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古本屋日誌
2014年からブックオフはヤフオクに出品するようになった。その前は売れない本はどんどん値下げして、105円とかにして売っていた。
しかしこれは利益にならないし、値下げシールを貼っていく手間も問題だ。通販なら客は全国で、ワールドワイドだから、店舗のように近くのごく僅かなお客さんだなということはない。
各店舗で棚に置いてある本の一部がビニールでラッピングしてあってその上から「ネット出品中」なるシールも貼ってある。
たくさん客が来る店舗はほとんどやっていないが、あまり客が来ない店舗ではかなりたくさんの本がヤフオク出品だ。
店舗ではさばけない本も売ることができる。
ただ稀にオークションで入札があるのに、店舗でお客さんがこうてしまうこともあって、入札した人は品切れのメールを受け取ることになり不満が残る。
それはさておき、実は店舗で売るより、通販の方がはるかに儲かるのだ。
しかしブックオフはそれを十分わかっていても、店舗をきちんと運営しようとしているのがえらい。
今日は父の三回忌を住吉の旧宅で行った。
父は大工の二代目で、工務店を経営していたが、晩年、バブル景気に踊らされて、今まで手をつけたこともなかった高層ビル建築(5階建なんだが)を請け負ったはものの、バブル崩壊でオーナーが逃亡し、代金を払ってもらえずたちまち倒産してしまった。
祖父は香川から出て大阪で大工として成功して、住吉に大きな居宅を構えるほか、堺方面にたくさん土地を持っていたようだ。
祖父が亡くなった時、父はてっきりそのいくらかを相続できるとふんでいたようだったが、願いは叶わず、いつまでも気に病んでいたようだ。
やがて、肺気腫を患い、入院していたが、小康を得て退院する時、迎えに行って真っ直ぐに自宅に連れ帰ろうとしたら
「ちょっと待て、〇〇に行ってみてくれ」と堺の地名を口にする。
よくわからないが連れて行くと
「ここの土地はな、俺のものになるはずやったんや」などと愚痴る。
そこは10階建くらいの真新しいビルが立っている。
そんなことを今更俺に言われてもなんの意味もないんだけど、
「あーそうなんや」としか言えなかった。
8月23日到着予定分から、Amazonでの販売では1100円以上の本は全て出荷時に番号を通知しなければいけなくなった。
これまでは2200円以上だったから、かなり厳格になった。
うちは、ほとんどゆうメールを使っていて、2200円以上になるものはクリックポスト、分厚い本はレターパックやゆうパックを利用してきた。
ゆうメールは普通郵便と同じなんだが、不着になることはない。
日本郵便の優秀な配達網はまさに驚異的だ。
だから、あえて高額なクリックポストを使う実質的なメリットは客にはないことは間違いない。
実際うちもかなりの部分をレターパックに振り分けなければならず、その手間にかかる費用は全てお客さんに負担してもらうことにして、送料を値上げしました。
ただAmazonのこういう措置にわたしは反対ではない。
コロナのバカ騒ぎの中で、古本業界も通販で、相当売り上げを伸ばしてきている。
つまり、これまでは通販では、本を買わなかったお客さんがやむに止まれず、Amazonなり、ジュンク堂なり、日本の古本屋なりを大挙して使うようになった。
そしてお客さんから色んな問い合わせがあるのだ。
まず土日も配達があると思って「まだつかないんですが、どうなっていますか?」というのが多い。
確かに普通郵便は土日の配達をやめたから、少し遠隔地になると、水曜日に郵便局に持ち込んでも、配達完了は月曜日にずれ込んでしまうこともあるようだ。
これがクリックポストやレターパックなら、土日も配達してもらえるので、お客さんとしては今すぐにでも読みたい本を迅速に入手できるから、朗報に違いない。
さらに「通知番号を教えてもらえませんか?」という問い合わせも、かなりあるのだ。
ゆうメールは普通郵便とおんなじだから、割り振られる番号はないので、その旨お伝えするのだが、お客さんとしては一抹の不安が拭えないのだろう。
だからかなり高額でも番号をお伝えするシステムにしたほうが、今後のさらなる需要喚起に資することは充分考えられるのだ。
平山周吉の『戦争画リターンズ』にはノモンハンの話がある。
1939年、ソ連の戦車部隊と2カ月に亘る激闘を繰り広げたが、関東軍は大損害を受けた。
その際、中隊長として殆どの戦闘に参加し、最後は胸部貫通銃創で瀕死の重傷を負った草葉大尉の文が載っている。
「ノモンハン事件を通じてソ連将兵の精強、精神力、戦闘技術の程度如何ははっきりと認識された。
ソ連に対する必勝の信念は毫もゆらぐものではなく、否反って強められたのではあるが、遺憾ながら全般の情勢と且つは装備とにおいて、特に量的充実において彼に一籌を輸する(劣っているという意味)ものがあり、あと一息という所で挙げた鉄槌を下さずして充分な戦果を収め得なかったのである。(中略)
最後に此の中から大和男子の精魂能く鋼鉄を制したこと、ノモンハン事件特に近代戦の真相を把握せられ、将来戦に対して何等かの参考となれば、何よりの幸である。」
となっている。一万を超える将兵が死んで、自らも瀕死の重傷を負いながら強がりを言ってるようにも思える。
でも第一線に立つ将兵は本心からそう思わないと、命を張って突撃などできないのだろう。
藤田嗣治の戦争画について論じた平山周吉の「戦争画リターンズ』(芸術新聞社)は興味深い作品だ。
例の「アッツ島玉砕」をはじめ、ノモンハン、ガダルカナルなど様々な名作があるわけだ。
戦後まもなく、藤田は戦争協力者として批判された。
これに対して藤田の反論は次のとおりだ。
「又戦時中便乗したりうまい汁を吸ったり等の同君の邪推は全然的外れである。
元来画家と言うものは真の自由愛好者であって軍国主義者であろうはずは断じて無い。
偶々開戦の大詔渙発せらるるや一億国民は悉く戦争完遂に協力し画家の多数の者もともに国民的義務を遂行したに過ぎない。尚多くの犠牲を払わされたものも、こうした画家連であった。
現に猪熊君を始め多くの友人等は今日も尚健康を害して居り、材料の点に於ても手持ちの得難き資材をこのために惜しまなかった実情であった。」
なるほどよくわかる話だ。
当時は外交の一手段として戦争があったことは事実であるから、戦争を悪であるように論じる批判は当たらない。
また国が進める政策に国民が諸手をあげて賛成していることは今でもいくらでもあることだ。
地球温暖化対策、少子化対策、男女雇用均等もそうだし、エスディジーズもそうだ。
国から言われてマスクをつけたり、営業を自粛にもすることだってある。
藤田嗣治の時代は戦争を国が推し進めていた。
それに協力する姿勢を持つことは、われわれが国から言われて電車の中でマスクを大人しく着けているのと本質的にはおんなじだ。
だから藤田を批判するには、国家のやる施策を全て拒絶する気概が必要となってくる。
つまりはラテンアメリカの左翼ゲリラみたいな感じになってしまう。
彼らは国家の転覆を狙っていて、国からの福祉や年金、健康保険など、自分に得になることも含めて、すべて拒否して戦っていた。
でもそれが正しいことだとは到底思えないよなあ。