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古本屋日誌

2020-09-06 11:45:00

宇野浩二は天王寺中学を出て作家になり、芥川龍之介と濃密な関係を持っていた。

宇野は「夜の京阪」の中に「大阪の花街」と題した一文をものしている。

これは幼い自分に宗右衛門町で過ごした思い出を綴った作品なんだが、大正9年にしてすでに失われゆく情緒への鎮魂歌となっている。

宇野の意図はかつては濃厚に漂い、今も残光が魅力的な芝居街の味を表現することで、無味乾燥と評されることの多い大阪を相対化したいといったものなんだろう。

宇野の行文はあっちへ行ったりこっちは行ったりと思いつきで書いているように見えて実は考え込まれた構成を持っている。

道頓堀川の川波にかかる藻が宇野少年には気がかりで家から錨を持ち出して川に投げ入れて藻を引っ張り上げようとする。ところがなかなか思うように取れないでいるところ、川の水量が増えてきて上流からたくさん藻が流れてくるようになり面白いように取れるようになった。それを見ていた近所の子どもも加わって戯れ尽くす。

これは坪田譲治なんかでもよくあるたわいもない話だな。

しかし宇野はメルヘンと同時に色事で苛まれる大人の姿を描こうとするのだ。

同じ頃南地の物知りの婆さんから「相生橋から西向けてはまったら滅多に助かることはおまへん」とその頃相次いでいた心中の話を聞かされて心に残る。


宇野は10やそこらで売れっ子の芸妓の家によく遊びに行き、気に入られていたが、この芸妓の旦那が別の妓に入れあげてしまった。

宇野はひいきの芸妓の方がずっときれいなのに、なんで浮気をするんだろうと気を揉んでいると旦那がとうとう浮気相手の女と祝言をあげることになってしまう。捨てられた女は健気にも祝言に出てその2日後言い寄られていた男と相生橋から身投げしてしまった。

大正9年当時の読者にもこういった話は異界や魔界のお話として響いたことだろう。
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