Welcome
古本屋日誌
講談社文庫からこだまの「ここは、おしまいの地」が去年出た。
こだまは例の「夫のちんぽが入らない」で有名だ。
この作品も幼い頃からのしくじりや劣等感や赤裸々に綴った私小説風の作品でなかなかよく出来ているのだ。
著者は左目の横に1円玉ほどの黄色いあざがあるのだが、小学校時代それをからかわれる話がある。
「『顔にうんこの染み、耳にうんこが付いとるぞ』(作者は耳にほくろがある)
川本(作者のクラスメートだ)の口調は強かった。
まわりの男子が即座に『うんこ』に反応し、教室は一瞬で爆笑の渦に包まれた。
気付いたときには『うんこ、うんこ』のコールが始まっていた。」
なかなかきつい体験だ。ここから作者が立ち直るきっかけは化粧を始めたことなのだから、人生は面白いよなあ。
三密堂書店は占いの本を専門にしている古本屋だ。
時折、可愛らしいイラストで表紙を飾る目録を出している。
その5月号には次のような本が載っている。
「針占い、こうして見分ける男女の性別、牧野谷栄一、昭和56年、6600円」
「悪魔の占い、イザベラ・F・ミチコ伝聞、小学館、平成3年、3300円」
「現代病占百科、新しい病気占い講座、坂井宏通、修学社、昭和62年、3850円」
世の中にはいろんな占いがあるもんだな。
当たるも八卦、当たらぬも八卦。そういうものだろうが、それにしても変わった占い方だよな。興味そそられる。
さて、作家の円居挽が「捨てられない人」というエッセーを同じ号に寄せている。
円居は親もモノを溜め込むタチの人で、自身も捨てられない。
「おまけに仕事柄、出版社から献本を受ける。文庫本や単行本ならまだいいが、雑誌は毎月やってくる。(中略)
一年分積み上げると子供ぐらいの質量になる。
そうした雑誌類をある時までは定期的に縛って捨てていたのだが、ある時からそういうのが面倒になって廊下に放り出すようになった」
しかしこの後、自宅マンションのメンテナンス工事が行われることになり、ついに意を決して片付けることになる。
「空間を占拠している雑誌をひたすら縛り、作業スペースを確保していく。そして後はひたすらもう要らない物をゴミ袋に放り込んでいく……。(中略)
工事が始まるまでの三日間、マンションのゴミ捨て場との往復を繰り返した。(中略)
ちなみに片づけの顛末だが三日間ゴミを捨て続けたごそれでも終わらず、結局は業者の人を片付け中のゴミで散らかった部屋にあげることになった。
業者の人が室内を見た時、まるでゴミでも見るような視線を私に向けたのは言うまでもない」
いやもう、これはもったいないね❗️
ゴミ屋としての本性がむくむくと俺の中で起き上がって、切歯扼腕、残念無念。
自分の気に入った本を一度に何冊か買う人は珍しくない。
俺の連れにも、根本敬や赤塚不二夫が好きで新刊を同時に3冊買うのがいる。
一冊は読書用、あと2冊は日焼けしないよう、本屋でつけてもらったカバーを付けたまま保存している。
しかし本は嵩張るし、重たいから、どうしてもスペースが無くなってくる。
これは誰もが悩むことだ。
先日ある古本屋の主人と話していたら、この悩みに解決策を見出した人の話が出た。
「本はな、場ぁ取ってまうし、重たいさかい、畳が沈みこんでもたりしまっしゃろ。
わしの連れの、小説をコレクションしてるやつはな、いつも本屋でさらの本屋2冊買うんや。
一冊はしっかり読むんやけど、もう一冊は、本屋の紙のカバーつけてな、その上からラップで巻いてな、徳島に送るんや。
そこはそいつの田舎で、農家やさかい、なんぼでも地所あんねん。なんでもな、そこらたしは、モータープールなんか金は取らんゆうてるぐらいやよってなあ」
なるほど田舎の土地の値段が安いところに倉庫を借って、本を溜め込むわけだ。
長期の休みには帰省して、さらっぴんのお気に入りの小説を読み耽ることができるのだ。
そして長い老後の楽しみとして、田舎で本に囲まれて生活することもできるのだ。
うまい具合に本が崩れてくれば、埋もれて死ぬことすら可能だ。
今日は久しぶりに山崎蒸留所に行ってみた。
以前はいくらでも予約できたし、見学は無料でウィスキーも試飲出来たが、それは遠い昔話で、今は見学ツァーは有料(千円)で、なかなか予約できない。
工場見学ツアーなしで、ティスティングカウンターと売店だけというのでも、なかなか予約できない。
売店で山崎ブランドが買えないのはもう知っているが(2年前に来た時に、店員に「山崎12年はないの❓」と聞いたら「朝、ですね、朝、時に数本入ることがあります」との返事だった)
果たしてティスティングカウンターではどうなのかが気になっていた。
以前は山崎25年や響30年がハーフショットだが3000円くらいで楽しめた。
しかしこのところの、ジャパニーズウィスキーブームのあおりで、品薄となりネット通販ではとんでもない値段が付いている。
今日行ってみたら、山崎25年、白州25年、響30年がいずれも3700円ので出ていた。
安心しました〜
老後の楽しみとしてウィスキーを嗜むことは大切だと思うからだ。
山崎蒸留所の近くには、あの天王山があって、ちょっとしたハイキングを楽しめる。
また少し足腰にこたえるが、モネの睡蓮を所蔵するアサヒビールの美術館もあるから、足腰を鍛え、名画も楽しんでから蒸留所でうまい酒に舌鼓を打てるわけだ。
この程度の値段で飲めるんだからもうタダみたいなものだ。
さて、何をいただくか、超長期熟成のうまいウィスキーでもいいのだが、前に響30年を飲み、同時に響21年も飲んだんだが、その違いが全くわからない。
「うまいなあ、うまいに尽きる」で終わってしまったことがあった。
これはかなりショッキングな出来事で、(俺にはそもそも高級なウィスキーの味はわからないんだ)と思い知らされた。
ということで、今回は響21年、山崎18年、白州18年のセットにしてみた。(2400円)
今日で百万遍の古本まつりは終わる。最終日の大盤振る舞いを期待して行ってみた。
竹岡書店が8冊まで500円セール(昨日までは5冊)をやっていた他、萩書房が一冊500円の単行本を3冊で1000円で売っていた。それ以外は特にセールはなし。
注目していたのは各古本屋が持ち込んでいて、まだ売れていない本の扱いだ。
平台や本棚に入る限りの本は並べてあるが、まだまだたくさんの本が、御堂の軒下に、紐で結えて積んであったり、長方形の頑丈な木箱に入れてあったりするのだ。
先月の天神さんの古本市では、100円均一本は最終日もお堂の軒下やお手水に積んであったが、結局全部バラして御堂の地べたに並べて客に買わせていた。
ただかなり売れ残る本も出るから、撤収する際、また結え直したり、箱に詰めたりする手間が生じてしまう。
どのみちかなり売れ残りが出るわけだから、もう並べるのはやめにするというのもわからないではない。
京都はどうするのか。
午後2時半過ぎ、竹岡書店、シルヴァン書房、三密堂書店ではまだかなりの本が結えたままになっている。
大阪のお客さんなら、近寄ってきて
「あんな、これ積んであるけど、見てええやろ。積んだままやったら泣いてるで〜」てなことを言って広げようとするだろう。
京都のお客さんはおとなしい。お行儀だ。
御堂の軒下にまだまだたくさん単行本が積み上がっている、そのすぐ横で平台に並んだ廉価本を押し合いへしあいしながら漁っている。
不思議な光景だ。ちょっとバカではないかとも思える。