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古本屋日誌
この間雑誌「number」の古いやつをお客さんから買い取った。
その中に1981年のタイガース特集の号があって上岡龍太郎と山藤章二が対談している。
上岡は「優勝はしてもらいたい」と言う一方で「負けるからダメだとは思わない」とも言う。
つまり結果としてはその試合に負けただろうが、点も何点か入っていようし、ひょっとしたらファインプレーの一つや二つあっただろうし、ピッチャーだっていいコースに決まったケースもかなりあるだろうということなのだ。だからそのようないいところだけ見ていたいというわけだ。
これはかなり歪んだ発言ではあるが別に上岡龍太郎だけの意見ではない。私の周辺でも何処でも普通に聞こえてくる声なのだ。
スポーツ新聞もタイガースが負けたら「ダメ虎」だとか「〇〇、ええ加減にさらせよ‼️」てな気が滅入る見出しになっている。
しかしそうではなく(試合の勝ち負けなど無視して)「二回のマイクのストレート、凄い‼️」とか「6回の掛布のホーマーは125メートル弾‼️」てな感じにしたらいいという人がいっぱいたよなあ。つまり負け試合でもタイガースなんだからいいところがあるだろう。それだけを取り上げて新聞を作って欲しいということなのだ。
昨日の試合も8回に岩崎が打たれて同点になってしまったが、岩崎はタイムリーを打たれても、ゲッツーを取っても完璧なポーカーフェイスで素晴らしかった。
明らかに球が高く浮いていて、なかなか空振りが取れない状態だったのに、まったく表情も仕草もいつもどおり淡々としている。
いいよね〜
ところが解説の古田も片岡も「9試合連続で無失点なんです」と褒めちぎるし、打たれたら打たれたで「われわれ解説者が褒めたら打たれるということがよくあるんです」などとオカルトみたいなことを言うので笑わせるぜ。
ジャイアンツにいた上原は打たれたら顔をゆがめる上に、マウンド上でしゃがみ込んで悔しがって見苦しかった。
桧山に自慢のフォークボールをすくいあげられてライトスタンドに放り込まれた時など切歯扼腕、見苦しさを通り越して面白いほどだった。桧山は完全にタイミングを外されて、バランスを崩して当てただけのバッティングだった。
変化球を打ち損なってもスタンドインしてしまうようなお子ちゃま用の野球場てバカバカしいよなあ。
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老舗の古本屋にはいい本を売ってくださるありがたいお客様がたくさん付いている。
自分の店の専門が歴史書であってもそれに付随してあれこれの専門書や図録、岩波文庫やちくま文庫なども引き取ってくれると言われるので仕方なく引き取る。
このおまけの本を店で売ろうとするのだが、一々相場を調べるのはめんどくさいし、そもそもAmazonの相場では実店舗では売れないからその辺の値段の調整も厄介だ。
古本屋は家内制手工業だから人手がない。
だいたいそんなことに労力を割くくらいなら、もっと自分の専門の本を調べたいし、第一全国にでも飛び出して買い取りたいわけだ。
また買い取る時に客は「この辺の文庫は出版社からもうたり、見本で送ってきたやつやからただでええよって持っていんだってや‼️」てなことを言うのが常だから、ただで仕入れたものにあれこれ値段を付けてしまうと、この客が店に来た時に嫌がらせを言われそうで気が重い。
それで店売りは文庫は基本全て100円、岩波文庫、講談社学術文庫、ちくま文庫に限ってよさそうなのは定価の7掛けとか決めて売ることになる。
ただ大阪の古本屋は専門店化があまり進んでいないので、勢いなんでも並べることになる。
本当は自分の得意なジャンルだけで店を運営したいところなんだが、大阪の客はいろいろなジャンルが並んでいる本屋の方が好きなのだ。専門店ではメシが食えない。
だから嫌々ながら自分の不得意なジャンルの相場も勉強せざるを得なくなって、その勉強が新書や文庫にも及んでしまうこともあるのでそんなに安い値段では売られていない。
やはり文庫本でも利益を上げないと店がやっていけないのだ。
東京はずっと前から専門店化が進んでいて、万葉集の本だけを集めた古本屋だとか、ビートルズ関係の本だけ、相撲の本だけとか個性的な風変わりな古本屋がいくらでもあるよな。
こんなわがままな、つまり店主の好みだけで飯が食えてしまうわけだから東京の連中は人生をなめているよなあ。
私は全く東京の古本屋事情に疎いが、こういう本屋の場合、客からの買取は大半がいらない本になってしまう気がする。
われわれ大阪の古本屋なら内心(こいつなあ、ええ加減にしとけよ、しょうむない本ばっかり並べやがって地獄に墜ちろ‼️)と思ってもおくびにもださず
「ここら辺はちょっと難しいかなあ」と言って結局引き取らされてしまう。
しかし東京なら「あ‼️なにこれ‼️いらんいらん‼️アホちゃうか‼️」で済んでしまうのではないかな。
それでもちゃんと自分の欲しい本は集まってくるのだから笑いが止まりませんな。
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新潮社から大塚ひかりの「うん古典」が出た。
いつもながらストレートなタイトルで驚くばかりだ。その前の新潮新書が「くそじじいとくそばばあの日本史」だからね、よくやるよ。
例によって内外の古典を博捜してババに関する逸話や伝承を集めてああでもない、こうでもないと論じたものだ。
三輪山伝説のホトタタライスズキ姫の伝承を論じて「トイレで神と通じることができると信じられていた」というのはひらめきの鋭い大塚ならではの論点だろう。
それにしてもタイガースはどうしたのかね。今日はゲッツーを二回もくらい、エースの西が4点も取られて逆転されてしまった。
これまでのタイガースならこれで終わりでなんの見せ場もなく負けていたことは間違いない。
それが陽川やら大山やら佐藤やらのホームランなどで11点も奪って勝ってしまうのだから何がなんだかようわからんね。
佐藤はえらい低めの球が好きだよなあ。
2日前のカープ戦でも野村の内角低めのチェンジアップを空振りして三振となった。
それを第3打席ではまたしても打ちにいってライトスタンド中段まで運んだ。見逃せばボールだしチェンジアップの見極めも出来てるのに振りに行くのがよくわからない。
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今日は神戸のお客さんのところに出かけて買い取り。
連休中なんだが電車は空いていて特に子どもが乗っていない。
三ノ宮の知り合いの古本屋の話では「あれやな、うちの前も人通りが少ないさかい、弱っとるんや、でも売り上げは増えとるんや、不思議やな」
さらに元町のやはり知り合いの古本屋の話
「今年はな、とにかく買取の依頼がなんぼでもあるねん、昨日もなあんまりようさんええ本が手に入って置くとこないねん。しゃーないよって、バイトやとて、二階からダンボール下ろしてな、100箱くらいはあったから全部組合の市に出して処分してな、代わりにこうてきた本を上げたんや」
神戸は相変わらず盛況のようでご同慶のいたりです。
古本屋の店舗をオープンしても大丈夫な立地は古くからの町で、ちょっとしおたれていて、つまり西ノ宮みたいな若い人ばかりの街ではなく、大きな商店街のあるところがよい。
商店街はスーパーと違い、暇つぶしにはもってこいのところだ。
売ってるものが一つ一つの店で全く違う。飾り付けや店内の品物の配置もいろいろ変わっていて見ていて飽きが来ない。店主や従業員も話しかけて欲しそうにしている。
古本屋も暇つぶしにこれほど手頃な場所はない、その意味で商店街との親和性は極めて高い。
そういう街の、ある古本屋の店番には店主の父親がかなりの頻度で入っている。
ちょっと聞いてみた。
「噂で聞いたんですけど、おじさんの息子さんが社長らしいですな、それとおじさんは亀岡からわざわざ店まで通てるて、聞きましたよ。2時間はかかるんちゃいますか❓」
「そこまではかからんけど、わしは本が好きなよって、寝る前にも本読まな寝られへん人間やさかい、ここいよって店番してお客さんと本の話したいわけよ」
商店街には子連れの主婦たくさんやってくる。あれこれ古本を漁ろう、立ち読みしたいと思っても子どもがじっとしてない。
じりじりして走り回ったり、「早よ行こうよう‼️‼️」とうるさい。
そこで古本屋の中に絵本をたくさん並べてその前に低いテーブルや椅子を並べて子供が絵本を手に取ってしばらく読めるようにしたらいいだろう。必ずや集客力アップにつながろう。
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川本三郎の「細雪とその時代」が出た。東京生まれの川本にしてはよく読み込んでいる感じはする著作だ。
谷崎の「細雪」をあれこれ論じているのだが、隔靴掻痒の感は否めない。
川本は蒔岡家の4姉妹が東京蔑視の思いを抱いていることを縷縷ときおこしている。そんなことは普通に読んだら誰でもわかることだよなあ。
鶴子の夫が丸の内支店長勤に抜擢され、蒔岡家の中心が東京に置かれることになったり、雪子も主治医は関西ではなく東京の医者を選んでいたりして、なんだかんだ言いながらも東京のもつ近代化の力を認めざるを得なくなっていることも、川本に改めて説かれるまでもなく自明のことだ。
東京を下に見る価値観は間違いなく谷崎のもので、現実の芦屋はむしろ大阪を下に見ていた。
芦屋の人たちは大阪アクセントを使わないし、第三高等学校、つまり京都帝国大学には進学せず、第一高等学校、東京帝国大学に進んでいた。この伝統は現在も灘高校に受け継がれている。
それはさておき、面白いのは「細雪」に描かれている4姉妹の差別意識だ。
「細雪」の4姉妹の末っ子、妙子は写真技師の板倉と恋仲になって結婚したいと家族に打ち明けるのだが、幸子は「あの男は丁稚上がり」「こいさんのような分別のある人があんな程度の低い人間を、どうして夫に持つきになったのか、私には不思議で仕方がない」などと差別意識をあらわにして反対する。また雪子も同様のことを口にするのだ。
努力して手に職をつけて立派に生活している板倉を評価するどころか、自分たちと同じ階層ではないから話にならないというのだ。
その一方で船場の生まれであるはものの、遊び人でチャラチャラしている奥畑を評価する。つまり奥畑は船場の生まれだから自分たちと同じ立場なんだと思ってしまう。
私はこの手の差別が問題だとは全く思わない。
身内で団結して、その他を排除することで守られるものもたくさんあることを知っているからだ。
だって京都の連中なんか、その最たるものでしょう。
強烈な差別意識を保ってゆえに、祇園祭は今の形で保たれているし、近代化や金儲けの誘惑にや誘いにやすやすとは乗らない言動力となっている。
大阪にも谷崎が書いたような強烈な差別意識があったのなら、もっと大阪の街は違ったものになっていたように思うけどな。
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