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古本屋日誌
夜前はかなり本格的な雨で気温も下がりました。
先日お客さんから中公文庫の「秋田美人の謎」をお譲り頂きました。なぜ秋田は美人の産地と呼ばれるようになったのかが解き明かされています。ツングースやギリヤークといった北方の血が混じって非常に色白でいわゆる「色の白いは七難隠すの伝で話は進んでいきます。顔の形は長方形や瓜実顔が多いんだとあります、私の知ってる秋田出身者は勝平得之、落合博満とか柳葉敏郎とか男ばかりで、女は、小野小町とかAVの中澤慶子くらいしか女は思い当たりません。確かに中澤慶子は瓜実顔で美人でしたな。
でもまあこの本でも誇らしげに触れているのだが青森にあるヘブライみたいな地名とキリストのお墓とかさらには例の偽造されたものすごい量の古文書なんかを考えると秋田美人も上げ底ではないのかな。井上章一の言うように大化の改新の頃からわが国は美人を重んじる傾向が強く諸国の国造にみめよきものを奉れなどと命を下している。だから忖度ですな、秋田は美人ゆうことにしとこやないかと中央に媚びへつらっているだけではないのか。小野小町が秋田に下ったなどという伝説も中央のお下がりをありがたがるおかしな根性ではないか。だいたい秋田には勝平得之の素晴らしい版画もあるし、ちなみにかれの版画50選はマルス書房で五万円で販売中です。さらには藤田嗣治の巨大な絵画もあるし、まあ見事としかいいようありません。
今朝は天気予報通り曇り空でやはり雨になりました。先日お客さんから賀川豊彦の「死線を越えて」三部作(教養文庫)や大正10年の「貧民心理之研究」などをお譲り頂きました。賀川はノーベル文学賞の候補になっていたことが最近わかりましたが、確かに「死線を越えて」の改造社版は発売間なしに100刷などと刷ってあった、まあ半分は売らんかなの戦略でしょうけれどそれにしても大した売れ行きです。世評では賀川なんかがまちごうてノーベル文学賞を受賞することがあれば、賞の権威に傷がつく、選考委員は何もわかってないとか批判が多かったが、「死線を越えて」は文学作品としてよくできていて心打たれる。神戸の新川の貧民窟でキリスト教の伝道を始めるのだが文字通りの辻説法でスラムの街角に願人坊主のように突っ立ってあれこれ説教を始めるが、仕事にあぶれた連中やひまじんやら何やらにおちょくられたり、殴られたりする。まあそりゃあそうですね。原罪とか言われても戯言にしか聞こえませんからね。賀川の新婚の家にもようわからん人たちがやってきて勝手に泊まったり、飯を食って行ったりする。
こういうので私は気になりますがね。何か間違いは起きないんだろうかと。そういえば松下幸之助も創業の頃は鶴橋の長屋で嫁とあと男の従業員と三人で二股ソケットやらの研究に勤しんでいたのだが、これも間違いないのかな。というよりも一緒にすまなあかなんだ従業員て大変ではないのかな。まあ性の意識はかなり今とは違っていたんだろうけど気にはなるなあ。
陰惨なもらい子殺しの話も赤裸々に語られる。貧の盗みみたいなものかもしれないが、わが子を育てられない親から嬰児を金品をもらって引き取り代わりに育てるという触れ込みでその実もろた子はどんどん殺してしまう。
賀川はこういう体験を踏まえて「貧民心理の研究」を刊行して、おかしな振る舞いに及ぶ貧民の心のあやをあれこれ書いていて興味深い。やがて神戸の海軍がらみの造船所などで大規模なストライキやデモを組織して日本中を震撼させることになります。
今朝はまずまず過ごしやすい気温でしたが、また昨日のように暑なるやもしれません。
先週の土曜日淀屋橋駅で10時から特設会場を設けて京阪特急地下乗り入れ55周年の記念グッズが売り出しとなりました。嫁に頼んでカッコ良さそうなクリアファイルを購入しました。クリアファイルは2種類あって地下乗り入れの際の特急車の写真をあしらったもの、特急車が地下軌道に入ってくるのをイラスト化したものがあり、どちらもなかなか良かった。55年前というと1963年くらいで、京橋駅が高架になったのは1969年なのでそのかなり前ということになる。ただ隣接する地下鉄御堂筋線の淀屋橋駅は、今は二階を設置して通路にしたり、配管を収納したりしてすっかり天井が低なってますが、ご承知の通り元は非常に天井は高く開放感にあふれたものでした。それと比べると京阪のはいかにも狭く、天井も低すぎる。御堂筋線から乗り換える通路の天井など異常に低く、あれでは頭をぶつける人もいるのではないかと思うくらいだ。前にまだ淀屋橋駅構内のホームに売店があったからなんだがお菓子か何かを買おうとして小銭を出したまま意識がなくなってずるりと前のめりに倒れたサラリーマンがいてすぐに駅員を呼んで担架が運ばれてきてその人を乗せて階段の方へ行こうとしたんだが、ホームが狭くて、夕方ということもあって帰宅をなぜか急いでいるリーマンも多くて身動き取れなくなっていたら、担架に乗ってたおじさんが「ここは歩きますわ」と降りて階段を登りだしたことがあった。
しかし萱島まで続く複々線軌道、それもほとんどが高架になっていて一直線であるのは現代都市のイメージにぴったりです素晴らしい。阪急京都線など京阪に比べたら田舎の電鉄に過ぎず、京阪は圧倒的に垢抜けしている。
今朝も気温は低いのだが暑なる予感がしています。
「ビッグコミックオリジナル」に北見けんいちの「釣りバカ日誌」がずっと載っていて、特に変わりばえのしないおとぎ話が描いてあります。最新のものは浜ちゃんの嫁が王子様に見初められて口説かれるというバカバカしい話で、まあこのマンガ自体が会長と平社員が釣りでつながって社内の序列とは反対に釣りについては平社員の浜ちゃんがイニシアティブを発揮するというありえない作りになっています。こういうマンガはストレスの多い現代社会で疲れた人に癒しを与えるものとして期待されているわけで、才能とかそういうものは何もありません。需要があるから求められる製品を作っているということであり、工場でチキンラーメンを作るのやわたしがお客様に古本をお売りしているのと同じですね。
ただワンパターンのおとぎ話をずっと作り続けられるというのは大したものです。2、3年やったら飽きてしまいそうですけどね。
でも藤子F不二雄、藤子不二雄は金儲けとして「ドラえもん」を描いていました。たんなるバカで腕力が強いだけのジャイアン、勉強はできるが体力はなくて根性の悪いスネ夫などという現実にはありえない大衆にこびるキャラに徹して金をもうけていました。しかしほんとうのガキ大将は誰もが知る通り頭も良く、要領もかまし、先生くらいは手玉に取れますし、勉強のできるやつは実は明朗闊達で性格も明るいし優しい、こういうほんとうの話は「少年時代」や「魔太郎が来る」やSF短編できちんと描いて精神のバランスを取っていました。
今朝はかなりぬくうてこれからの気温が思いやられます。淀屋橋駅で京阪特急の乗り入れ55周年で記念グッズが10時から販売となり、どんな具合なのか楽しみです。
昨日の晩Eテレで1月に文楽劇場で上演の「平家女護島」の放送がありました。豊竹呂太夫、吉田玉助で、やはり素晴らしいお声でご同慶の至りです。また玉助はうまいな。しかしまあこの近松の作品も解説で出てきた阪大の先生は素晴らしいと絶賛していたが、ストーリーには無理がある上に合理性も全くなく極めて問題のある作品です。鬼界ヶ島に流罪になった俊寛ら3人に大赦が発せられ船で戻れることになるが、成親には島で親しくなった千鳥もいう女がいてこの女を連れて帰ることはならぬとなる。それで女は大騒ぎして挙句岩に頭を打ち付けて死ぬからと言い出す。ここが最も違和感のあるところで赦免の船は無理でもそのあと迎えをよこしたら済む話だ。別に島から出てはいけないとなっているわけではなく、女も一里か二里なら泳いで渡れるが何百里ともなると無理なんだといっている、さらに俊寛は平家の代官である瀬尾を襲って殺害するのだが、船に乗っている平家の侍たちは手出しもせずにただ見ているのがわけがわからない。囚人が暴れているんだから制止するのが当たり前だろう。さらに俊代寛は俺は瀬尾を殺したからその科でこの島に残る。しかし女を連れ帰れば3人を許すとした平家の意向と人数もあうから問題ないなどと主張してこれが通ってしまうんだからわけがわからない。近松の研究家とかはそれでメシを食ってるのだから擁護するのは仕方ないのかもしれないが、そのような理屈は大学の中でしか通用しない。文楽の面白さは近松半二のほうが門左衛門なんかよりずっと上で、ストーリーとしても「近江源氏」なんかはよほど優れているわけだから、こっちをやってもらいたいものだ。
まあしかしきれいな大阪弁をずっと聞けるのはありがたい、久しぶりで教経の正しい大阪アクセントを聞くことができてよかった。