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古本屋日誌
自分の気に入った本を一度に何冊か買う人は珍しくない。
俺の連れにも、根本敬や赤塚不二夫が好きで新刊を同時に3冊買うのがいる。
一冊は読書用、あと2冊は日焼けしないよう、本屋でつけてもらったカバーを付けたまま保存している。
しかし本は嵩張るし、重たいから、どうしてもスペースが無くなってくる。
これは誰もが悩むことだ。
先日ある古本屋の主人と話していたら、この悩みに解決策を見出した人の話が出た。
「本はな、場ぁ取ってまうし、重たいさかい、畳が沈みこんでもたりしまっしゃろ。
わしの連れの、小説をコレクションしてるやつはな、いつも本屋でさらの本屋2冊買うんや。
一冊はしっかり読むんやけど、もう一冊は、本屋の紙のカバーつけてな、その上からラップで巻いてな、徳島に送るんや。
そこはそいつの田舎で、農家やさかい、なんぼでも地所あんねん。なんでもな、そこらたしは、モータープールなんか金は取らんゆうてるぐらいやよってなあ」
なるほど田舎の土地の値段が安いところに倉庫を借って、本を溜め込むわけだ。
長期の休みには帰省して、さらっぴんのお気に入りの小説を読み耽ることができるのだ。
そして長い老後の楽しみとして、田舎で本に囲まれて生活することもできるのだ。
うまい具合に本が崩れてくれば、埋もれて死ぬことすら可能だ。
今日は久しぶりに山崎蒸留所に行ってみた。
以前はいくらでも予約できたし、見学は無料でウィスキーも試飲出来たが、それは遠い昔話で、今は見学ツァーは有料(千円)で、なかなか予約できない。
工場見学ツアーなしで、ティスティングカウンターと売店だけというのでも、なかなか予約できない。
売店で山崎ブランドが買えないのはもう知っているが(2年前に来た時に、店員に「山崎12年はないの❓」と聞いたら「朝、ですね、朝、時に数本入ることがあります」との返事だった)
果たしてティスティングカウンターではどうなのかが気になっていた。
以前は山崎25年や響30年がハーフショットだが3000円くらいで楽しめた。
しかしこのところの、ジャパニーズウィスキーブームのあおりで、品薄となりネット通販ではとんでもない値段が付いている。
今日行ってみたら、山崎25年、白州25年、響30年がいずれも3700円ので出ていた。
安心しました〜
老後の楽しみとしてウィスキーを嗜むことは大切だと思うからだ。
山崎蒸留所の近くには、あの天王山があって、ちょっとしたハイキングを楽しめる。
また少し足腰にこたえるが、モネの睡蓮を所蔵するアサヒビールの美術館もあるから、足腰を鍛え、名画も楽しんでから蒸留所でうまい酒に舌鼓を打てるわけだ。
この程度の値段で飲めるんだからもうタダみたいなものだ。
さて、何をいただくか、超長期熟成のうまいウィスキーでもいいのだが、前に響30年を飲み、同時に響21年も飲んだんだが、その違いが全くわからない。
「うまいなあ、うまいに尽きる」で終わってしまったことがあった。
これはかなりショッキングな出来事で、(俺にはそもそも高級なウィスキーの味はわからないんだ)と思い知らされた。
ということで、今回は響21年、山崎18年、白州18年のセットにしてみた。(2400円)
今日で百万遍の古本まつりは終わる。最終日の大盤振る舞いを期待して行ってみた。
竹岡書店が8冊まで500円セール(昨日までは5冊)をやっていた他、萩書房が一冊500円の単行本を3冊で1000円で売っていた。それ以外は特にセールはなし。
注目していたのは各古本屋が持ち込んでいて、まだ売れていない本の扱いだ。
平台や本棚に入る限りの本は並べてあるが、まだまだたくさんの本が、御堂の軒下に、紐で結えて積んであったり、長方形の頑丈な木箱に入れてあったりするのだ。
先月の天神さんの古本市では、100円均一本は最終日もお堂の軒下やお手水に積んであったが、結局全部バラして御堂の地べたに並べて客に買わせていた。
ただかなり売れ残る本も出るから、撤収する際、また結え直したり、箱に詰めたりする手間が生じてしまう。
どのみちかなり売れ残りが出るわけだから、もう並べるのはやめにするというのもわからないではない。
京都はどうするのか。
午後2時半過ぎ、竹岡書店、シルヴァン書房、三密堂書店ではまだかなりの本が結えたままになっている。
大阪のお客さんなら、近寄ってきて
「あんな、これ積んであるけど、見てええやろ。積んだままやったら泣いてるで〜」てなことを言って広げようとするだろう。
京都のお客さんはおとなしい。お行儀だ。
御堂の軒下にまだまだたくさん単行本が積み上がっている、そのすぐ横で平台に並んだ廉価本を押し合いへしあいしながら漁っている。
不思議な光景だ。ちょっとバカではないかとも思える。
講談社現代新書から渡辺勉の「世界インフレの謎」が出た。
欧米のインフレは前年比1割を超えるもので、日本はそれに比べたら大したことはないとはいうものの、かつてなかった高率の3%だ。
日本の場合は円安が続いていて、輸入価格が上昇していることで、説明がつく感じだが、欧米諸国があんなにインフラに見舞われている原因がよくわからない。
たしかにロシアの侵略戦争で穀物価格やエネルギー価格が上がるのはわかるが、それにしても年率10%を超えるのは異常だ。
渡辺はこの本で真の原因は他にあるというのだ。
それはすでに3年に及ぶコロナ騒動だという。
渡辺によれば自粛の波が全世界に等しく及び、サービス業(ホテル、旅館、観光、エステ、ジム、飲食、風俗、あまりにも多い)に客が来なくなり、逆に通販で物を買う頻度が増えたという。
そのためモノへの需要は高まっているのに、生産が追いつかない。
これが一つ目の原因だ。
そしてインフレの二つ目の原因なのだが、モノの生産を掌る労働者は3年にも及ぶ自粛で、在宅勤務になったり、問題なのは働き方のスタイルを変えてしまって工場などの生産現場から退職してしまったりしているのだ。
つまりモノの生産に必要な労働力が確保できないということだ。
そして三つ目なんだが、グローバリズムの衰退にあるという。
コロナ前はグローバリズムの進展で国境はなくなり、効率第一で生産地と消費地を最短で結ぶ取り組みが、全世界的に押し進められていた。
ところがコロナを経て、その危険性に懲りた企業は、たとえコスト高になろうとも、自分たちの管理の目が届く近場の国々に生産拠点を移しているという。その過程でコスト増が生じているのだ。
なるほどね、渡辺の話が正しいとするならばグローバリズムのリコンストラクションが一段落するまでは、世界的なインフレは収まらないということになる。
古本市は初日に行く人が多い。
古本屋の方も初日にいい本を並べることが多いから、お目当てにで会える確率が増すということだ。
しかし皆考えることはおんなじだから、初日は大変な人出でどの店の本棚も人だかりができて、ゆっくり選んでいる余裕はない。
本棚に目を凝らしてお目当ての本を探していても、横手から人がどんどん近寄ってきて、自分が探している本のあたりをチェックしたがっているのがわかる。
場所を譲らず、いつまでも頑張ってる人もいるけど、精神的に疲れるから、勢い集中力も途切れがちで、本をみすみす見逃してしまうことにつながるわけだ。
面白い本や興味深い作品はいくらでもある。
人類が文字を生み出して5000年以上経っているわけだから、自分の知っている本なんかたかが知れてる。
だから古本市は初日でなくても、2日目、3日目で十分楽しめるということだ。
人が少ない分、ゆっくり本に目を通すことができて、内容も把握できるのだ。
今日3日目は月曜日で、百万遍の人出は少なくいろんな本をじっくり読むことができた。
その中に昭和41年に大阪新聞社が出した「大阪食べ歩る記」があった。全然知らない本なんだが、偶然手に取ったものだ。
大阪のその当時のグルメ本で、長谷川幸延、宮城まり子、大村崑、中村珠緒、南都雄二、曽我廼家五郎八らが、自分のおすすめの店を紹介する一文を寄せている。
そのなかでただ一人、宮城まり子だけが大阪弁で書いているのに驚かされた。
「(南区千年町にあった鉄板焼きの「万清」を紹介する)なにしろ夜中の一時までお店があいているさかい便利ですわ。
大阪の劇場に出てて、ホテル住まいをしていたら舞台がすんで、何か食べたいと思ってもホテルのレストランは締まってるでしょ。そんなとき、ここへ行きますねん。
分厚いお肉に、ぎょうさんニンニクのせてジュッと焼いたん食べたらあしたの舞台の活力が出てくるみたい。
お肉はヘレばっかりで、「何グラム焼きましょ」ときいてくれるのも良心的や。」
宮城まり子の大阪弁など思いもよらないところだ。
Wikipediaで見たら彼女は東京生まれなんだが、三つからずっと大阪育ちなんだとある。