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古本屋日誌
さて阪本の漢方薬店が後継者難ということで閉まっているのは残念でしたが、石切劔箭神社にお参りし、坂を上がって阪本の盧舎那仏と大天狗にもお参りし、二階が天空に浮いているパスタ店を見てあれこれ楽しめました。
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このところブラシで猫の毛づくろいをしているが、当年10に相成るメス猫の毛がいくらでも取れます。ブラシの歯に厚くたまった毛を指で掻き出すのだがその指が毛で隠れてしまうほどです。猫は気持ちがいいのかゴロゴロいいながらお腹を見せてくねくねしてますが、禿げてしまわないか心配です。以前のこうていた猫は外に出ても構わないスタイルでしたのでノミ取り首輪をしたりノミ取りこをまぶしたりしていたにもかかわらず、のみと共生してはりました。玄関のすぐ横に猫のトイレが作ってある部屋があって猫もそこによくいたんですが、白い靴下をポーンと投げ入れて様子を見てたら次第に黒みがかってきてつまりノミがたかってるんです。ブラッシングしては透明のビニール袋に抜けた毛を入れるんですが、ものすごい数の黒いのみと白い卵が目に入ります。のみは毛の中にくるまっているときは跳ねることはないので、ビニール袋の口を開けっぱなしにしておいても安心です。やがてそれなりに退治して袋の口を閉じて透明ですから中でうごめいてるのがわかります、これを袋の上から親指と人差し指でぐりぐりするのがなかなか楽しみでした。
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2010年に売り出されたモートラック70年はその当時最古のスコッチではないかと話題になり、梅田の「トライブ」のマスターがどういうルートなんかはようわからんのだが例の三角フラスコのような形態をした瓶を手に入れて来て3分の1ショット(10ミリ)を35000円で出すからという。なんでも店を閉めて貸切にしてモートラックを飲む10人程度の人だけ入れるのだという。この店では前にアイラのラガヴーリン25年を5000円で飲んだことがあり「ヨーチンの臭いがすると毛嫌いする人もおるからあんまりおすすめはできないよ」との警告もものかは、非常に複雑な味で素晴らしかったので、医者をしている友人と参加することにした。
当日はマスターがそのほかの酒も飲んでかまわんというし、シャケのハラスとかナッツの燻製とかこったつまみも用意してくれてモートラック70年はものの3秒くらいで臓腑にしみわたっていって、味も何もよくわからなかった。周りの人を見たら舐めるようにちびちび味わっている人ばかりで、さっさと片付けてしまったのはわれわれだけだったのが悔しかった。その後サントリーの山崎蒸溜所にも出向いて試飲カウンターで響30年を飲んでは見たがやはりうまいとくらいしかわからず、私にはウィスキーの味を鑑賞する能力がそもそもないことがよくわかった。この「トライブ」というバーは以前は揚子江ラーメンで深酒した後に締めだとして立ち寄る店だったが、その後マスターがテーブルにこびりついた油汚れなどをてづからゴシゴシ落として開店にこぎつけたんだが、この人はもともとはJリーガーだったというから人はわからないものだ。まああまりにも酒が好きなサッカープレーヤーでは大成はなり難いだろうからうまい具合に落ち着いたものだ。
宮崎哲弥がちくま新書から「仏教論争」を出しました。宮崎哲弥はテレビで「週刊文春」であらゆる森羅万象を撫で斬りにするコメンテーターでもあるのだが、仏教学者たる姿が真骨頂なのかポレミカルな面白い本を出しました。無明や輪廻に関する優れた研究書が1000円くらいで買えるのだからありがたい。
釈迦が自分の悟りは凡夫大衆には理解し難いから教えを説くつもりはないと思っていたところに梵天がやってきてなんとかお願いしますよーと頼み込んで翻意させた話は有名ですが、宮崎哲弥によると大衆には理解できない理由は人間の本能にあるという。我々は自分の好きなもの、快感を感じるものに惹かれるし、逆に気に触るもの、不快なものからは遠ざかろうとする、これは当然ですよね、でもそれが無明なんだという。その無明が実は我々の苦しみの大本なんだが、その本能ともいうべき反応から自由になるのは難しいだろうというわけだ。
うーん、そりゃそうですよね、嫌いなものを分け隔てなく扱うというのも難しいし、それはすでに好きと嫌いを前提にしてるから無明であることはなんら変わりはない。そうなると織田信長に対抗して焼き殺されたが「火もまた涼し」と言って従容と死に赴いた坊主が悟っているということになるのかなあ。
猫たちは相変わらずマイペースで過ごしています。
今朝は曇り空で過ごしやすいです。例によって天気予報の雨量予想はデタラメでとにかく大げさにいうのが取り柄なのでバカバカしい。大阪では的中することはなく常に「多いところではない200ミリ」という実際に降った量の100倍以上のことばかり、そのくせゲリラ豪雨は予測できず、また地下道が水没しているのにテレビは能天気な東京キーの「晴れてますね、暑くなりそうです」を流し続けるのだからあきれたものだ。
岩波文庫がこの5月に「明治150年に読みたい書目」として50点程度をあおりの帯をつけて、いくつかの書目は重版をかけて全国の大きな書店でフェアをやってます。その中に「ベルツの日記 上、下」がはいっていて、この本はオールコックの「大君の都」と並んで人気作で古書価格も上は2000円くらい、下は1200円くらいしてましたが、これで落ち着きそうです。もともと岩波はこの作品をえらい小分けして5分冊で出していました。そのあとカバーなしの伝統的なやつが2分冊で出て、更にカバーをつけたものを刊行して、カバーなしのに比べて随分高なってました。
講談社学術文庫には小泉八雲の「日本の心」がはいっていて「大阪にて」が収録、例の有名な大阪はあと100年経とうが今のままの伝統的な佇まいを残すだろう、それほど伝統や格式を重んじる素晴らしい街だを読むと改めてうたた時の流れの残酷さに思い至ります。やはり儒教道徳や封建的な規範が崩壊したら今までの反動で一挙に無政府的な街並みになってしまいました。山松ゆうきちの縷々述べるように人間の本質なんかどこでもおんなじだ、インドだって貧しいからあんな風だけど、ましになってきたらすぐややこしいことはやめるよ、が真実味を帯びて感じられます。
1人の人間もおんなじでやたらに勉強して東大やら京大にはいったはものの、大した能力もないし、欲求も押さえつけていたので入学後途端におかしなる人がいます。まあこれは学歴社会が不徹底だからで、東大や京大は一年に3000人も入学さしてるわけだから、中途半端な力しかないバカを多数入れてしまってるわけです。まあ力があるからといって十分発揮できるとも限らないのがこの世の面白さですから、落ちこぼれるのが多数でることを見越して必要以上に入れておくのは合理的なんでしょうが、それにしても無駄な努力をする人間を生み出しすぎです。これとは反対に私が知ってる京大生で最も才能があると思うやつは親が東京の官僚で、本人もドイツやアメリカなどにも留学してなかなか碩学なのに、「革命を起こし日本を根底から作り変える」ために京大に入学した女で、方向性はさておき素晴らしいとしか言いようがない。
