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古本屋日誌
このところ天気予報はややこしい梅雨どきでありながらよく当たる。昨日も昼前から雨が激しくなるとの予報はその通りだった。
友人がライトスタンドの年間予約席を持っていてお願いして一緒に行くことになっていたが予報通りダメになった。
甲子園は年間予約席を持っている人だけ入れることになっている。
ヤフオクを見てみたらそのチケットがたくさん出品されている。
今のところ「営利目的の出品は法に触れる」ことになっている。ただ、年間予約席は「タイガースの試合を全て見たい」気持ちから購入したもので転売して儲けようという動機ではないからヤフオクにだすのは容認されているようだ。
俺はダフ屋行為は全然悪いと思っていない。
ただ世俗に言われている「ダフ屋が、金儲けに走って本当に見たいファンにチケットが行き渡らないのはおかしい」などという考えもわからないではないと思っていた。
ところが行動経済学などを研究する大竹文雄の中公新書「競争と公平感」を読んでみると全く逆のことが書いてある。
経済学の観点からすると、チケットの流通面から、ダフ屋を、容認した方が手に入る可能性は高まる。
完全にダフ屋行為を禁止するならチケットの入手は発売時間開始とともに申し込むしかなくなる。
つまりその時間帯にネット環境に自由に接続できる人しか申し込めなくなってしまう。
この点オークションやダフ屋なら金を積めばいいだけで購入できるチャンスは遥かに増える。
また通常の試合やコンサートの席数から考えて大きく価格が高騰することはありえないので、機会均等の面からもチャンス増大の面からもダフ屋は有効だとする。
この理屈は正しいのだろうけれど、俗耳に入りにくい面があるよなあ。バカをどう黙らせるかは民主主義の最大の課題だと思う。
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柳美里の「朝日新聞」連載の「8月の果て」は途中で打ち切りとなった。
柳美里の家族をたどる自伝風の小説でオリンピックのマラソン競技に出場できるほどの健脚の祖父のことも語られる。
しかし連載後半で13の子供が騙されて武漢の慰安所に連れて行かれて慰安婦をさせられる話になる。1日に20人も30人も客を取らされる様子が細かく描かれる。
やってくるのは帝国陸軍の将兵なんだが女とやりながら昼間の「出来事」を語る。
それは食料をシナの農家から奪い取る話であり、強姦する話だったり陰惨なことこの上ない。そんな話を得意そうにする兵隊にはすでに死相が現れているのだからなんとも救いのない話だよなあ。
結局はこういう日本人にとってはかなり読みにくい話が朝刊に毎日載り続けるのが朝日の経営者には困ったことだったんだろうなあ。
それはそうと、「芸術新潮」の最新号が福富太郎を特集している。福富はキャバレー「ハリゥッド」を全国(東日本だけだが)展開してキャバレー王の異名を取ったが、反面絵画コレクターでもあった。
鏑木清方や北野恒富、河鍋暁斎などのコレクションはなかなかのものだ。
福富によると「俺のコレクションは贋物ばかりだよなあ。画商が持ってきたものを俺の目で見て買ってるからなあ。」
実際徳川時代の浮世絵のコレクションは大半が贋物だった。ただ騙されていると分かっても買ったり、「とにかく持ってこい‼️」と門戸を広げたりしたおかげで最終的には展覧会を開催できるほどの名品を揃えている。
この辺は単なるケチで、また鑑識眼もなかった松下幸之助との違いだな。
幸之助は金だけはあったが、騙されることを極度に警戒して、大らかさが全くなかった。本人もバカだからものを見抜けない。そのためコレクションなど夢のまた夢だった。
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小林よしのりが扶桑社から「コロナ論③」を出した。例の「spa」の連載をまとめたものだ。
小林は一貫して日本ではコロナは季節性インフルエンザに過ぎず、現在のような過度な自粛は経済を破壊し、自殺者を増やすだけのおろかな対応だと批判している。
根拠は①コロナの死者数が少なすぎること。季節性インフルエンザは年間関連死を含めて1万くらいだが、コロナはそれより少ない。
②PCR検査の感度が日本は諸外国に比べてかなり高い値を採用しているため、「感染者数」が多くなっていること。
③「医療崩壊」なるものもコロナをエボラ出血熱同様の二類指定にして厳格な隔離を義務付けているために全国に潤沢にある病床の2%程度しか使えなくなっているためであり、コロナをインフルエンザと同じ5類に分類すればなんの問題もなくなること。
こんな感じの話だが確かに日本においては十分説得力のある論点だよなあ。
小林の言っている話でなかなか面白かったのは
「命の長さはそもそも個性なんだ。人間はいろいろ一人一人違っているわけで、命の長短も、おんなじだ」というやつだ。
なかなかそこまでは言い切れないよなあ、今のわれわれは。
やっぱり健康で長生きしたいというのが現代の日本人の総意だよなあ。
だからえらく若うで亡くなった身内をみるといつまでもクヨクヨ悩むことになる。
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柳美里が2003年に刊行した「8月の果て」は朝日新聞に連載していたものだ。
ところが何故か途中で連載打ち切りとなり残りは文芸雑誌の「新潮」に掲載となり単行本や文庫も新潮社から出た。
小説の後半に朝鮮の釜山あたりに住んでいた13の少女が「福岡の縫製の軍需工場で働かないか❓貯金もできるし、福岡に着いたら親に手紙を書いて知らせたらいい」と言われてついふらふらと誘いに乗ってしまう。
実際には全然逆向きの汽車に乗せられて大連を経てはるばる上海近くの前線にまで連れて行かれて慰安婦にさせられてしまう話が細かく描いてある。
最初女衒の男は駅でうなぎ弁当に桃を買い与えたり、満州では特急「あじあ号」に乗せたり、市内観光をさせたりと好待遇を示していたが、その費用も全て前借りの借金となっているとのストーリーで気の毒としか言いようもない。
水揚げは軍医と称する男が「こんな子どもなんか連れてきてしょうがないな。本当はやりたくないんだけどな」と言いながら済ませて「お前は14だと言うとけよ」と前線の将兵の慰問に携わることになる。
慰安婦に関しては朝鮮人に対しては、軍の直接の関与はなかったようだが、いずれにせよわれわれにとってあまり良い記憶ではないことは確かだ。
それにしても「朝日新聞」が連載を終わらせたのは何故だったんだろうか❓
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いつも不思議に思うことがある。古本市に来てくださるお客さんのことだ。
どうして文句言わないのだろうか❓ということなのだ。
古本市に出す際は、どうしても本が傷つく。
まず倉庫から引き摺り出す時に回りの本の山に衝突したり、山から落ちてしまいそれを「よっこらしょ」と引き上げる時カバーがずれたりする。
運搬する際も段ボールに詰め込むために本の端がボール紙と接触して角が丸くなりがちだ。
あるいは紐で結えるさいにはきつく縛った紐が本のセンターに食い込んで跡が残りがちだ。時間がなくてイライラしていることも多いから、商品である大切な本を放り投げたり乱暴に取り扱うこともないとは言えない。
平台に運び込んだ本を並べるときも古本屋は疲労のピークに達しているから、
「あ〜もう早終わらんかな‼️ビール飲みたい‼️飲みたい‼️」てなことしか考えないから勢い本を叩きつけるように台に並べがちなのだ。
おまけに古本市会場は屋外であることもしばしばで、風に煽られて砂埃が舞い、本が砂でコーティングされてしまう。
室内でもたくさんの人が出入りしてこれまた巻き上がる綿埃が本に付着してしまう。
だから古本市でこうた本のコンディションは良くないことがしばしばある。
つまり本は古本屋の店舗で買うか通販を利用する方がいい状態のものが手に入る。
それにもかかわらずお客さんから
「こんなコンディションが悪いのにこの値段は高すぎるやろ‼️」とか
「古本市の本はどうも汚い、来て損したわ」みたいなごく当たり前の真っ当な批判を頂戴することはないんだよなあ。
古本市に来る方々は日頃は古本屋に行かないのだろうか❓
それはさておきテレビが商品の売れ行きに大きな影響を与えることはこれまで何度も見聞きしてきた。
ダイエットにいいと納豆がテレビで報じたためにあっという間に品薄になったことも記憶に新しい。
昨日の「サンデーモーニング」で関口宏が中国の加速する宇宙開発(火星にロケットを到達させた)に関連して山本夏彦の「何用あって月世界へ」(文春文庫です)を引用して、宇宙開発の無意味さを論じた。
山本夏彦は雑誌「室内」を編集するかたわら旺盛な言論活動を続けたことで知られていて、わたしも尊敬するあまりいろんな人に読むように勧めている。
しかしこのところずっと古書価は低迷して文庫は概ね100円くらいで売られている。
ところが関口宏の発言がテレビで流れると途端にAmazonの古書価は値上がりして、といっても1500円くらいなんだが、面白かった。
山本夏彦の説く商業倫理や金についての考えは極めて真っ当で、その当然のことが流行らないのはどうしたことだろうかね。
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