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古本屋日誌
ネットが普及して古本の値段は全国均一化が進み、その値段を著しく下回る、上回るような値付けは姿を消しました。
今は勉強に励んでその均一価格を確かめて値段をつけている古本屋が増えています。
まあそれがいいことなのかどうか、よくわかりません。
店舗を昔からやってるような老舗の古本屋なら、いつも定期的に本を売りに来てくれるありがたいお客さんが何人もできます。お客さんは読んだ本を売りに来てついでに店内をぶらぶらしてまた買ってくれます。
店の場合、通ってくれる顧客の居住範囲は大してて広くありません。全国的にレアな本で、高値がついているとしてもそもそも欲しい人の数が限られているから出版社も重版をかけないわけですから、求めている人は限定されます。通販なら居住地域なんかに関係なく買ってもくれますが、店舗のある地域の客など知れたものです。だから店売りではなかなかレア本も売れません。
そういうこともあって客がいい本を売りに来ても大体は安く値付けをして買取り、また大して上乗せすることもなく販売します。取り立てて全国均一価格など見ません。そういう売り方をこれまではしてきました。
ただこのところは古本屋が勉強して全国均一価格を知ってそれに合わせた値付け、買取をするところも増えているように思います。
ただまあそれはめんどくさいことでもあります。第一全国均一価格の勉強をしないといけない。この値段は自分がこれまで経験で身につけているそれと著しく乖離していることもあって、寂しくなることもあります。
また高い値段で買い取ってしまうわけなので、店では売れない。通販で販売することとなり、梱包から業者の手配、カード決済やら何やらかんやらで、ややこしさが増します。
もちろん現在もそういうトレンドに無関心で「俺んとこは店であるんやさかい安うでええんや」と尋常でない安値で販売している店もあるだろうとは思います。
面白い本に興味があってよく読んで勉強して古本屋に売りにきてくださる。また古本屋もそれに応えてさらに興味深い本をお客さんの来店に備えて準備しているてな感じの幸せの循環のようなお店、街があるものです。
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斎藤渓舟が例の大正9年刊行の「夜の京阪」に「夜の天神祭」を書いている。
水干を身にまとい瓔珞を垂らした祭りの女官を主人公にした天神祭の船渡御の話だ。
非常に暑い中たくさんの見物人が押し寄せるさまが事細かく描いてあるが、女官の行列は御ほうれんの後ろを担当する祭りの中心をなすともいえるものなのにもかかわらず、主人公には全然やる気が感じられない。
彼女はひたすら「暑い‼️‼️」を連呼し「終わるのは深夜になってからだー」と嘆く。
自分が祭りを主催しているとの自覚は微塵もない。
天満警察の前から船に乗って土佐堀川を下る際も、朋輩の女官がこっそり飴を手渡してくるのだが、確かにいっぺんは「そないなもんほうばったら化粧が落ちてしまうからあかん」と拒むのだが、「何ゆうてんのや、こんな暗い中誰がわかるんやー」とたしなめられたら、すぐに改心して飴を頬張ってしまう。
今の天神祭はもう見る祭としてもグレードがない。見るべきものは花火くらいだろう。
参加している人たちにそもそも自分たちの主催している祭事だという自覚が一切ないからだ。
これは祇園祭が町対抗レースであるために、隣町には負けたくないと気合を入れるのに対して天神祭は天満宮の氏子が中心になっている祭礼であるため参加する町衆も「とりあえずこなしておけばいい」という意識になってしまう。
戦前からすでにその兆候がはっきりあったことがこの小説でよくわかる。
私は天神祭より住吉大社の夏祭りの方が立派だと思うのだが、大阪の祭といえばなぜか天神祭ばかりが取り上げられる。変なバイアスがあるのか、政治的な力があるのかよくわからない。
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薄田泣菫が「夜の京阪」に「売布神社の宵」を書いている。例の「茶話」の人ですな。
泣菫が夕刻近くの売布神社辺りをぶらついていたら、頭に黄色い頭巾のようなものを乗せた老人に会う。売布神社にはその昔大国主命が往来に店を出して布を売っていたとの伝承がある。
泣菫は老人と話すうちに彼が火にも焼けない布を商っていることをしり、その人が大国主命本人だと確信する。
なんとしてでも布を手に入れたいと金を払うだの、物ではどうだ❓はてには己の魂を譲るからと途方もないことを言い出す。
大国主命から「お前はなんでこの布が欲しいんだ❓」と尋ねられて
「実はその燃えない布を着て女の腹に入りたいのです‼️これまで何度か試みたんですが、手を焼いてしまって」と応じる。
大国主命は「俺はその言葉を待っていた‼️俺も実は須勢理姫の胸に入ってみたことがある」という。泣菫は意気投合した大国主命から布を手に入れて歓喜の涙にくれるという話です。
女の腹に入りたい、女の腹を探りたいというのはわからんでもない。だいたい何を考えてるのかさっぱりわからんからな。
しかし、燃えない衣を身にまとい怒りのほむらを煮えたぎらせている女に近寄りたいとは物好きな〜
これは全く理解の域を超えてるなあ。
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中学受験の進学塾である日能研関西の社会の講師が、定年延長で時間給が2割も減らされるのは納得できないとして大阪高等裁判所に控訴しました。
この社会の先生は時間給で雇われている非常勤なんですが、業務は授業をすることだけなので、定年前も後も仕事は少しも変わりません。
それにも関わらず会社は60を越したからという理由で時間給を下げてきて、また担当時間数も減ったために年収は6割くらいになってしまった。
去年神戸地方裁判所に時給削減は不当だと訴えたが「契約の際に同意していると考えられる」などという不思議な理由で却下されてしまった。
だいたい時間給に納得していないから裁判に訴えているわけだし、契約交渉時に「時給には納得していないがサインしないと首になるからサインはする。しかしこの件は今後協議していきたい」と発言し会社側も了承した録音まであるのに、裁判官は全て無視して棄却するんだから、まったく裁判官は楽な商売だよなあ〜
今回高等裁判所に控訴したわけだが、今度こそ真っ当な判決を下してもらいたいものだ。
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宇野浩二は天王寺中学を出て作家になり、芥川龍之介と濃密な関係を持っていた。
宇野は「夜の京阪」の中に「大阪の花街」と題した一文をものしている。
これは幼い自分に宗右衛門町で過ごした思い出を綴った作品なんだが、大正9年にしてすでに失われゆく情緒への鎮魂歌となっている。
宇野の意図はかつては濃厚に漂い、今も残光が魅力的な芝居街の味を表現することで、無味乾燥と評されることの多い大阪を相対化したいといったものなんだろう。
宇野の行文はあっちへ行ったりこっちは行ったりと思いつきで書いているように見えて実は考え込まれた構成を持っている。
道頓堀川の川波にかかる藻が宇野少年には気がかりで家から錨を持ち出して川に投げ入れて藻を引っ張り上げようとする。ところがなかなか思うように取れないでいるところ、川の水量が増えてきて上流からたくさん藻が流れてくるようになり面白いように取れるようになった。それを見ていた近所の子どもも加わって戯れ尽くす。
これは坪田譲治なんかでもよくあるたわいもない話だな。
しかし宇野はメルヘンと同時に色事で苛まれる大人の姿を描こうとするのだ。
同じ頃南地の物知りの婆さんから「相生橋から西向けてはまったら滅多に助かることはおまへん」とその頃相次いでいた心中の話を聞かされて心に残る。
宇野は10やそこらで売れっ子の芸妓の家によく遊びに行き、気に入られていたが、この芸妓の旦那が別の妓に入れあげてしまった。
宇野はひいきの芸妓の方がずっときれいなのに、なんで浮気をするんだろうと気を揉んでいると旦那がとうとう浮気相手の女と祝言をあげることになってしまう。捨てられた女は健気にも祝言に出てその2日後言い寄られていた男と相生橋から身投げしてしまった。
大正9年当時の読者にもこういった話は異界や魔界のお話として響いたことだろう。
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