱立のことなんでしょうが、確かにアメリカ風だとのコメントは結構あります。本家のアメリカが元ピューリタンの敬虔な国だったのにいつのまにやら、資本主義の権化になったように大阪も儒教の縛りが外れて同じ道をたどった。
呉智英は大阪の食い倒れをに関して江戸から赴任したの久須美の著作にはその内容はないし、森田たまの著作にも大阪の人の食生活は極めて質素で到底食い倒れと言えるものではないとし、大阪に朝鮮人がたくさん入ってきた時代にたこ焼きやお好み焼きといった粉物文化が生まれたことも合わせて、食い倒れはごく最近のものではないかと論じています。
私は呉智英が好きで前に阪大で開催されたポピュラーカルチャーの講演会に仕事を休んで行ったこともあり、そこでは先生の講演の後に質疑応答の時間があって阪大の学生と思しき若者が「先生は大学などでは教えておられませんが、収入の点で問題になることはありませんか?」というようなことを聞き、確かに呉先生は連載もそんなにないし単行本もバカ売れすることもないわけだからどうなんだろうとは思いましたね、ただ不躾な感じもしましたが先生のお答えは「それはな、君もすぐに直面することだからな、そういう問題だ」でした。
今日も天気です、夜前は1年ぶりに石油ストーブをつけました。三ノ宮のお客さんのもとに伺い小村雪岱の本などをお譲り頂きました。中公文庫の「日本橋檜物町」には島津保次郎の「春琴抄」のセットのために大阪に出向き南木芳太郎らのあんないで古い商家を見て回った話があり、東京とはどこか違う伝統の重みや、どっしりした存在感に心打たれ、「東京にも震災の前まではあった」世界がはっきりと息づいているさまを描写しています。こういうのはオリエンタリズムでもなくいいものですね。
ところで今日はJRで行ったんですが、住吉から見ていたんですが三ノ宮まで踏切らしきものが見当たりませんでした。JRは確かに一直線で踏切が少ないのは知ってましたが、ほぼ存在しないという状態は昔からなんでしょうか?
確か1980年ごろに京阪電車が萱島までの高架複々線を完成させて、「日本最長の高架複々線」としてえらいアナウンスしていた記憶があるんですが、高架となれば踏切もないわけでスムーズに気分良く走れるというのでしょうが、別に高架やのうても踏切が存在しなければ同じことで、この辺りはそれなりにどの電鉄会社も競い合っていた感じがします。京阪電車は例えば門真市駅のあたりなんか中環状とクロスするので地上を走ってますから全然高架ではないんですが、あんまりそういう文句を言う人はいなかったですね。
JR