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古本屋日誌
今朝は昨晩からの雨で猫も出ようとしません。雄猫は物音に驚いて飛びのこうとして爪がおこたの布団に引っかかっていたのに無理に引っ張ったせいで後ろ足の小指の爪から血を流してます。叫び声などはあげず、それでも少し心配なので人間用の消毒の塗り薬をつけました。
このところお客さんから西部邁の本をリクエストされることがよくあります。人気なのは講談社現代新書の「核武装論」や文藝春秋からでた「60年安保」や東大を辞めるときの顛末を書いた「剥がされた仮面」などです。西部の核武装論は日本は地政学的に中国や北朝鮮の脅威からは逃れられず、またアメリカに全面的に依存することのリスクも考え合わせて一つの選択肢として核兵器を考えてみようという思考実験でまあ、ありではないかと思える提案です。東大を辞める話は例の中沢新一を雇うことでもめたやつですが、どう考えても中沢新一はデタラメな学者で、それを擁護する論理展開はかなりの無理を要しそこが読ませどころなわけです。京都大学でも鎌田東二というオカルトのような教授がいて「翁童論」などで坊主の悟りの境地の解説をしていて、なんでも煩悩のない境地はジェットコースター搭乗中の心理と同じだと主張しています。まあ東大にせよ京大にせよ単著をかけない人もものすごく多いし、特段優れているとも思えません。なんせ新入生だけで何千人も毎年毎年来るんだから、教える方もその数が必要であるという当たり前の理屈が働いてるだけです。そういう落ちこぼれの教授なども利用して地位を築いたり、居心地の良い環境を整備していくわけで西部の本はその辺を垣間見せてくれます。もっと異常なはなしであれば中島義道の文春新書「孤独について」が有名です。こっちの方は完全なパワハラ、アカハラてゆうやつです。しかしアメリカの企業は日本以上に公私混同で部下を自分の子供の送り迎えに行かせたり、宿替えの手伝いに動員したりしてますけど、パワハラだし、こんなこと真面目にやってたら過労死してまうんではないのかな。
今朝はうって変わって少し寒くなりました。しかし風はあるとはいっても厳冬期とは違い優しい風です。8つのメス猫はババやししをする時は前から興奮してよくほえますし、した後も吠えてますが、三つの黒猫兄弟はしません。そういうものなのか。
先日NHKスペシャルは福島第一原発の放射線放出量が極端に多かった日の特集をしていました。この事故に関する本では船橋洋一の「カウントダウン メルトダウン」と大鹿靖明の「メルトダウン」が有名でどちらも非常にためになり教えられる本ではありますが、自民党が党利党略つまり民主党政権を叩くために垂れ流したデマの類、やれ菅は海水を注入すると原子炉が傷むと危惧してためらったために事故が拡大したとかやれ吉田所長は注水をやめると官邸には返事しながら裏ではきちんと注水をしていたとかですが、こういうバカげたネタにページを割きすぎていてよくありません。自民党が政権を奪うため、また利権を得たいがためにどんなデタラメでもやってのけることは学ばないといけない点ではありますが、そんなことは「ショックドクトリン」に詳しく書いてありますし政党として当たり前で大した問題ではありません。
やはり知りたいのは事故対応とその際の決断です。先ごろ急死した大杉漣が吉田所長役をやっていてなつかしかった。春日太一が時代劇での大杉漣の演技をあまりにもひどい、何もわかっていないと酷評したのを思い出しましたが、今回は良かったです。一号機でベントをしょうとして運転員が建屋に入り必要なバルブを操作しょうとしたが、線量が高すぎて引き返します。また三号機の電源復旧や注水作業も炉心圧力の上昇が確認され、一号機同様水素爆発があるのではと警戒して吉田は「我々の身が守れないようでは周辺住民の安全も守れない」といい、作業員を撤退させました。さらに二号機も危機に直面して今回はベントもできず、SR弁を開けたはものの水が入らない、その理由は線量が高くて注水している消防車の管理がきちんとできず、バッテリー切れになったからなんですが、吉田所長は6400人いた作業員を700人に減らして安全なところは避難するよう指示しています。さらに二号機の爆発が起こった時は(本当は4号機の水素爆発だったんですが)格納容器が大きく破損したと判断して退避を指示していました。まあ人命優先だし、社員も含めて所詮は金で雇われている人間で命をかけるいわれは全くないわけだから、吉田の判断は当然です。しかしどの局面においても命を比喩ではなくてかけられる人がいれば事故の拡大は阻止できたわけですから、その意味でわが国は難しい国です。危機に瀕した時に決断を下さないというのは主権がないも同様だというカールシュミットの話を思い出しますね。朝鮮戦争、ベトナム戦争、湾岸戦争など要するにアメリカに汚れ役はやらせて日本は美味しいところを頂いて来たわけで、そんなにアメリカに依存していいのかという危惧は自民党もさすがに持っているのだろうが、戦後70年余りまあなんともなかったわけで正しい選択でした。今回の原発事故は自前では国を守れないわが国の欠陥が露呈しましたがなんとか、神様の助けなのかなんなのか東日本に人が住めなくなる事態は回避できました。確かに未だに帰れない人もたくさんいて立ち入り禁止地帯はあるが、主権を放棄してしまっているから、危機に立ち向かうことはしない。でもかわりに安楽と富を手に入れた、と考えれば考えを改める必要はないのかもしれない。
今朝は曇りで予報は雨なのでお客さんの注文を早めに郵便局に持って行きました。このところ石牟礼道子の本がよく売れます。講談社文庫の「天の魚」は以前から高かったんですが、「苦海浄土」も人気があります。石牟礼が水俣病に向き合う姿勢は土着的で、死んだ人間や魚や空さえも窒素を包囲する、怨蹉の声を上げるわけです。窒素だけがその他の公害病に比べて強く責任を問われた件に関しては児玉隆也が「淋しき越山会の女王」の中で詳細に検討していて、要するに窒素は札付きで公害病の常習犯だということです。
先日お客さんから向田邦子のいろんな本をお譲り頂きました。そのなかに「霊長類ヒト科動物図鑑」があり、再読してそのうまさに驚嘆しました。小学生の教科書を見ていたらこの「霊長類ヒト科動物図鑑」が載っていてガキの頃からこういうのが読めるとは羨ましいとも思い、でもまあ子供にはわからんやろうけどなぁとも思った。知ってる顔は実はとっつきにくい、どう反応していいかわからず困ることを肉親に外で出会った時を例に挙げて論じる、困った繋がりで父親をホームに見送りに行かされた話があって列車が出るまで居心地の悪い思いをしながら作者は立ってるわけです、最後に風呂上がりに身体を拭いてる時に知り合いから電話がかかり一人暮らしの気安さで話続けたらふと横によく知っている倉本聰の写真の載った週刊文春があってどきりとしたで終わる。
話題がかなり遠くに伸びて行きそらはそれで面白いのだが最後にまた元の話に別の道から連れ戻してくださるようで、うまいなあ。
今朝は比較的寒くて仕事には薄着できたことを後悔しています。
父親は随分前から肺気腫でこれは日にちぐすりで治るというわけにはいかない病気で入院を繰り返していましたが、母親も甲状腺の異常で足首が腫れて今回入院しました。
うちの家はもともと大工で私も跡を継ぐ気配も小学生くらいまではありましたが、あまりにも不器用なので沙汰止みとなり、家業はバブル時代には盛況となり今までは二階建てまでしかやったことがなかったが5階建てのビルも手がけるようになり、その儲けで自宅を4階建ての鉄筋に建て替えて3階、4階を賃貸に出してました。賃貸経営もなかなか大変で浴槽で錦鯉を飼育してる人がいました。うーん、錦鯉もね、浴槽ではなあー。しかし好事魔多しとはこのことでやがてバブルもはじけてビルのオーナーが金を払わないまま雲隠れする事態が立て続けに起こり、ために自宅のローンが払えなくなりました。大阪銀行が貸し主でしたが、お決まりの競売となり追い出されてしまいました。その後は南海の住之江近くの昭和の初めに建った長屋に移りましたが、すぐに家賃が払えなくなりましたが、ない袖は振れないのでそのまま過ごしていましたら、大家が来てすぐに出て行ってくれ、トラックも用意したといい、その代わり滞納した一年余りの家賃は棒引きにするからというので、やむなく天王寺の母親の実家に転がり込みました。
まあこういうことはよくあることだし、誰が悪いということでもない。母親のいいところはすぐに自慢をすることで家を建てたこと、息子や娘のこと、息子が早くに結婚してそれもわりと高い家に住むようになったことなどをことあるごとに知人に触れ回ってましたが、左前になって首が回らなくなったことも同じように誰彼なしに触れ回ってとくに隠し立てはしませんでした。
だってまあ事実は事実で、聞いてほしいですからね。
先日お客さんから新明解国語辞典の初版、9刷りをお譲り頂きました。箱はないんですがビニールカバーもきれいな上に小口もきれいでなかなかみたことがないくらいでした。新明解国語辞典の初版は1972年の発売ですが、箱は白、青、赤紫の三色があります。三省堂によると80万部くらい出たようですが、私の先輩もそうなんですが、おいそれとは国語辞典は買い替えませんから今も家の片隅に鎮座しているケースがかなりあるんではないか、ただその場合はボロボロになっているでしょうがね、新明解国語辞典の前に明解国語辞典というのがあってかなり小さい本なんですが、いい状態のものはあまり見ません。かなり前に復刻されたんですが、すぐに品切れになり、この復刻版も1万くらいしそうです。国語辞典はこれくらいのサイズがちょうどいいわけで小学館の日本国語大辞典は13巻もありますので、個人で所蔵するにはかなり不向きです。しかし私は以前この辞典の第1版の縮刷版をお客さんから5万円で買い取りして喜んで所蔵していたことがあります。
今朝は少し寒くてまたストーブをつけました。この分では再度灯油を買うことになりそうです。今朝は伝票の整理をしてましたら例によってメス猫がおこたの上に乗ってきて邪魔をします。雄猫は天気もいいので外に出たいと全力で訴えてきますので早速出したところちょうど近所の飼い猫のクロウが散歩中で鉢合わせしてしっぽをふくらませて戻ってきました。
東京の古本屋は神保町などはとくにそうなんですが、専門店が多くて万葉集関連の本だけとか、イタリア文学に特化してるとか浮世絵だとかまあ骨董屋やオタクショップですね。これは東京の方が人口が多いのである狭いジャンルでも分母が大きいがゆえに商売として成り立つという理由もありますが、実は近畿圏の人口もさほど見劣りするわけではないので、本質的な理由にはあたりません。誰もが思う通り東京にはマスコミや出版社、大学が必要以上に密集していてそれらの需要を満たすために古本屋はあるのです。
人の好みは十人十色であり、どれもこれも趣味に過ぎない点では大学で幅を利かせている学問であろうが、エロ雑誌であろうが、写真集であろうが何も変わりはありません。そういう意味ではそれぞれに専門店があるのは探すのには便利ですね。しかし専門店には当たり前ですが、他のジャンルの本はないので新しい発見や人との出会いは制限されます。またマスコミや大学がたくさんあって、つまりはそれで飯を食っている人が多いために、実際にはくだらなくてバカバカしいものにまで過剰な価値を与えて自分に都合のいい話を作り出す問題があります、そういう東京の特性を支えているのが古本屋だと思います。
この点大阪の古本屋は基本的に専門店にはなっておらずなんでもありのバラバラです。岩波文庫の横にフランス書院もならんでますし、みすず書房もあればビニ本もおいてあります。こういうものもあるのかと便利ではありますよね。よく谷町9丁目にある近松門左衛門の墓が気の毒な状態にあるのを嘆いたり、なんとかならんのかとか書いてる人がいますが、ごく普通に読んでみて近松門左衛門の浄瑠璃は面白くありません。心中物はなぜ死んでしまうのか全く理解できないし、くだらない道徳に縛られていて見苦しい。そういうものに過剰な価値を与えるのは間違いだと思うし、ある意味で大阪はそうしてきました。