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古本屋日誌
先日編集工房ノアのビーアール誌「海鳴り」の15号を入手しました。なかなかボリームもあり内容も多彩でノアの目録も充実していて面白い雑誌なのでぜひお求めください。
この中に杉山平一がジュンク堂でやった講演「大阪の詩人と作家」が収めてあります。杉山は藤澤桓夫をまず取り上げて「花粉」の中の船場の金もの話を語っています。なんでも金もの爺さん、つまり親だんさんですな、若い者と「阿弥彦」とおぼしきうなぎ屋に入ってまむしを頼む。若者は運ばれてきたおわんのフタを開けてぱくつきますが、老人はフタをおさえて丼を逆さまにしてしばし、おついを満遍なくご飯に沁み渡らせてからおもむろに「おなごっさん、済まんけど竹の皮持ってきてや」と呼んで鰻は包んで持ち帰り、タレの沁みたご飯だけを食べたそうだ。
杉山は戦後藤澤が忘れられてしまった理由を「藤澤は小説の中でいい人ばかりを描いてしまった」からではないかと書いています。
まああれですね。ケチでバカな爺さんですな。見苦しいし、味も何もわかっていない、一緒にいる若者の気持ちなんかおかまいなしだ。藤澤はそういうステレオタイプ化された大阪の人間を描いてばかりいたわけで、現実とは違うし、型通りなので深みもなくつまらない。
ただ風俗小説としては面白いところもある。まむしだからご飯の中に鰻がタレと一緒にはさんであることがよくわかりますね。でもまあそんなことは常識だから今さら確認できてもねえ〜〜〜〜。
大塚ひかりが新潮新書から「女系図でみる日本争乱史」を出した。
大塚は大の系図オタクで幼い頃から國史大辞典や尊卑分脈に首っ引きで書き写した日々があった。
ただその程度の子どもは全国に500万くらいはいる、彼女の面白いのは書き写した系図の特徴を一目瞭然にしてしまうセンスのよさだ。
この本にも天智天皇と天武天皇の密接な婚姻関係が系図で示されているが、天武は天智の娘4人と結婚しているのみならず、天智の11人の子ども全員が天武やその子と結婚しているのだが、その異様な関係がまさに一目瞭然となる系図が載っている。
神功皇后の話も面白い。彼女は朝鮮半島に出兵するのだがそのいでたちは臨月のえらい大きな腹に石を差し込んで出産を食い止めている上に男装をしているもので、想像しただけで笑ってしまう。
大塚によればかかる異装は巨大なパワーを発揮できる源泉と古代においては信じられていたというから、まあそんなもんなんだろうけど、それにしても臨月なのに石でおさえてる将軍さまてよう考えるよなあ〜〜〜〜
まああれやな三韓征伐とかいう朝鮮での戦闘が大変だ、それに打ち勝つにはこれくらいの格好をしないとということなんだろうな。さらに神功皇后は帰国後応神天皇の腹違いの息子たちの反乱に直面して窮地に立たされる。
ここでは朝鮮の争乱以上に絶体絶命となったか、「実は神功皇后の子どもは亡くなってしまった」とか「なんと神功皇后もお亡くなりになってしまった」というデマを流して敵を油断させて、向こうが武装解除したところを不意に襲って撃滅してしまう。
これはいくらなんでも卑怯すぎませんかね〜〜ー
大塚が指摘する通り古代では言霊が信じられていて言葉に出したら実現してしまうと思われていたのだから「神功皇后が死んだ」などということは重大なタブー違反です。本当に死んでしまうかもしれない、だから古代人は考えられる限りの異装を知恵を絞って考えてさっきの臨月の男装、石留め将軍を思いついたんだろう。
先日昭和15年発行の「銃後の大阪」第二報と題された戦争遂行中の大阪を描き、兵士を支えるこころがまえを説いた冊子を入手しました。
その中に藤澤桓夫の小説「父娘漫才」というのがあった。芸人の父がこしらえた借金を返すために娘が、今勤めている百貨店を辞めて、南地の「大和屋」と思しき置屋が経営する芸妓養成学校に入るかどうか悩んでいる。娘は16なんだが百貨店の同僚の21になる男と付き合っていて、男は入営して北支に行くことになる。
女はあれこれ悩むが結局男が「そないなことゆうたかて、芸妓ゆうたらあれこれ誘惑も多いしあんたの貞操が心配や」と言うので渋々「ほたらやめとくわ」となるのだが、話がまとまって男と難波にほど近い喫茶店で「煎り豆ばかりの非刺激性の珈琲を楽しんで」女は南海電車で帰る。
その車内で「なんぼぐるりが浮ついてるゆうたかて、あてがしっかりしてさえいたら何も問題ないやないの」と思い返して、取って返して男に訴えてみようか悩むところです。
まああれですな。きらびやかな芸妓、舞妓の世界に女が憧れるのは当たり前。いわんや男は出征してしばらく会えないわけだからストレスもたまりますよな。女が「どうせなら面白、おかしく」と思うのは至極当たり前。男から「お前はすぐ浮気してしまうやろ」と言われて、女は芸妓になるのをあきらめるわけです。つまり浮気するのは間違いないわ、と認めているわけでバカバカしいけど面白い。
男として別れる直前に飲んだ「煎り豆ばかりの非刺激性の珈琲」て要するに黒いだけのお茶ですからね、以前の美味しいコーヒーをよーく知ってるだけに惨めになりますよ。
女はそんな砂を噛むような生活は嫌なんです。このへんもなかなかリアルでよくわかる。
私は藤澤桓夫の小説は全くくだらないと思っていて、ただエッセイの「大阪自叙伝」はディテールが面白いと思う程度でしたが、この小説でいくら藤澤がダメでも戦時という非常時ならリアルな真に迫ったものを書けるんだとわかりました。
経済学者の大竹文雄が「競争社会の歩き方」で落語の「千両みかん」を題材にしてあれこれ書いている。
なんでも東京と大阪ではストーリーに違いがあって東京のやつはみかん問屋は初めから商売っ気をむき出しにしてみかんを分けてくれという番頭に千両を要求する。
対して大阪のはなんでみかんが欲しいのか聞いてきて、若旦那が瀕死の状態だと聞いて気の毒だと考えて「ただでかましません、もって行て食べさしてあげてください」となって、番頭がそれでは申し訳ないとあくまで金を払うというので初めて千両を請求する筋になっている。
東京のはビジネスライクで大阪のは人情味があるともいえるのだが、大竹は「商人の街だった大阪では評判がものをいうため、みかん問屋は困っている人の足下を見るような行動をとらなかったのに、番頭が見栄を切ったために、逆に高い値段をみかん問屋がふっかけたのではないだろうか」と考察している。
どうかな〜〜〜〜
大竹ともあろうお方が単に大阪は商人の町で、客によいしょします、丁寧に接しますとステレオタイプを述べているだけ。明らかに番頭をおちょくりたいわけでしょう。大衆のやっかみですよ。
東京みたいにみかん問屋がいきなり「ほな、千両いただきますわ、びた一文まかりまへん」といってしまったらアホな番頭が救われてしまいます。
世間では定年が60となり、その後も65までは雇用延長で継続して雇用となったが、その際就業時間数も減らされてしまうし、時間給も同様で、それまでと比べると6割くらいに収入が落ち込んでしまうケースが普通のようだ。
学校の先生なんか、大体は仕事は授業だろうから、雇用延長となっても仕事の内容は変わらないように思う。それにもかかわらず給料がカットされるのは不当だし、疑問に思わないのだろうかね。
このほど中学受験の塾の日能研関西に対して、雇用延長となっている先生が裁判を起こした。この塾では定年が60なんだが、それ以降は講師と呼ばれる非常勤の職員は担当時間数の減少に加えて、時間給も2割はカットされるので年収ではやはり6割くらいになってしまう。
講師の仕事は専ら授業だから、定年前も、その後も仕事には何の変更もない、それなのに時間給が減らされるのは不当ではないかということだ。
全国的にも画期的な裁判ではないかなあ。第一回公判は9月25日に朝10時から神戸地方裁判所で開かれる。
実はこの裁判のことを以前朝日新聞社に投稿して、「これは意味のある問題提起だと思うのだが……」と書いてみたが、未だに何の連絡もない。黙殺されました。
まああれだよなあ、正社員でのほほんと暮らしている朝日新聞社の社員諸君には縁もゆかりもない話だからなあ。