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古本屋日誌
評論家の小谷野敦が天皇制を考える上で意味のある作品として、有馬頼義の『葉山一色海岸』をあげていたので、早速一読してみた。
1959年に中央公論社から単行本が出て、俺が読んだのは1962年の角川文庫本だ。
葉山に住んでいる別院民子とその息子の泰夫が行方不明になった事件の謎解きでストーリーは進んでいく。
民子の夫は軍人だったが、戦争で死んでしまい、泰夫は天皇の命令でそうなったと含むところがあるが、民子の方は昔ながらの忠君愛国で、天皇や結婚した皇太子を崇めている。
泰夫はその一方で、アメリカがABCD包囲網などを作り、日本を戦争に追い込んだとアメリカに対しても大いに含むところがある少年だ。
つまり反米かつ反天皇なのだ。
泰夫は葉山にやってくる皇太子を狙おうと、友人から銃を借り受け、自宅の2階から狙撃しようとしているところを、母民子に見つかり、事態を察した民子はいきなり息子の頭部に花瓶を振り下ろして殺してしまった。
そして死体を銃とともに埋めて、自分は身を隠してしまう。これが失踪事件の顛末なのだ。
実際は銃に弾は入っておらず、民子の行為は意味のないものだったため、逮捕後それを知らされて、民子は精神に異常をきたしてしまう。
この作品には、幼子とその母の面白い会話がある。皇太子夫妻が葉山に来るのを見ながら
「天皇陛下って、偉いの?」
「そうよ」
「何をしているの?」
「何もしていない」
「何もしていないのに、どうして偉いの?」子供の質問を封じる思案はなかった。
「日本で一番偉い方なのよ」
「じゃあ、大将なの?」
「そうね、そういう方よ」
「大将になると、何にもしないでも、偉いの?」
「そうよ」
「大将の子は、何にもしないでも、やっぱり偉いの?」
「そうよ。何にもしないでも。生まれただけで…」
、と以上が親子の会話だ。
こんなにひつこい子どもはさすがにおらんやろけどね。
天皇が民主主義の平等の原則に反する存在であることを有馬は言いたいわけだ。
その有馬は九州の久留米藩の16代目、つまり殿様であるところが面白い。
昨日は日本一セール中の阪神百貨店に嫁と行ってみた。地下一階の食品売り場ではバームクーヘンなどを売るHARADAなどに凄い行列が、店の外の通路にまで出来ている。
8階のタイガースショップは確かにかなりの人出だが、商品が少ない。
例のビールかけTシャツも、置いてあるには置いてあるけれど、Sサイズだけ。帽子などもほとんどない。
供給が追いついてないわけだ。
6階はメンズと子ども用品のフロアーで、770円の靴下3足と7700円均一のキャジュアルシューズをこうた。
仕事で使う靴は去年、天神橋筋の中のくつやでこうた(11000円)のだが、履き始めて早々に、靴の上部と下部が分離してパカパカになってしまった。
その上、靴に施してある黒い塗装も剥がげだして、魚の鱗をはいでいるような状態になっている。
百貨店の店の人にぼやくと「これは大分古い靴ちゃいますかね、塗装がすぐ剥がれるてね」という。
泉の広場にあるキリンシティで、飲んでから阪急に乗って、箕面滝道から大滝を目指した。
箕面は駅から落差30メートルを越す大滝まで、40分くらいの散歩が楽しめる景勝地だ。
白い花崗岩が美しい清流と、一目千本といわれる圧倒的な紅葉の美しさに圧倒される。
駅近くには有名な「箕面温泉スパーガーデン」が聳え立ち、滝道からエレベーターで天空まで一直線、天然温泉を楽しめる。
また沿道にはたくさんの飲食店や土産物屋が並んでいる。
例のもみじの天ぷら(揚げたて)も味わえるし、焼栗、もぎたての柿、柘榴も野趣を極めている。
そして、なだらかな登りから勾配がキツくなるあたりには「山本珈琲店」があるのだ。
この店は滝道から川に向かってダラダラと下って、川に突き出した作りになっていて、静かに流れ下る清流を眼下に美味しいコーヒーを楽しめるのだから、驚くばかりだ。
でも、箕面の最大の魅力は実は清浄な空気なのだ。都会の薄汚れた空間にまみれているわれわれには、ここの大気の香りや、濃厚な質感は驚かされる。
そんな素晴らしい場所に、大都会梅田からわずか30分くらいで行けるのだ。
箕面は、中之島、高槻北部と並ぶ高額所得者の住む街で、古本屋も多い。
滝道にも二階建ての古本屋があって、2階には大量の絵本、一階は文庫本と少しだが浮世絵なんかも並んでいる。
先日大阪高裁でマスク裁判の控訴審判決があって、一審同様有罪判決だった。
その被告である奥野淳也が徳間書店から『マスク狂想曲』を出した。
なんでも奥野はもともと喘息の持病があって、マスクをつけるのは大変なんだという。
それにもかかわらず、北海道から大阪に帰るため、ピーチ・アビエーションの飛行機に搭乗したところ、マスクを付けるように言われ、拒絶してところ離陸後、新潟で降ろされた。
その後威力業務妨害、傷害、航空法違反の容疑で逮捕、起訴されるのだ。
この本はそのまま顛末が細かく記されていて、興味深い。
マスクを強制する風潮があったのは今となっては嘆かわしい。
その上で、この本で驚いたのは、周りの乗客の態度なのだ。
著者がピーチの機内で、「マスクを付けなければいけない規定はないだろう」「……」「さっきマスクしないと降ろす言われたけど、それは明らかに問題発言ですよね」などとピーチの職員と話をしていると、周りの乗客が
「あんた、ええ加減にしとけよ」とか「マスクしたらええやん」などと介入してきて、暴言を吐いたり、身体をつかんだりしたことだ。
目的地に早く着きたいのはわかるんだけど、無理からマスクをつけさそうとするピーチの対応は問題があるわけだから、むしろ、この乗客の肩を持ってもいいところなのに、全く逆だ。
大衆が時に愚かな行為に走るのは歴史的に珍しいことではないよな。
日露戦争の講和に反対して暴動を起こしたり、関東大震災の直後、朝鮮人などを殺したり、南京を占領した時も無辜の市民を数万人も殺したりといくらでもその例を挙げることができる。
5日優勝の晩は、あれこれ特番があった。
関テレでは岡田と鳥谷が対談する(といっても数分だが)企画があった。
鳥谷は、不調ゆえ、半年くらい一軍で投げてない湯浅をピンチの場面で投げさしたことに触れて、
「あのきつい場面で湯浅を出したのはどうしてですか❓」
岡田は「きつない、きつない、そんなもん。優勝目指してやってきて、シリーズはご褒美なんや。」
「だから負けていいとはいわへんけど、ここで抑えたら場面が変わるなという感じでやったらいいだけや」という。
場面を変えてみようかなくらいの感じですやったらええということだから、ちょっとしたゲーム間隔でかまへんのや、ということだ。
こういう意識はチーム全体にも浸透していたのではなかろうか。
岡田の言うことは至極もっとも。シリーズはご褒美だろうし、われわれファンからしたら楽しいお遊びくらいなものだ。
タイガースはリーグ戦に優勝したわけで、これは偉大な成果だ。
岡田も「われわれはリーグ優勝を目指して戦ってきた」とはっきりとゆうてたのも思い出したな。
タイガースは昨日、バファローズを破り、日本一となった。
その前の試合で山本に14三振して、(なんでもこれはシリーズ記録ということだ)1点しか取れなかったのに、一夜明けたら引きずることも、影響されることもなかった。
昨日のバファローズの宮城は2戦目に、当たり全く打てなかったピッチャーなんだよな。
それにもかかわらず、4回にノイジーが追い込まれながら、内角に落ちてくるチェンジアップをスタンドに放り込んだ。
テレビで見たけど、落差の大きい、内角低めのボールで、それをどう打てばスタンドインするのか不思議だ。
これまでのタイガースでは考えられないことばかりだな。
優勝を決めた9月14日のジャイアンツ戦でも佐藤が低めのスライダーをバックスクリーンに放り込んだことも思い出される。
あのボールも難しい球だったよなあ。
これまでのタイガースは、非力で、才能も能力もない選手ばかりなのに、強力なカーブ打線やドラゴンズの投手陣、ジャイアンツの有名どころに立ち向かわないといけない感じがあった。
ファンの中には「大人の美學」みたいに考えてきた人たちがいる。
小学生の間なら「強いものに憧れるのは構わない(つまり、よく優勝するジャイアンツやスワローズ、カーブなどのファンでもいいということ)が、中学生になってもまだ、それではダメだ」などという意見があった。
これはキリスト教的な、キリスト教原理主義的な考えだ。
ユダヤの民は、出エジプト、バビロン捕囚、ナチスの虐殺など数々の辛酸を舐めた。1番抑圧されているがゆえに、1番美しく素晴らしいというわけだ。(マルクスの労働者階級への捉え方も実はおんなじだ)
でも普通に考えてそんなことがあるわけがない。
そもそも、今年のタイガースを見て、強いものの魅力は強烈だ、と思うよなあ。
強いものこそ美しいし、魅力的だ。