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古本屋日誌
今朝は梅雨時を思わせるようなもあーとした大気が身体にまとわりついてくる感じでした。
彼岸の中日でお墓まいりなどをする人が見られますね。肥田晧三の「再見 なにわ文化」が和泉書院から出ました。読売新聞に連載中のエッセーをまとめたもので読売新聞社としては売れないと踏んだわけでしょう
。私は肥田は書誌学者かなという印象が強く、藤澤桓夫の詳細な書誌目録なんかには感心しました。今回初めて彼のエッセーを読んで、なかなかうまく書いてるやん、もっといくらでも書いてもらいたいと思いました。例えば織田作之助の葬式に高津中学の授業を休んで勝手に一織田作ファンとして参列した話があって祭壇近くに林芙美子、太宰治、坂口安吾からの花が飾ってあり、途中で高津中学の新聞部の三名が会葬に来たこと、悼辞を読んだのはモーニング姿の藤澤桓夫だったことなどが淡々と綴ってある。
そうなのか、織田作の葬儀には太宰治も坂口安吾も来てないのか、楞厳寺は戦災で本堂が焼けていて仮堂だったとある、わけのわからない中学の新聞部が目立つくらいだから何か寂しさが漂っている。寺の葬式でモーニング姿て変な感じがするなあ。また藤澤の紹介で織田作はデビューしたとはいえ、藤澤の作品は文学的に高いものではないし、織田作としては不本意なものではなかったかなあ。
先週の「週刊文春」の「私の読書日記」で立花隆が新しく出た中公新書の「信長公記」に触れて本能寺の変を引き起こした光秀の怒りは荒木村重の妻女らの処刑にあったのではないかと書いている。
それで早速現代語訳の「信長公記」を見てみたら12月の13日に尼崎の七松で500人にもなろうかという縁者を処刑し、さらに16日には京都の六条河原で村重の妻たしなどを処刑とあって、たしはたくさんの辞世の歌を残しそれを収録するとともに「たしは評判の美女」であったことや、これほどの処刑は歴史上初めてであったともしるしてあった。
なるほど光秀に関しては村重方の荒木五郎右衛門というものが自分の命と引き換えに妻は助けて欲しいと光秀に嘆願したが、どうしても聞き入れられず、夫婦共々処刑されたとある。光秀は信長にとりついであれこれ尽力したのだろうが顧みられることもなかった旨読み取れる。光秀の嫡男の嫁が確か村重の娘だったこともあり二人はかなり親しかったようだから、信長のこのような残虐な仕打ちは深く心に刻まれたろうし、何より自分の尽力をまるで顧みない態度は不快だったろう。
侍はヤクザの集団だから完璧にアウトローなわけで、何ものにも縛られることはなくわが道を行くわけです。信長にとってみれば腹心の部下に裏切られたことで大いに体面を汚されているし、城を開け渡せば女子供は助けてやるとの提案も村重は拒絶したわけだから温情も通じなかったということで、侍の一分がすたるという価値観だろう。そんなに女子供はを殺したら怨みを買うとか、人口が減るだろうとか、そこまでの人数をやらなくても効果はあるだろうとかいう合理的な発想はなく、体面や仁義が第一とされたわけだ。
今朝は雨催いですが、氷雨ではのうて濡れていこか程度の春雨です。もちろん傘をさして郵便局に伺いました。中公新書ラクレからカーの「観光亡国論」がでました。この人は滞日期間も長い伝統文化の研究家で、以前国宝や重要文化財の前に木の立て札があって建築物の名称が記載されている下に必ず「HITACHI」なる表記もある。外人はこれを見て「あーこの東求堂ゆうんはHITACHIゆうんですな、ほんまは」とか納得して翌日法隆寺の金堂の前に立つとまた「HITACHI」てあるもんだから当惑してしまうてなおもろいことを書いて日立がいかに下品で底の浅い企業であるかを指摘していて大いに共感するところがあった。
この本でも辛辣なあれこれがあるかと期待して読んで見たがこれはそうではなく世界基準から見た日本の観光地の批判でした。それは日本の観光地の入園料があまりに安ずぎるので、大して興味を持ってない連中まで押しかけてゆっくり鑑賞するいとまもないことであり、また観光スポットの近くにモータープールを作るものだから、少し離れた商店街に客が来なくなり寂れてしまったり、車が増えて排ガスで迷惑したり、歩行者に危険が及んだりするという話でした。
確かに例えば富士山の入山料は千円でしかも強制でないから納めない人も数多くいるし、国立博物館の入場料も高くはない。車を観光の中心に据えようとするのは愚の骨頂で、そんなもん歩いてゆっくり味わった方がいいに決まっている。
しかし私は神社にせよ寺にせよ美術館にせよ行くだけ時間の無駄ではないかと思ってるけどね。景色がいいとか、風景を楽しむとかゆうてるけど、図鑑やネットの画像でも十分だし、そこへ行くのに電車賃や時間がかかることを思うとメリットが思いつかない。それに観光地である京都に典型だが、大してうまい料理はないし、たとえうまい店だとしても高い。うちの近所の店なら同じ水準の料理を半額以下で食べられる。京都国立博物館やら、奈良のそれやらにえらい並んでいる人たちを見ているとその意図が理解できないな。
今朝はよう晴れていて春たけなわで、近所の関電の所有地にはかなり前からつくしがたくさん伸びてきています。
昨日お客さんの自宅まで買取に伺い、あれこれお話しましたが天牛堺書店の破綻の一因は客のマナーにあるのではないかとのことでした。なんでも新刊の書籍のスリットなどを抜き取って古本の棚に移動させてレジに持ち込んでえらい安い値段で買おうとするバカがたくさんいて、仕方なく古本の値が張りそうなものにはいちいち「天牛堺書店」と書いたテープを貼らなければならなくなり、その手間が煩雑な上に、そのテープを剥がして今度は新刊書籍に貼ってレジを通ろうとする輪をかけたバカも出てきて大変で、売り上げに影響するのみならず、社員の士気も下がってしまったという。
まあそれはそうかもしれないけど、破綻の一因とまでは言えないでしょう。
お客さんの本棚には岩波書店のハードカバーの「南総里見八犬伝」全10巻やみすず書房の「孤独な群衆」フランドル著作集の「夜と霧」、現代書館のビギナーズシリーズ、勁草書房の「井上光晴作品集」谷川健一のハードカバーの「青銅と神の足跡」金達寿の単行本など面白そうな単行本がありましたが、これらはすでに文庫化されていて、そちらは人気があるが単行本には客がつかないとか、既に過去の作家となりそもそも全く人気がないなどの説明をしました。
今朝は雨もよいで猫もすぐに帰宅しました。先日斜向かいのお宅に野良猫のしろがいるところにうちの雄猫が玄関から出たところでばったり目がおうてしまい、道路を挟んでにらみ合いとなりました。雄猫は私が横にいるもので気が大きくなったかいきなり駆け出して野良猫のしろのところに向かおうとしました。
先日朝日新聞に「平成の30冊」なる企画が載っていて識者からアンケートでこの30年の名著をよかった順に5冊答えてくれというもので、宮崎哲弥もメンバーに入っていたということだ。
宮崎哲弥は今週の「週刊文春」のコラムでこの記事に触れて自分の推した5冊はどれもこれもランキング外だと嘆いた後、ランク15位に入っている元日銀総裁の白川方明の「日本銀行」を批判して「こんな本が入るのは反面教師としてのアイロニーではないかと思うが、まあそうではなかろう」と言い「藉口」という聞きなれない言葉も使っていた。私は当然知りませんから調べてみたら「あることにかこつけて言い訳すること」とありました。
なるほどこの本は失われた20年について、当事者の白川がくだらない言い訳をやっていて醜悪だということなんですね。
それにしても宮崎はいつもながら舌鋒鋭く、もちろんしっかりした裏付けに基づいた話なので反対する側の人間にとっても学ぶことが多い。消費増税についても日本の税率は一見ヨーロッパ諸国の25パーセントとかに比べると低いようだが、そんなことはなく、税制全体に占める消費税の割合はすでに3割を超えていて、これが増税で10パーセントになるとヨーロッをはるかにしのぐ割合となり、つまりは逆進性ゆえに貧乏人から搾り取る構図がますますはっきりするという。対して株の取引での利益は最高税率も固定されていて低く、完全に野放しであるために貧富の差がますます拡大することになっているわけだ。