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古本屋日誌

2021-05-11 10:39:00

東京は閉めている古本屋もかなりあって、これは居酒屋やカラオケ同様、国からの補償金が出るからだ。

大阪はもちろんそういうことはない。

古本屋に客がいっぱい入って居酒屋同様に侃侃諤諤、口角泡を飛ばしてなどということがあるわけないのだが、東京都の考えることはよくわからない。

以前立川に住んでいる友人が遊びにきて神戸の古本屋を何軒か案内したことがあるが

「えらい安いやんか、大阪や神戸の人は幸せやなあ」とのたまわっていたけど、もちろんそんなことはない。

東京だって安い古本屋はいっぱいあるし、むしろ神戸や大阪よりも安いくらいだ。

店頭で販売するわけだから客層は限られる。全国から買いに来てくれないわけだからAmazonの価格などなんの参考にもならない。

そもそも店に商品を並べるということは、並べるだけで所場代がかかっているし、本を売り捌くための人件費や光熱費も必要になるからいつまでも売れずに本棚に刺さったままなどというのは言語道断だ。

仕入れの値段を勘案しながら安い値段でどんどん売り捌いていくのが正しい古本屋経営だろう。

そうすれば「あの店は安い‼️」との評判もたち、いい本も集まってくるから、物を売る循環が生まれるわけだ。

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2021-05-10 21:51:00
柳美里が新潮社から出した「8月の果て」を入手しました。1刷で帯が付いていて、しかも柳美里のサインが入っている本です。
ぜひお求めください。帯は福田和也が推薦を寄せています。

この本は新潮文庫からも2巻で出ているのですが、なかなかお目にかかりません。

内容は柳美里の自伝風で、マラソンランナーであった祖父の足跡を辿るところから始まります。

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2021-05-09 11:35:00

斎藤光の「幻のカフェー時代」が淡交社から出た。

大正末から昭和の初めに隆盛を極めた京都のカフェー事情を図版を交えて詳細に記した労作だ。

1922年に京都日日新聞が実施した「女給人気投票」は市民の間で大盛り上がりでトップの女給は44万票も獲得し、全得票数からすると京都市民の7分の1が投票した計算になるそうだ。

つまりかつての京都観光は昼間は確かに社寺仏閣詣でだったろうが、夜間はエロ全盛だったことがよくわかる。

これはこれは井上章一が縷々説いていることで、徳川時代からの京都の観光の伝統だった。

ところが1980年代の半ばあたりからエロ抜き、純粋に社寺仏閣詣がしたい、枯山水で癒されたいなどというこれまでなかったような種族が京都を訪れることが始まった。

そういえばちょんのまで有名だった五条楽園はもうないし、1990年代にはあれほど猖獗を極めた木屋町通りのキャバクラや風俗店の客引きも全てなくなったよなあ。

例のノーパン喫茶も京都発祥であるのだが、大阪であるかのように語られてしまっている。
京都の人たちもエロの伝統を消し去りたいと思っているのか大阪に取られても平気なようだ。


観光は寺社仏閣、庭園を巡るもので後は高い金を厭わず、よく考えたら値段に釣り合わない味でしかない料理をありがたがって食べるものだという価値観が1980年ごろから蔓延しているのだ。

新幹線や飛行機の金を負担し、時間も相当とられてようやく京都に到着して、さて待っているものは寺社仏閣とまずくて高い料理なんだから、普通に考えたら繁盛するわけない。

しかし時代がそれを「癒し」であり「休日の過ごし方」だと刷り込んできて大衆は容易に染まってしまって今があるわけだ。


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2021-05-08 11:29:00

天牛新一郎の「われらが古本大学」を入手しました。

昭和60年に当時94だった天牛書店の創業者、新一郎へのインタビューを集めたものだ。

90を超えてもかくしゃくとしていて、昼間は孫の経営する店に出ていたというのだから大したものだ。

戦前の天牛本店は間口が6間、奥行きが25間(つまり45メートル)、蔵書20万冊というもので、これだけ大きな古本屋はなかなかないよなあ。

今の天牛本店の5倍くらいはあるだろうよ。二階では新一郎がこっていた浄瑠璃の大会が開催されていた。

面白いのは永六輔と「週刊文春」でやった対談を再録してあるのだが、その中で万引きへの対処を新一郎がかたるくだりだ。

永六輔「立ち読みやら万引きやらがあるでしょう❓」

新一郎「立ち読みはかまいません、万引きはじっと見るんです」

「そうは言っても盗まれたら困るでしょう❓」

「古本屋はその一冊で潰れることはありません、しかし万引きした人はそれで一生が潰れてしまうかもしれない。それでじっと見るんです」

そんなものかな。

今はあれだけど昔は万引きを見つけたら店の裏に引き摺り込んでどつき回す店がたくさんあった。警察に通報するようなことはしない。「あの店の親父は怖い、半殺しにされる」みたいな噂がたつのをねらっているわけだ。新一郎のやり方は確かに不思議だよな。

角座の前にあった店には俺も行ったことがあるけど近所の店主やら年配の客も多くて独特の雰囲気があったよ。

いきなり「おやかましさんです、〇〇ゆう本ありますやろか❓」とずいぶん長らく聞いたこともなかった大阪弁が普通に流れて、おまけにあの風貌の新一郎さんですからね。

最盛時には7つの支店を抱えていたのだが、せどりも恒常的に行なっていたことがわかった。

新一郎はあらかじめ全集やセットの本の欠本を調べておいて、手の空いている従業員に「神戸や京都を回ってこれを探して来い‼️」と命じていた。

さて一番びっくりしたのは創業時からしばらく続けていた買取のことだ。

なんでも「お買い上げになった本はお読みになったらまたお持ちください。お買い上げのお値段の9割で引き取ります」というんだから驚くばかりだ。

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2021-05-07 17:17:00

編集工房ノアから出ていた足立巻一の「学芸の大阪」を入手しました。

足立はあの「やちまた」の作者ですね。

徳川時代の大阪で活躍した文人たちの経歴を調べて、そのゆかりの地に足立が出向いてあれこれ調べるスタイルで、ちゃんとした郷土史の本になっている。

大学の先生に郷土史の原稿を頼むと(もちろん頼む方がバカなんだが)適当にこれまで出ている本を引き写して送ってくることがしばしば起こる。

その点、足立はしっかりした文献調査に加えて人間関係も作ってから現地に足を運んでいて、大したものだ。

近松の墓と言われる尼崎の広済寺の話は面白い。

足立が寺を訪ねた時の説明は「真夏の日光の照りつける野道を長いあいだ歩いたことや、やっとたどり着いた寺はがらーんとしてセミだけが激しく鳴いていたこと」てな感じでのんびりした情景が描かれる。

ところがこの寺に長らく所蔵されていた近松ゆかりの品々は四散する羽目に陥った。

その事情なんだが、どういうつてで、足立が調べたのかはわからないが、明治18年ごろ広済寺の財政を支えていた村第一の富豪の家に強盗が押し入り、そのため旧家は没落してしまう。その後没落した旧家の遺子がかつて先代が寺に莫大な援助を与えていたからといってたびたび寺から金品をゆすった。住職はその穴埋めに寺宝を抵当に村の有力者から借金すると、こんどは抵当物件全てが売り飛ばされたのだという。


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