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古本屋日誌
先日亡くなった上岡龍太郎の本は探している人も多い。
ちくま文庫からは『上岡龍太郎かく語りき』が1997年に出たが、初版だけで終わってしまい、品切れで長らく手に入らない状態だった。
古書価も高騰して5000円くらいでもなかなか手に入らない。
それが、上岡が死んで、追悼ということで今年の8月に重版がかかった。値段も946円で江湖の渇きを癒すことになった。
この本は上岡龍太郎が高校を出て、司会者としてデビューするところから始まる自伝で、いかにも上岡らしい歯切れの良い文章が魅力だ。
落語について上岡は「東京の漫才はだめ。漫才は大阪のもの。反対に、落語は大阪はだめ。落語は東京のものと判断していました。」てなことを書く。
具体例はあげてないけどそれはそうかもしれないと思わせられるよね。
(俺は上方落語しか聞かないけど、先日東京の『初天神』を聞いて、その面白さに驚いた。)
横山ノックとの出会いも興味深い。昭和35年当時ノックはパチンコの景品買いのようなことをやっていた。
「パチンコ屋から学生風の男が交換所に向かうところを捕まえて「いまから換えに行くんか❓」「そうです。」「ほたら、おれが換えたる」仮に三千円分あったら、「ほーら、二千円」ちゅうて渡すんです。そこでもし、相手が文句を言うたらポカポカに殴る、というような実に荒い稼ぎをやってました」
今日から京都古書会館で小規模な古本市。
久しぶりに出かけてみた。
京都は不思議なことに、最大にして最高の古本屋はブックオフなのだ。(古文書の類は、そもそも骨董品だと思うから、俺は全く興味がなく、対象外だ)
三条京阪や国際会館にある店は大きい上に品揃えも素晴らしい。
既存の古本屋はそもそも、大きな店がない。(大阪の天牛本店みたいなところがないのだ)
店の作りも、俺が学生だった1980年代初頭とほとんど変わりがない。
馴染みの古本屋と会館で出会いあれこれ。
「この頃はな、まいにちのように店にな、外人が来るわ。
ただ、韓国人はけーへんけどな。あいつらは漢字読まれへんよってな。
中国人はようくる。わしが『中国の方ですか❓』聞いたら『いや、北京からです』ゆうのは不思議やな。首都に住んでるゆうプライドみたいなもんがあるんやろかな。
他にもな、南アフリカからやゆうてな、えらい背が高い黒人の客が来たな。
ほんまに黒光りしてるわけよ、肌がな。漆黒で、光の当たり具合で金色に見えるのよ。惚れ惚れするなあ。
フランス人や、ゆうて黒人が来たりもしたな。スロバキアからとか、ドイツからとか、これまではヨーロッパのひとが店にやってくることはほとんどなかったんやけどな、ここんとこおるんや。」
そうなのか、オーバーツーリズムに悩む京都だが、古本屋に限っては売り上げ増につながるプラスの要素となっているようだ。
今日は嫁と久しぶりに奈良公園に出向いた。
いろんな動物と遊んで、老後のひと時を楽しめるスポットなのだ。
秋晴れに恵まれ、小学生があまた遠足で訪れている。子どもの大群は楽しむどころではないように思えるが、そんなことはない。
子どもは基本的にはバカだ。つまりなんでもやり過ぎてしまう。
せんべいをこうて、さてやりましょうとなると、小出しにする知恵もないし、本当は鞄に隠し持っているが、鹿の目の前で両手を振ってないふりをすることもできない。
両手に10枚のせんべいを抱えて、それこそ5、6頭の大人の鹿に追尾されていく。
実に愉快だよな。
「うわー誰か助けて‼️助けて‼️鹿がいっぱい‼️助けて‼️誰か‼️なあて‼️助けて‼️」
笑けるよなあ。だれがお前など助けるものか。
さて、ここにすまう鹿は、押し寄せる観光客が買い与えるせんべいに堪能しているように見える。
以前来た時は10まいで200円の煎餅を買い求めるや、わらわらあっちからもこっちからも鹿の群れが押し寄せて、お辞儀を繰り返しつつ、袖やズボンの裾を噛んだり、頭突きを繰り返したりして催促してきた。
今回は基本的にはそこまでのことはなく、安いせんべいをもらうのにお辞儀までしてくれる鹿に癒されて、旧交を温めることができた。
ことし産まれたばかりと思しきバンビは、母親らと一緒にくつろいでいるのだが、嫁が煎餅を与えようとすると、びっくりしたように逃げる。
周りの、他の大きな鹿たちが争うように頬張ってバリバリ食べているのを目にしているのに、自分は食べないのだ。
これは不思議だな。
本当は口にしたいのだが、それを親や兄弟に目撃されたら後で「おんどれ、最前勝手にわしらのせんべい食とったやろ。ネタはあがっとんのじゃ‼️」と折檻されるのかもしれない。
国立博物館横の芝生では「Cフェスタ」と称してキッチンカーや出店がずらりと並び、揚げたてのポテトチップス、ソーセージ、ハンバーガー、カレー、ピザ、わらび餅、みたらし、コーヒー、そして、もちろんビールを楽しむことができる。
南大門を入り、大仏殿の廻廊前にある池のほとりには大きな30センチくらいある麩が100円で売っていて、池にたくさんいる鯉、鮎、亀、えび、こまんじゃこに雨霰とやることができる。
池のほとりでは鳩もやってきて、くれくれくれとせがむので、これにも楽しく与えることができる。
もちろん鹿も目ざとく嗅ぎつけてやってきてはせがむのだが、さすがにこれには与えず、池の周囲を足早に移動して避ける。
国宝の二月堂には無料で上がることもでき、お水取りが行われる廻廊から、奈良公園、市街をゆったりながめることもできるし、和蝋燭やお線香が薫るのを楽しむこともできる。
今日で天王寺さんの古本市は終了。
これまで古本市の終了に立ち会ったことはなかったので、今回思い立って、終了時刻の午後4時の30分くらい前に行ってみた。
少し風景が変わっている。
これまでは大きな平台の上に本を並べてさらに、平台の上に本棚を2段組み上げてそこにも本をびっしり詰め込んでいたのだが、どの店もその本棚は取払い、見通しのよくなった平台に本を並べている。
滋賀の古本屋のクロックワークは150円の文庫を100円に、大阪の淡路の古本屋は平台の本を半額に、京都のシルヴァン書房は文庫本や単行本を1冊100円、3冊なら200円にしていた。
そして100円均一コーナーでは500円で大きなレジ袋を買い、本を詰め放題といういつもの企画をやっていた。
そして既に撤収の準備も進められていて、単行本や文庫本が積み上げられて、紐でゆわえてあって、そこには「つぶし」と書いた紙の札が付けられてある。
「つぶし」とは持って帰らない、ここで処分するという意味だろう。
今回の古本市は期間中、2日間くらい断続的に雨が続いた。
その間は屋外に出してある平台にはブルーシートや透明なビニールシートがかけてあったわけだが、それでも強い雨足で、隙間から雨水が浸入して本を濡らして、カバーに水濡れの痕跡が露わになっているものがある。
そんな本の一つが大江健三郎の『燃え上がる緑の木』全三巻、新潮文庫、初版、帯付きだった。
この本は今も新刊で手に入るのだけれど、初版できれいな帯が付いているものは貴重だから、少しかわいそうな気分になった。
東京新聞から小沢彗一の『南海トラフ地震の真実』が出た。
先にこの地震が、30年以内に発生する確率は80%なる報道がされていた。そういわれたら、もう地震が近いと焦りを覚える人も多いだろう。
しかしこれは過去3回の地震のデーターから割り出した数値にすぎず、あまりにもデーターが少ないために客観性がない。(過去千年くらいの正確なデーターがあれば確率も意味があるだろうが)
その上基準になっている地盤の沈降数値は徳川時代のもので、正確とは到底いえないものだというのだ。
こあたりのことは、審議会でも問題視されて、南海トラフ以外の日本各地の地震発生確率と同じやり方で確率を算出したら、今後30年以内に20パーセントとなった。
それにも関わらず、政治判断で20%は伏せられてしまったというのだ。
これまで南海トラフ地震が迫っているということで、その対策費に巨額の国費が投入されてきた。
結局それを削られたくないという、訳のわからない理屈で、不正確なデーターが使われているんだろうよ。
なかなかよく調べてある好著だ。