Welcome
古本屋日誌
昨日も北区のお客さんのところに伺い高橋秀実の本などをお譲り頂きました。帰りは千里中央回りになりましたが、御堂筋線のこの駅はホームを囲むように二階に回廊があり、ホームを取り囲む回廊から次々に発車して行く列車を見下ろせる上にたくさんの飲食店が並んでいて発車の直前まで飲み食いして滑り込むことができる。手洗いがホームの中央にあって壁を隔てて列車の方を向いて用が足せるのも面白い。
高橋の本には例の「弱くても勝てます」などが含まれていて東大合格者日本一の開成高校の野球部のユニークな指導方法が書いてあります。守備は上手くないからエラーはしてもいいし、ややこしいゴロは取りに行かなくていい、バッティングはストレートを強振するというようなものですが、開成高校の野球部なんてどんな価値があるのかなあ。見てて全く面白くないだろう。
だいたい野球はエラーがあるものとしてルールができてます。グランドが凸凹で石やら瓦礫やらも時折顔をのぞかせているわけだからイレギュラーしないわけがない、おまけにバットでボールを叩くだけの原始的なプレイなので紛れ当たりでも変なところに飛ぶ可能性もあるし、変わった角度で当たれば回転がかかる時もあってあらぬ向きに球が飛ぶ、つまりはエラーするのが当たり前なわけでそういう前提で見ないといけない。京セラドーム、ナゴヤドームなどの人工芝の球場はグランドを均して出来るだけイレギュラーバウンドを減らそうとしているわけだが、野球の本来の面白さをわかってない。まあドームを作ってしまう発想自体が金儲け第一ですよね、雨で中止になるのは嫌だ、そうなるくらいなら、たとえ外野のフェンスが切り立っていて飛球がよく見えない、全然見えないことくらい観客が我慢すればええやないかということです。
昨日の横浜戦は小野はまあ割と落ちたフォークで打者をピッチャーゴロに仕留めたのだがファーストへのなんでもないトスに失敗、ランナーは2塁となった。これが野球の本質ですね。まあ仕留めているんだからそのランナーがセカンドにまで行ってしまうのは不条理。理不尽な振る舞いですね、ピッチャーは全然悪くない、そもそもそういう理屈に合わないゲームなんですから。
小野は全然悲しそうでもなかった、もっと辛そうにしてもらいたかったな。
今日も非常にぬくい。昨日は汗だくで買い取った本の運搬をしましたが、そろそろ赤帽さんとか屈強な山岳部の連中に任せようかとも思います。
うちの店はほとんどの注文品はゆうメール(つまりは冊子小包)で発送し、高額商品に限りゆうパックにしています。2年に一回くらいつまり5000回に一回くらいの割合で未着の事故が起こっています。日本郵政の問題なんだが本が行方不明というのが残念だ。一度は浜田ブリトニーの「パギャル」の全4巻セット、しかも全部帯の付いたのが行方不明となった。なかなかない面白い漫画なのに本当に残念で未だにどこに行ったのかと気になる。もちろん該当の郵便局に問い合わせるのだが「ご家族が受け取られている場合があるので聞いてみる」となり、それでもない場合「近所に誤配したかもしれないので調査します」となる。マンションの場合は宅配ボックスに入れっぱなしの時があるのでお客さんにその可能性がないか連絡してみることになる。
これはクロネコヤマトを発送で利用していた時のことだが岡崎次郎の「マルクスに凭れて六十年」の注文があり、この本は岩波文庫の資本論の翻訳や教養文庫の「資本論辞典」といった著作のある碩学岡崎次郎の自伝で岩波文庫の翻訳は大内兵衛の名前になっているが実は岡崎がやっていて原稿料はなぜか大内兵衛が取るという理不尽なことがあったとある。結局岡崎は嫁と一緒に旅に出て行方不明になってしまう。これを5500円で東京の出版社に売ったのだが、10日ほどしてまだついてないと言ってきた。ヤマトに聞いたら配達はしたという。いい本なのに紛失なんかになったらもったいないと気を揉みましてが結局お客さんが後に「あれは違う部署に配達してあった」と言ってきてホッとしたわけです。
今日は非常に暑くて都島のお客さんのところに出向いたもののなこなか査定もはかどりませんでした。しかし非常にきれいな本がたくさんあって驚きました、なんでも何に数回本棚から取り出して風にあてているとかで、素晴らしい。その中に平田篤胤の「仙境異聞」がありました、この本は去年くらいからなぜか人気が出て8000円くらいしている時期がありました。いまは岩波書店が重版をかけて、比較的大きな書店なら簡単にてにはいります。もう少し前には同じく岩波文庫の「葛飾北斎」というつまりは北斎の伝記なんですがなぜか品薄となり古書価は4500円くらいになりましたが、重版となり落ち着きました。岩波書店は価格動向確認しておそらく4000円を超えるようになると重版しているような感じがします。しかし「天才と遺伝」は非常に品薄でほとんど見たこともありません。上、下2巻なんですがわたしが前に手に入れたのは上巻だけで、それは歴史的仮名遣いのやつで戦争前の出版でした。古書価も高いのになぜか全然重版をかけていません、なぜなんだろうかな。
河出文庫の木下順二「子午線の祀り」も人気のある作品で帯のついたいい状態のものはなかなかなくて4000円くらいになるのではなかろうか、不思議な作品です。
今朝は少し寒かったが結局蒸し暑いくらいになってます。
うちの猫は特にオスなんですがしっぽの付け根をバンバン叩いてやるとうっとりしてます。オス猫はしっぽの長い関西猫なんですが付け根を叩くとその長いしっぽがクエッションの形にまがりくねり足を固定して動きません。これは雄猫だけの習性なのかメス猫にもあるのか群ようこに聞いてみたい。
柄谷行人が先日の朝日新聞の書評で猫本を取り上げつまりは猫は茶の間にいるライオンなんだ、人を魅了して思い通りにさせる魔性の生き物だと論じていてまあそうだけどそれは栽培植物、例えば稲がおんぶにだっこで人に依存しているのを動物にスライドさせて論じているだけに見えます。人は予想以上に植物や動物に操られているわけなんですな。でもまあ例えば乳牛は毎日乳を絞ってやらんと乳腺炎になって死んでしまうわけだし大したことを言っているわけではない。またアマゾンにいるハキリアリは葉っぱを切り取って巣に運び込みそこに菌糸を植え込んできのを栽培してエサにするわけで、あの脳がご不自由に見えるアリンコ風情がかかるありさまであるのを見るととうていアリンコの個人プレイとは思えない。宇宙の大いなる意志がハキリアリに降臨してそれをなさしめているような感じです。
けさは少し肌寒い感じでしたが、結局気温は高まり春本番です。
先日今年の初めに岩波新書で出た「近代日本150年」などをお客さんからお譲り頂きました。山本義隆は1941年生まれですから今年はもう80に近いわけでご同慶の至りです。このところ科学史の本をいろいろ出してましたが、ようやく日本の近代史に手を染めたわけです。
しかし東大全共闘の話も書いて欲しいところだがバカバカしいのか書かない。日大の全共闘は経営陣が巨額の使途不明金を出したのに、居直って責任を認めなかったので非常にわかりやすい形で怒りが噴出したのだが、東大は当初は医学部の問題からスタートしたが取り立てて大騒ぎできるネタにならなかった。そこで自己否定だの帝大解体だののスローガンを作り出した。この辺の理論的な読みが聞きたいものだ。自己否定とか言っても3000人からいる東大の学生は大した才能もない輩が多いわけでそもそも否定できるほどの自己などないわけだし、いかにも大げさすぎる。それに東大の学生は解体される側だからあんまり興味の湧かないスローガンであることは間違いなく、狙いは国民大衆のひがみや妬みの喚起だったのかもしれない。毛沢東の文革は確かに大衆を狂喜乱舞させて下放だとか北京大学の入試の廃止やら、吊るし上げ、糾弾が広範囲に行われて国家は大混乱に陥った。日本でもこのスローガンに大衆が乗ってくることを期待したのかなあ。中国は毛沢東という稀代のカリスマの旗振りだったから大衆もついてきたわけで、対して山本義隆程度の力では所詮人を動かすことはできなかった。これは間違いない。