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古本屋日誌
川本三郎の「細雪とその時代」が出た。東京生まれの川本にしてはよく読み込んでいる感じはする著作だ。
谷崎の「細雪」をあれこれ論じているのだが、隔靴掻痒の感は否めない。
川本は蒔岡家の4姉妹が東京蔑視の思いを抱いていることを縷縷ときおこしている。そんなことは普通に読んだら誰でもわかることだよなあ。
鶴子の夫が丸の内支店長勤に抜擢され、蒔岡家の中心が東京に置かれることになったり、雪子も主治医は関西ではなく東京の医者を選んでいたりして、なんだかんだ言いながらも東京のもつ近代化の力を認めざるを得なくなっていることも、川本に改めて説かれるまでもなく自明のことだ。
東京を下に見る価値観は間違いなく谷崎のもので、現実の芦屋はむしろ大阪を下に見ていた。
芦屋の人たちは大阪アクセントを使わないし、第三高等学校、つまり京都帝国大学には進学せず、第一高等学校、東京帝国大学に進んでいた。この伝統は現在も灘高校に受け継がれている。
それはさておき、面白いのは「細雪」に描かれている4姉妹の差別意識だ。
「細雪」の4姉妹の末っ子、妙子は写真技師の板倉と恋仲になって結婚したいと家族に打ち明けるのだが、幸子は「あの男は丁稚上がり」「こいさんのような分別のある人があんな程度の低い人間を、どうして夫に持つきになったのか、私には不思議で仕方がない」などと差別意識をあらわにして反対する。また雪子も同様のことを口にするのだ。
努力して手に職をつけて立派に生活している板倉を評価するどころか、自分たちと同じ階層ではないから話にならないというのだ。
その一方で船場の生まれであるはものの、遊び人でチャラチャラしている奥畑を評価する。つまり奥畑は船場の生まれだから自分たちと同じ立場なんだと思ってしまう。
私はこの手の差別が問題だとは全く思わない。
身内で団結して、その他を排除することで守られるものもたくさんあることを知っているからだ。
だって京都の連中なんか、その最たるものでしょう。
強烈な差別意識を保ってゆえに、祇園祭は今の形で保たれているし、近代化や金儲けの誘惑にや誘いにやすやすとは乗らない言動力となっている。
大阪にも谷崎が書いたような強烈な差別意識があったのなら、もっと大阪の街は違ったものになっていたように思うけどな。
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