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古本屋日誌
今朝も寒うて直ちに石油ストーブをたきましたそれにしても紀伊国屋書店の梅田本店のレジ係なんですが、バカなやつがいますな。少し大きめの新書をこうたらカバーをつけようとしたんですが、普通サイズのカバーでは無理となって大きめのカバーを取り出してそのままかけて私に渡します。カバーの上の部分が3センチくらいもはみ出てるんです。もちろんその場で剥がして持って帰りました。こういうのは気にならない人も多分かなりいるんでしょうが、私は嫌です。
先日お客さんから白川静の本をあれこれお譲り頂きました。この先生の漢字の語源の解釈は面白いですね。道なんか三叉路で神様に生首を捧げて行路の安全を祈るところから来ているとかほんまかいなとは思います。高島俊男先生が白川静の言説に、形声文字はどう考えるんだと反論してました。確かに漢字の大部分を占める形声文字は一部が意味を表すけれども、もう半分は発音を示していて意味とは無関係なわけです。舊なんか形声文字なんですが臼ゆう漢字が中にありますけど、これは発音を表しているだけで脱穀する時に使う臼とはとは関係ないわけです。白川静は語源を構成要素が意味を持つような解説をしているのがおかしいということです。
その上で語源とか字源とかいかがわしいですよね、そんな昔の一回限りのことを的確にいいあてるなんか無理。桂米朝はかつてうがいは鵜飼からきてるんやゆうてたけどほんまなんか、のどかうーかいーからきてんのんちゃうんかとも思います。もっとも針中野なんかは徳川時代に針の治療をする中野ゆう有名な医者があったからだそうでまあこれなんかは確かなんだろうけど、あんまり面白くもないですな。ただ「地名に個人の名前をつけるなんか考えられへん」ゆうてすごく面白い、ビックリする‼️ゆうていつもネタにしてくる友人がいますが、この人は徳田虎雄で有名な徳之島の出身なので鹿児島では珍しいことなんかもしれない。大阪なら鴻池とか平野とかは金もの名前ですね。
その上で道路は道の方が幅員が狭く路のほうが広いわけですが、こういうのはシナの人たちの変なところでやたらに細かくくべつしたがる。径路という言葉まである。確かに同じ道でも広い箇所もあれば家が張り出してきているためにせばくなってるところもあるのが普通だからそのあたりを考慮して道路とつけたのかな、それとも実情がどうであれ、二字熟語にしたほうが安定しておる感じがするという例の慣例でそうしているだけなのかわからない。まあ多分慣例でシナ人もそうしているだけだろうからあまり細かいことは問題にしないということなんだろう。