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古本屋日誌
今東光には『稚児』という短編小説がある。これは叡山の僧が稚児と戯れる様子を様々な儀式も含めて描いたものだ。
元々は1936年の『日本評論』に掲載されたものだが、226事件勃発という世相のなか、かなり削除を余儀なくされている。
その後昭和21年に谷崎潤一郎の序文、鳥海青児のデザインで刊行されたが、これもかなり伏字がある。
さらに昭和48年に『今東光代表作選集』の第5巻に収録されて、これはかなり復元されている。
そして昭和52年に『完本 稚児』と題して和本仕立てで少部数刊行された。
これは『代表作選集』をベースにしているようだが、今のところよくわからない。
今東光は叡山にある秘本を元に書いているのだが、中身は子どもをおもちゃにしているようなもので、今の価値観では受け入れられないだろう。
しかしそれは時代によって価値観など変わるというだけの話で、批判したところで幼稚な戯言でしかない。
謡曲にもある通り、当時は子どもの誘拐、売買は普通であったし、店舗で実際に人身売買が行われていた。
俺が興味深いと思うのは、濡れ場の詳細な描写で僧侶と稚児の間に会話が交わされないことだ。
体位をチェンジする際も話はせず、指を背中の、ある場所に這わせることで、伝えるというのだ。
これは僧侶と稚児の身分差が大きいから、稚児から見たら雲の上みたいな方にお話しするなど畏れ多いからのようだ。
とすれば稚児の意識としては藤子・F・不二雄の『ミノタウルスの皿』みたいな気持ちがあったということだろう。
不気味でもあるが、何か不思議な感動も覚える。
先だって一部のブックオフの店舗で店員が架空の買取処理を行うなどの不正行為を働いたとの報道があった。
ブックオフグループは決算の発表を延期して、内部調査を行い、不正行為があった店舗を特定したという。その後細かい手口なんかについても公表されていた。
Yahooのニュースには意見を書き込むコーナーがあって、ブックオフの不正行為報道にも様々な書き込みが見られた。特に「店舗に持ち込んでも買取金額があまりにも安い」とか「この本は買い取れませんが、こちらで処分することは出来ます、と言っているが実は廃棄せずに店で売っているのではないか」などという書き込みがあった。
ブックオフの肩を持つわけではないが、あんなターミナルのいい立地に大きな店舗を構えて、たくさんの店員も雇っているわけだから買取金額が安いのは当たり前だと思っている。
書き込みの中には「もうブックオフに本は売らない」というのもあったが、要らない本は処分しなければ、場塞ぎになるわけで、そういうお客さんも結局は便利なブックオフに売るのではないかと思うのだ。
何せ自宅まで来てくれるし、ほとんどどんな本でも買い取ってくれるから便利だ。
ただこのところ気になるのはブックオフ心斎橋店や三条店の品揃えだ。
三条店なんか講談社学術文庫の『日本書紀』や『続日本紀』なんかがいっぱい並んでいる。大学の教科書だったのか、同じ本が棚を占領している。
心斎橋店についても以前のような様々な本が並ぶ状態ではない。
これはどうしたことなんだろう。
古本屋の実感としてこのところ仕入れは楽になっていて、今までは春の移動が盛んになる時にしかいい本が集まらなかったのに、このところはいつでも手に入る。
それにもかかわらず、棚が寂しいというのは解せない。
今日も早起きして、10時過ぎに西宮えびすに行ってみた。
初日の本の並びがとてもよかったので3日目の今日もつられてしまったのだ。
現在社殿は修復中で、参拝は仮のお堂でやるのだが、えべっさん筋から境内に入ると松林に沿って本殿に続く道にえらい行列ができている。
聞いてみたら「砂持ち神事やがな、本殿修復の寄付をしたおしとさんが招待されてますのや」とのことだ。
砂持ちといえば徳川時代から続く庶民の娯楽で、寺社の新改築時に名々が普請に要る道具やらを持ち寄って地面をならしたり、穴を掘ったりするやつだ。
行列を眺めてみると子どもは並んでいないが、スコップを抱えてる人もいないし、砂を持ち込もうとしてる人もいない。
俺が思うにはすでに普請は終わっていて、寄付した人に本殿を内覧してもらうお祝いの会みたいなものではなかろうか。
それ以外にも七五三で来ている子供連れも多くて、ポテトスティックなんかの露店もあって境内は賑わっている。
ただ今日は昨日以上に気温が低く、風もそこそこ吹いているので、体感は冬本番という感じで、テントの中で本を読んでいると、次第にゾワッと芯から冷えてくる。古本屋の店主たちは、それこそ厳冬期のスキーヤーみたいに厚着の上に毛糸の帽子もかぶって大変そうだ。
俺の好みは文芸書や面白い文庫本なので、並んでいるたくさんの古本屋の中では「空き瓶ブックス」と「池崎書店」が魅力的だった。
空き瓶ブックスは、京都の北野天満宮の近所にある「町屋古本はんのき」の構成メンバーだ。(ここは3人の店主の共同経営なのだそうだ)
この古本屋は築100年はゆうにたっている京町家を改装して営業している。
スライド式の重々しい戸を開けて入るとすぐに土間が奥まで続いていて、たくさんの均一本が並んでいる。
しかし驚かされるのは土間のすぐ右に、だいぶ高くなって畳部屋が二つ並んでいて、そこにぎっしり詰まった本棚が並べてあるのだ。
客は靴を脱いで上らしていただいて本を選ぶシステムなのだ。
池崎書店は泉佐野にある、店舗は構えず、古本まつりに出店したり、通販をされたりしている古本屋だ。
店主は博学で、文学や音楽に通じていて、毎日ブログを書いておられる。
昨日NHKのBSで11回目の『いけずな京都旅』が放送された。
今回は京都が色を駆使して魅力的な街となっている話だ。
料亭の京料理や草木染めの話が出ていて、それは高価なものなんだから、京都であろうが、大阪であろうが何も変わらないと思うけどね。
例によって井上章一先生が登場されて、今回は四条大橋の東詰めにそびえる「レストラン菊水」屋上でビアガーデンを楽しんでおられた。(撮影は9月のようだ)
その屋上から、四条通を2005年の山鉾巡行の際に撮った大きなパネルを手にして「今の景色と違うところがわかりますか❓」という。
屋上から四条通を、見下ろしたら、両側に並ぶビル群から張り出した広告が無くなっているのが見てとれた。
「昔の写真では、ビルの広告塔が邪魔になって、せっかくの山鉾が目立たないでしょ。それで2007年に新しい景観条例が出来て、今はずいぶんスッキリしたでしょ」
井上先生は自慢げにおっしゃっているのだが、俺は違和感があるな。
これまで先生は様々な著書で京都の現在の景観を批判してこられた。
イタリアが1943年に早くも降伏したのはローマが連合国に爆撃されて古くからの建物に被害が出たからだ。
それに対して日本はいくら爆撃で壊されても構わないという姿勢だった。
例えば坂口安吾が、戦時下に、法隆寺だってなんだって焼けても構わない、堕ちきるところから、新しい文化が生まれると主張していたことも、井上章一先生は批判されていた。
「それはつまりは空襲なんか大したことないんだ、という話であって戦争に協力しようという姿勢がありありと見える」
京都が基本的に戦災を免れて、古い街並みを保てたにもかかわらず、それらをさっさと葬り去って、東京や大阪と変わらないどこにでもある街並みになってしまったことを、井上先生は、京都の人たちが結局カネに目が眩んで土地を売り、開発してビルやマンションに変えてしまったからだ、とアレックスカーのごとく批判しておられた。
それなのに、景観条例で少しビル群がすっきりした程度のことを評価して、喜ぶとはいったいどうされたんだろう。
今日から西宮えびす神社で古本市。
早速朝から行ってみた。
今回で2回目。この神社はもちろん商売繁盛の本家本元であるのだが、元旦の福男選びでも有名だ。
今宮えびすや寝屋川えびすに比べて敷地は広大で、太鼓橋のかかる庭園や、茶店、松林などがある。折から境内では菊花展も開催中だ。
今年は17の古本屋が参加していて、それぞれ白いテントをはり、特色ある本が並んでいる。レジは兵庫の古本屋は集合レジでそれ以外の古本屋は個別の会計となっていた。
上新庄に店を構える小町書店は例の1冊300円、5冊800円で大量の岩波文庫、講談社学術文庫、ちくま文庫、あれやこれやの単行本、雑誌を売っている。
尼崎の図研は様々な紙ものに加えてタイガースのキャップ各種(500円で安い)、たくさんのマッチラベルが目を引いた。
池崎書店は、おくだ書店と並んでテントを構えていて、いつも通り様々な文庫本に加えて、先ごろ亡くなった楳図かずおの漫画、谷川俊太郎の詩集やエッセイもたくさんあった。
亡くなると、なぜか読みたくなるもので、そういうタイムリーな作品をたちどころに用意できるわけだから、池崎書店の蔵書量は大変なものなんだろう。あやかりたいものだ。
さつき書房は講談社学術文庫やちくま学芸文庫、様々な単行本があった。
ダンデライオンには文庫本に加えて、文芸書がたくさん並んでいる。
サンコウ書店はたくさんの映画のDVDが目を引いた。
芸備書房にはきれいな講談社文庫の小説がたくさん見やすく配置してあった。
汎書店には帯のついたピカピカの文庫本や新書がたくさんあった。
空き瓶ブックスはきれいな文庫本を1冊200円、3冊500円でたくさん並べていた。エッセイストとして一流の永倉万治の『星座はめぐる』『父帰る』なども並んでいて驚いた。
みつづみ書房は安い岩波新書、文庫に加えて特色ある文芸書があった。中でも山田稔の単行本が何冊も並んでいたのは目を引いた。
今日は初日なんだが、平日ということもあって、ごった返すとまではいかない人出だったので、ゆっくり本を眺めることができた。