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古本屋日誌

2020-09-09 13:11:00

斎藤渓舟が例の大正9年刊行の「夜の京阪」に「夜の天神祭」を書いている。

水干を身にまとい瓔珞を垂らした祭りの女官を主人公にした天神祭の船渡御の話だ。

非常に暑い中たくさんの見物人が押し寄せるさまが事細かく描いてあるが、女官の行列は御ほうれんの後ろを担当する祭りの中心をなすともいえるものなのにもかかわらず、主人公には全然やる気が感じられない。

彼女はひたすら「暑い‼️‼️」を連呼し「終わるのは深夜になってからだー」と嘆く。

自分が祭りを主催しているとの自覚は微塵もない。

天満警察の前から船に乗って土佐堀川を下る際も、朋輩の女官がこっそり飴を手渡してくるのだが、確かにいっぺんは「そないなもんほうばったら化粧が落ちてしまうからあかん」と拒むのだが、「何ゆうてんのや、こんな暗い中誰がわかるんやー」とたしなめられたら、すぐに改心して飴を頬張ってしまう。

今の天神祭はもう見る祭としてもグレードがない。見るべきものは花火くらいだろう。

参加している人たちにそもそも自分たちの主催している祭事だという自覚が一切ないからだ。

これは祇園祭が町対抗レースであるために、隣町には負けたくないと気合を入れるのに対して天神祭は天満宮の氏子が中心になっている祭礼であるため参加する町衆も「とりあえずこなしておけばいい」という意識になってしまう。

戦前からすでにその兆候がはっきりあったことがこの小説でよくわかる。

私は天神祭より住吉大社の夏祭りの方が立派だと思うのだが、大阪の祭といえばなぜか天神祭ばかりが取り上げられる。変なバイアスがあるのか、政治的な力があるのかよくわからない。

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